「稲妻総合病院ではサッカーをすることが認められなかったの?」
「うん。ずっと病院内のリハビリばっかり」


アメリカに着いて真っ先に向かったのは専門医であるフィオナ先生の元だ。稲妻総合病院より大きなこの病院はアメリカでも大きなほうで、さまざまな設備が整っている。
フィオナ先生は二十代とまだ若いが医療に対してとても熱心で、医師の中でもトップクラスの人材らしい。そして、私にサッカーを勧めてくれたのも彼女だ。


「私が聞いた話だと、稲妻総合病院の院長はサッカーに対して理解があるということだったのに…」
「院長?」
「ええ。息子が日本で有名なサッカー選手だそうよ」


初めて稲妻総合病院に入院した日、初めに話をしたのが院長だった。フィオナ先生が言うには、眼鏡をかけた少し怖い雰囲気のあの人は、サッカーに対して理解がある医師だそうだ。だが彼は、私がアメリカではリハビリの一環でサッカーをしていたと話しても興味を示そうとはしなかった。てっきり、サッカーのことなんて少しも知らない人だと思っていたのに。


「豪炎寺院長に何があったのかしら」


フィオナ先生は眉間に皺を寄せてそう呟いた。そしてすらすらとカルテを描き終えると、私のほうを向いて微笑んだ。


「でも、アメリカではサッカーで足腰と精神力を鍛えてもらうわよ」
「…はい!」


実を言うと、少し不安だった。日本で認められなかったサッカーを、今度はアメリカでも認められなくなってしまうんじゃないかということを。だが先生の許可も下り、私は正式にサッカーをすることができるのだ。


「ありがとうございました!」


先生にお礼を言って診察室から飛び出し、病院の階段を駆け下りて外へ出ると。病院の入り口には一之瀬、土門、マーク、そしてディランが待ってくれていた。サッカーが出来るということを伝えると、彼らは安心したように微笑み、ディランは私の頭をくしゃりと撫でてくれた。


「ナマエ!よかったな!」
「うん!」


今度はマークに抱きしめられる。温かい彼の体温が心地よい。自分からマークに身を寄せたそのとき、そのまま後ろから一之瀬に抱きしめられた。


「…一之瀬?」
「名前…本当に良かった」


言葉を発しない一之瀬を不安に思い名前を呼ぶと、彼は泣きそうな声で呟いた。私を抱きしめる腕の力は、弱い。

―彼は優しすぎる。

私のことなんて心配してくれなくてもいいのに。私は彼に心配される権利なんてないのに。


「…うん、ありがとう」


私の声もまた弱弱しく、吹いている風に掻き消されてしまいそうなほどだった。
すると、一之瀬は曖昧に笑って腕を解き、マークは一瞬強くぎゅっと抱きしめてから腕を解いた。

一之瀬とマークは抱きしめてくれて、ディランは頭を撫でてくれたけれど、まだ土門は何もしてくれていない。じっと視線を向けると、彼は気まずそうな表情で私の頭を撫でた。土門のその表情に首を傾げるが、他の皆は彼の表情に気付いていないようだ。その証拠に、ディランとマークと一之瀬はもうすでにアメリカ代表の他のメンバーについて話を盛り上げている。


「土門?どうしたの?」
「いや…あのな…」


こっそりと土門にそう尋ねると、土門はポケットから携帯電話を取り出した。着信中なのか、明かりがピカピカと光っている。着信者の番号は未登録らしく表示されていない。


「出ないの?」
「ああ、これは俺宛ての着信じゃないからな」


ますますわからない。気になったので、私は土門の手からぱっと携帯電話を奪うと、通話ボタンを押した。


「あ!こら、名前!」


土門が焦ったように叫んだが、もう遅い。着信中だった表示は通話中に変わっている。土門をここまで焦らす相手は誰だろう。そう思って「もしもし」と言いかけたその時だった。


「ダーリン!やっと繋がったでー!!」


可愛い可愛い大阪弁の女の子の声が響いた。

それも、音量最大で。


「誰なんだい?」


マークとディランがひょっこりと顔を出すが、私は女の子の声の音量にびっくりして声が出ない。言いたいことはたくさんあるのに。土門の馬鹿。耳がじんじんする。ダーリンってあんた彼女いたの。どうしてあんたが電話に出ないの。私の耳が犠牲になっちゃったじゃない。それなのに、土門は大きく溜息を吐いて「だから出なかったのに…」と呟く。

そして、大げさに肩を揺らしたのは一之瀬だった。


「あれ、聞こえてへんのかなぁ?ダーリン?うち、リカやで!…ってこれダーリンの携帯やないんやった!ダーリンに代わって!」


「え?…ダーリンって誰?」


土門が”ダーリン”じゃない?じゃあ、誰?
思わず口を開くと、電話の相手の女の子は嬉しそうに答えてくれた。


「一之瀬一哉が、うちのダーリンやで!」


その言葉が頭に響いた。どうやら一之瀬は日本で彼女をつくったそうだ。


「ちょっと待ってくれ!」


すると、それと同時に一之瀬が私の手から土門の携帯電話を奪おうと私の腕を掴んだ。


「痛っ!」


その手の力が予想以上に強くて、思わず悲鳴を上げてしまう。それに気付いたのか、一之瀬は驚いたように目を見開いて手を離した。


「あ…名前、ごめ…」
「そんなに急がなくても切ったりしないよ。…ああ、一之瀬の彼女さん?ちょっと待ってね、今一之瀬に代わるよ」


一之瀬の謝罪の言葉を遮って、携帯電話を差し出すと、彼は悲しそうな表情でそれを受け取った。そのとき一之瀬の手が、少しだけ震えていた。







「へぇ、カズヤは日本でガールフレンドをつくったんだね」
「あいつらは大阪に行ったときに知り合ったんだよ」
「ダーリンって呼ばせてるのか。将来はアメリカに住む予定なのかな」
「まぁ、どっちにしても私には関係ないけど」


一之瀬とリカちゃんの電話は三十分以上続いていて、その間私はディランとマークと土門と話を続けている。ちらりと一之瀬を見ると、ばちりと目が合った。一之瀬は困った表情を慌てたような表情に変えて、やっと電話を切った。


「ごめん、土門」


一之瀬は土門に謝って携帯電話を返す。


「別にいいけどよ、お前の電話番号教えてやったほうがいいんじゃないか?」
「俺もそう思う」
「ミーも」


土門とマークとディランがそう続ける。俯かせていた顔を上げると、一之瀬は私を見つめていて、また目が合った。一之瀬は目を逸らそうとしない。だけど私は何故か気まずく感じて、目を逸らしてしまった。そして、呟く。


「私もそう思う」



顔は上げられない。どうしてだろう。少しだけ、一之瀬に彼女がいたということが悲しかった。ずっと一緒にいたのに、知らされていなかったからかもしれない。


(教えてくれたっていいのに)


少しだけでも相談に乗れるのに。頼りないかもしれないけれど、上手くアドバイスも出来たかもしれないのに。一之瀬が彼女と付き合っているということはそんなもの必要なかったということだけど、少しだけ、悲しかった。


「…そうだね」


余りに悲しそうな声にはっとして顔を上げると、一之瀬は悲しそうに微笑んでいた。



0505
(まだ何もわかっていなかった)

オリジナルキャラを出してしまってすみません;