蘭京 | ナノ


顔だけ見れば、リボンをきゅっと整えてスカートを翻していそうなつくりをしている。いつも思う。さらりと風に揺れる髪の毛も近づくと香るかすかな甘いにおいも硝子玉みたいにきらきらひかって俺をとらえる瞳だって、そう、いつも。

いっそ女だったらいいんじゃないかと思った日もあったが、たぶん立場も距離も全部変わらない。先輩は先輩のまま俺に好きだと言うのだ、そういうひとだ。昨日言われた言葉を思い出してゆるく痺れる耳に見ない振りをして、震える携帯を手に取った。

開くと新着メール一件の文字が光っていて、そのままメールを見れば霧野先輩からのものだった。予想通りだ。俺に、しかもこんな時間にメールを寄越すのは天馬か先輩ぐらいだから。
恋人からの着信とかメールぐらい音変えろよ、なんてあのひとは言うけど別に先輩だって変えてるわけじゃない。初期設定のままだ。そのくせ神童先輩の音は変えているのが腑に落ちない。携帯からなんだか妙に荘厳な音楽が流れて、あ、神童だ、なんてさらりと言われた時は心の底から蹴りたいと思った。

少しいらいらしつつメールに目を通せば、明日一緒に登校しないか?とだけ、ぽつりと書いてあった。ああ神童先輩が用事か何かあるんだな、とすぐに分かる自分が嫌になる。あのひとの神童先輩への想いが友情の域を出ていないことは分かっているけれど、もし飛び越えて恋愛にいってしまったらきっと俺は太刀打ちできないまま負けてしまうのだろう。だいたい今でも負けている気がする。

別にいいですよ、それだけ打って返せば、数分後にまた携帯が震える。時間と場所が書いてあったので、了解と返信する。次に来たメールにはおやすみ、とあって、俺もおやすみなさいと返した。メールはそれで終わり、俺はベッドに突っ伏してそのまま眠ってしまった。

いつも通り、セットした目覚ましより早く起き上がる。直後鳴り響く音を止め、ベッドから起き上がった。窓から降り注ぐ光が顔を照らして、眩しさに目を細めた。
普通に支度をし、普通に家を出る。集合時間にも余裕で間に合う時間だ、むしろ少し早いかもしれない。このまま歩いていけばたぶん先輩より早く着くだろう。そう思うのに、足が動かない。
先輩とふたりで、登校する。思えば初めてな気がする。先輩は神童先輩といつも一緒に登校するし、俺はひとりで歩いているところを天馬たちに捕まえられて結局一緒に学校に行くという流れが多い。付き合っている、なんて大勢に知らせるような行為はしたくないという俺の気持ちを先輩が汲んだ結果だ。
なのに先輩が誘って来て、俺は普通にそれに乗って。意識してしまうと何というか、その、……恥ずかしい。断ればよかったと後悔するが、断っても後悔していたような気がする。どっちもどっちだ。
のろのろと歩みを進めていると、集合時間の十分前になっていて目を見開く。気を抜きすぎた…!
走り出すと冷たい風が頬を撫でた。学ランがなびく。携帯をポケットに仕舞えば、目的地までひたすら走るだけだ。
桜色の髪が見えてくる。先輩より遅れるなんて不覚だ、家を出るまでは完璧だったのに。俺の足音に気付いたのか、こちらを向いた先輩がふたつに結んだ髪を優しく揺らして笑った。

「遅れ、て、すみませ…ん、」
息切れで上手く喋れない。とりあえず頭を下げる。
「いや、遅れてないって。まだ五分前だぞ?」
「でも…、先輩より、遅れた、ので…」
「…いい子だなあお前」

頭を撫でられて、顔に熱が集まるのが自分でもわかった。頭を上げられない。走ったせいじゃ誤魔化しきれないぐらい、きっと阿呆みたいに顔が真っ赤だろうから。
顔をなるべく見せないようにして行きましょう、と言えば、先輩がああ、と笑い混じりに答えた。

呼吸も顔の赤みも落ち着いてきたので、先輩をやっとまともに見ることが出来た。いつもと変わりない。普通に笑っている。
意識しているのは俺だけなのだろうか。だとしたら相当恥ずかしいんじゃないか。ぐるぐるそればかりが頭を巡って、先輩の話してる内容が頭に入ってこない。

