ヒュ、と三叉槍の切っ先を少女に向ける。少女は動かず、ただ骸を見つめていた。
「君に恨みはないのですがね」
そう言って、少女へと獲物を振り下ろそうとしたその動きは、止まった。少女のあまりにも突飛すぎる行動によって。
「わたし、あなたのお嫁さんになりたい!」
ぎゅうっと骸の胴に抱きついて、少女はそう曰(のたま)った。キラキラと目を輝かせて、少女は彼を見上げる。
一瞬、予想だにしない事態に固まった骸だったが、すぐに瞳に剣呑とした色を宿して少女を見下ろす。冷たいそれは嘲笑と殺気を含んだものだというのに、少女に怯える様子はない。
「……………それは、命乞いのつもりですか」
「? 命乞いとお嫁さんになることは関係あるの?」
「いえ、そういう意味ではなく、」
「とりあえずあなたに一目惚れしました。あなたのお嫁さんになります!」
骸は、何だか自分がとても面倒なことに関わってしまった、ということだけは理解した。
「入りますよ、ボンゴレ」
ノックの返事も待たずに、自らの上司である男の執務室に入る部下。その骸の上司―――――つまりはボスである沢田綱吉は「あ、骸、おかえりー」と言って柔和に微笑んだ。とてもマフィアのボスとは思えないユルさだが、先程のまさに成金といった風情のボスなどよりは万倍もマシだ、と骸には思えた。勿論、口には出さなかったが。
「あなたが、ボンゴレ10代目?」
高く澄んだ声が響いた。骸の背に隠れていた少女は静かに、しかし堂々とした様子で歩み出る。その佇まいはまるでどこかの令嬢のように気品があり、凛とした空気を纏っていた。
「はじめまして、名前はないから名乗れないの。ごめんなさい」
「いいんだ、気にしないで。はじめまして、オレはボンゴレファミリーの沢田綱吉です。よろしくね?」
綱吉ににこりと微笑む少女。骸はぽかんとして二人のやりとりを見つめる。
先程まであんなに騒がしかった少女がいきなり淑やかになり、自分の上司は―――――いや、こいつには超直感があるのだから大抵のことでは驚くまい。
あぁ忌々しい、と心の中で悪態を吐き、骸もソファーに腰かけた。隣には当然のごとく少女が座る。
「ボンゴレ、この少女についてですが…」
「まあ待てって骸。…君は、オレに話があってここに来たんだね?」
「はい」
綱吉はもう事態を把握済みだったらしい。テーブルに用意されていた三人分のティーセットがそれを物語っている。綱吉が「オレが淹れたからおいしいか分からないけど…」と断ってから、二人のカップと自分のカップに紅茶を注いだ。
「骸の、お嫁さんになりたいのです」
「へー、骸のお嫁さんかぁ… じゃあオレのことは“お義父さん”とでも、」
「ちょ、待ちなさいボンゴレ!僕は了承なんてしていませんからね、誰がこんな乳臭い娘と…」
「是非そう呼ばせていただきます、お義父さま!」
「あ、なんかそれいいね」
きゃいきゃいと無意味に盛り上がる二人は、骸がこめかみに青筋を浮かばせているのに気付いていない。
もう我慢の限界だ、と言わんばかりに無言で立ち上がった骸に綱吉の制止がかかる。綱吉が見上げる形で、視線が絡んだ。
「骸、この子と一緒に暮らしなよ」
途端、骸の瞳が嫌悪に細められる。
「それは僕に対する命令ですか。もしもそうなら、僕は今ここでボンゴレを辞めます」
綱吉はその問いをかぶりを振って否定した。
「ううん、違うよ。ただの提案」
「ならば断ります。その娘は君が引き取ればいい」
まさに“捨て”台詞を吐き、骸は憤然として綱吉の執務室を後にした。その後ろを少女が追う。
藍色と金色の組み合わせは目立つだろうなあ、と綱吉はどこか暢気に考えた。
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