「せんせー」
勝手知ったるなんとやら。縁側からひょいと中を覗く。
昼過ぎの島は太陽が上がり切り、その恵みにさえ殺意を覚える。
「せんせー?」
縁側に足を掛けながら、いると思い込んでいた姿を探す。
そう広くはない部屋を見回しても姿はない。
出掛けた後か。
しん、と静まりかえる部屋は普段の騒がしさもない。
ひとりだと、こんなに静かなんだ。
ずっと立っているわけにもいかないので、とりあえず座って待ってようか。
腰を降ろそうとした所で、奥の部屋へと続く襖が開いていることに気付いた。
仕事場に入ることは戸惑われたが、なにもすることもないので、少し開いている襖に手をかける。
(増えてる…)
初めて、先生の作品を見た時よりも確実に増えている。当たり前か。だって先生は、書道家だし。
半紙と半紙の隙間を慎重に進みながら、再奥にある作品の前のスペースに腰を降ろした。
先生の字は綺麗だと思う。でも、綺麗だけでは駄目らしい。俺にはわからないけど。
あぁ、この部屋、すごく先生の匂いがする。気がする。
墨の匂いに混じり、先生の匂いがするような。足元の作品たちは、端正に俺をみつめる。
本人がいないのは、寂しい
先生も、この静けさを寂しいと思う時があるのだろうか。
暗い部屋では、気持ちも滅入る。
いつか、帰る時がくるのだろうか
先生は都会人だから、きっと帰るんだろう。
立てた膝にすり、と額を擦り付けた。
今まで、いなかったのに。まだ島へ来て日が浅いのに。こんなにも日常に溶けこんでいる。こんなにも、俺の中に。
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暑い。島の夏は本当に暑い。
寝不足の頭と目には殺人的な眩しさを誇る。
自宅の門が見えた所で喉の渇きを覚えたが、走る気力はない。
帰ったらまず麦茶だ。それから、依頼を二つ今日中に済ましておこう。いつなる達が来るかもわからんしな。
帰宅後の行動を考えながら、門をくぐり、玄関を抜け台所へ。
よく冷えた麦茶が、喉を潤す。
ふぅ、と安堵のため息がでて、グラスを持ったまま奥の部屋へと進む。
テーブルにグラスを置き、少し開けていた襖を手にした所で、倒れている人物を見つけた。
「おわ!ヒ、ヒロ…!?」
膝を抱えて座っていたのだろう。そのままの姿で横に倒れている。
「ヒロ?」
声を掛けても返事はない。
半紙の山をぬいながら、ヒロの顔を覗き込む。
「ヒロ、」
寝てるのか?と言葉は続くはずだった。
ヒロの寝顔に、頬を伝った涙の後に、どきりとした。
まだ幼い寝顔に、涙の後がついている。下敷きになった半紙には涙の後がついているだろう。
さら、と見た目より柔らかい少し痛んだ髪を撫でる。反応はない。睫毛に溜まった涙を拭う。ぴく、と睫毛が少し震えた。
駄目だ、と自分を抑えるように手を離す。
どうして、この子がこんなにも愛しいのだろうか。
島へ来る前は愛しく思うものなど、出来るわけがないと思っていた。
屈託なく笑うこの子が愛しい。本当に。
拭った睫毛から、また涙が落ちる。
どんな夢を見ているのか。涙を流す程悲しい夢なのだろうか。その夢に、自分はいるのだろうか?
新たに半紙に染み込む涙は、俺の墨と混ざり合う。
「ヒロ、」
いつか俺が島を出る日、お前は涙を流してくれるのだろうか。
「好きなんだ」
聞こえることもないだろうけれど。静かな部屋の中で声は消えた。
いつか俺が島を出る日、お前は
清→←ヒロ一方通行