「……でさ…剣城はどうだ?」
「え、」
固まる俺を見ると、先輩は苦笑して、「テスト勉強」と教えてくれた。
そういえば、と思い出す。今週はテスト週間だ。部活もないからゆっくりと登校できる。まあ部活がない分空いた時間でちゃんと勉強しているのは神童先輩ぐらいだと思うが。

「別に…普段と勉強方法も時間もあまり変えてないです」
「勉強するのがまずすごいわ、俺なんてゲームばっかだもん。神童は真面目だから遊んでくれないし」
いつものように出る名前。胸の奥を締め付けられるような痛みが襲う。気付けば、口が勝手に動いていた。

「…俺がいるじゃ、ないですか」

そう言ってから我に返った。何を馬鹿なことを言ってるんだ俺は。さっきの倍の恥ずかしさが降りかかる。今すぐ走り去りたい。
先輩をちらりと見る。と、口をぱくぱく開いては閉じて、そのあと顔を背けてしまった。
「せ、先輩?」
もしかして気持ち悪いと思われたかもしれない。何てことを言ってしまったんだろう、柄でもないことをやるとこうなるんだ。

「あの、剣城…」
「はい…」
先輩の声は震えていた。その先を聞くのが怖くて仕方が無い。浮かぶのは嫌悪や拒絶の言葉ばかりだ。
だが、先輩の口から出てきたのは正反対の言葉だった。

「キスしていいか」
「蹴りますよ」

癖でそう返した後、冷静に言葉の意味を考える。キス。キス…キス?って、つまり。

「っ、な、何、何言って…!」

少し身じろぐ。何言ってるんだこの人は。馬鹿なのか。あの俺の言葉を聞いて何がどうなったらキスに繋がるんだ。ついにおかしくなったか。
絶句する俺をよそに、霧野先輩は頬をりんご飴のように染めて口元を押さえている。
そして俺に近づくと塀に追い詰め、肩をがしりと掴んだ。

「だってお前、可愛すぎ…」
「可愛すぎ、って、どこが…」

先輩の思考回路は理解ができない。首を傾げると、先輩は大きく溜息を吐いた。そして顔を上げ、口を開く。

「…お前がさ、こうやって二人で登校とか、あんまりしたくないって思ってるのも知ってる。でも俺、少しでもお前と二人の時間を過ごしたいんだ。だから今日は神童に断ってお前を誘った」
「え…神童先輩が用事があるからじゃなかったんですか」
「お前な…。そんな都合よく利用するみたいなことするかよ。お前と一緒に行きたかったの」

締め付けられていた胸が楽になるのを感じる。痛みなんて消えて、残るのはくすぐったいような感覚だけ。何かが溢れ出しそうで、でも言葉に出来ない。

「やっぱり誤解してたな。俺がお前より神童のこと好きだと思ってただろ」
「…違うんですか、」
「違うに決まってるだろ。俺が可愛いとか好きだとか抱き締めたいとかキスしたいって思うのは、お前だけだよ」

気付けば近くに先輩の顔があった。時間はまだ早いから、周りには誰もいない。痛いくらいの静寂の中で、熱を持った頬が先輩の手に包まれる。世界が切り取られて、俺と先輩ふたりだけになるような錯覚に陥る。好きだ、どうしようもなく、このひとが。女子みたいな顔をして、そんなこと言ってくるこのひとが。
いつもの、甘い香り。香水なんてつけてないだろうから、先輩自身の香りなんだろうけれど、どこか落ち着くそれが好きだ。吸い込まれそうになる海みたいな瞳も、額に触れる柔らかい髪もすべて。情けない嫉妬をしてしまうぐらいには、このひとに全部を奪われている。
触れた唇は少し熱くて、それが変に心地良い。短いキスが終わり、照れくさそうに笑う先輩をみてふと気がついた。

「先輩、左右でゴムの色違いませんか」
「…ばれたか」
先輩はばつの悪そうな顔をする。
「どうしたんですか?別に急いでたわけじゃないんでしょう、俺より先に来てたし」
「…ドキドキしてたのは、お前だけじゃないってこと!」

恥ずかしそうに言って、先輩は視線を下に落とす。
左右で違う、間の抜けたゴムの色。それが気にならないくらい、他に考えていたことがあった…?
考えるが、答えに辿り着かない。

「何ですかそれ…」
「お前、頭いいのにこういう時ほんと鈍感だよな」
「意味がわからないです」
「わかんなくていい」

先輩が笑う。納得はいかないが、つられて俺も少し笑った。ぬるくなってきた風、眩しい太陽。学校まで、あともう少しだ。