ずきり、と胸が痛んだ。嫉妬なんて醜い感情は、とうの昔に捨ててしまったはずなのに。名前を事故に巻き込んだあのときから、名前に触れる資格なんてなかったはずなのに。

手を伸ばせば届く距離に名前がいるということが幸せで、それなのに触れられないことがもどかしくて。たとえ触れられたとしても、最初は嬉しいのに、後で後悔をする。どんなに考えても堂々巡り。突破口なんてない。

そんな触れることをいつも躊躇する自分の目の前で、マークは名前の頭を優しく撫でて、手を握って、抱きしめる。そして凛とした声で名前を呼ぶんだ。


「ナマエ!」



すると、彼女も嬉しそうに笑って彼を抱きしめ返す。
また醜い感情が込み上げてくる。

さっき彼女の腕を掴んだときの感触が、まだ手のひらに残っている。彼女の思いも、リハビリがどれだけつらいことかも誰よりもわかっているはずなのに、あんなに強く彼女の腕を掴んでしまった。手のひらが震える。


「…そうだね」


自己嫌悪が頭の中に渦巻いて誰に何を言われたかさえ理解できなくて、ただ理解できたのは悲しそうな名前の声だけだった。


「カズヤのガールフレンドはどんな子?」


ディランにそう尋ねられて、俺は曖昧に笑った。

―一生懸命リハビリを続けていて、優しくて愛しい、俺の幼馴染の女の子だよ。


そう答えられる日はたとえどんなに時が経とうとも、どんなに俺が欲そうとも、一生来ないのだ。

マークに視線を向けると、それに気付いたのか彼は綺麗な碧い瞳で不思議そうに俺を見つめた。その隣には悲しそうに睫毛を伏せた名前が立っている。

同じアメリカ代表で、頼れる優しいキャプテンのマーク。彼の笑顔は円堂の笑顔と同じで、どんな不安をも拭い去ってくれるもの。


「もうこの話はやめて、ランチでも食べに行こうよ」


曖昧に微笑んでそう言うと、土門は「そうだな、腹減ったし」と笑って、ディランも嬉しそうに頷いて、マークも「ああ」と言って笑う。


「うん」


名前も、そう言って微笑んだ。


今この瞬間も目に焼き付けよう。皆と過ごすこの幸せな日々を。俺に微笑みかけてくれる名前の笑顔を。

ただそばにいられるだけでいい。


(それは嘘だ)


頭の中に響いたその声を無視して、足を踏み出した。

一度抱いたこの気持ちは消えない。だから、初めからなかったものだと思い込めばいいのだ。

それは、忘れるには愛しい思い出ばかりだけれど。



0509
(忘れられればもう痛くないんだ)