武士程矜持の高い生き物は居ない。幼い頃から何となく感じていた事だが、実際に刀を持ち、武士として生き始めてからは嫌という程実感するようになった。少しでも「馬鹿にされた」と思ったのならば、次の瞬間には刀が抜かれている。実際そういう場面に立ち会った事が何度もあった。自他共に認める“負けず嫌い”である私だが、馬鹿にされる度に刀を抜く様な愚行は一度たりともした事はない。それは私だけではなく、新選組として生きる彼等も同じだろう…と、そう思って居たのだが──なんか違ったみたいだ。
「土方さんどうしちゃったの?隙だらけですよ!」
「てめぇこそ脇ががら空きじゃねぇか!鍛錬もせずに遊びまくってるからこうなるんだよ!」
「遊びじゃないですー子守りですー」
「変わんねぇだろうが!」
聞くに耐えない罵倒が響き渡る。その合間合間に入り込む甲高い金属音には、相手の急所を確実に突こうという、彼等の“本気”が表れていた。ことの発端は何だったのかと聞かれれば、今日は虫の居所が悪かったのだろう、としか答えようがない。適当な答えだと文句を言われるかもしれないが、私だっていまいち理解出来ていないのだから仕方ない。
「土方さん動き悪過ぎー。もう良い歳なんだから隠居したらどうです?」
「俺が隠居しなきゃいけねぇんなら近藤さんはどうなる?あの人も一緒に隠居だろうが」
「近藤さんはあれだから、百歳になっても現役だから。老いないから」
「流石にそれは恐ぇよ!」
最初は、何時もの他愛ないやり取りだった。総司が副長をからかい、副長が総司に向かって怒鳴り声を上げる──何の変哲もない、何時もの日常だった筈だ。それが何処で狂ってしまったのだろう。突然二人の間にぴりりとした空気が走り、可笑しいと思った瞬間には刀を抜き合っていた。私闘は禁止の筈だ、という私の忠告にすら耳を傾けず、甲高い音を立てながらせめぎ合い始めた。その時千鶴と談笑していた私には、二人の間にどんなやり取りがあったのか分からない。けれども二人が殺気立ちながら刀を抜いたという事は、二人の間で余程の事があったのだろう。鍛錬としてやり合うのならば止めはしないが、新選組副長と、新選組随一の剣術の使い手が本気でやり合うとなれば話は別だ。早急に二人を止めなければ、怪我だけでは済まない事態になるだろう。軽い動きで刀を振るい合う二人を見詰めながら唸っていると、隣から小さな笑い声が聞こえた。見れば口を隠しながら可愛らしく笑う千鶴の姿があった。度胸のある娘だとは思っていたが、こんな状況でも笑えるとは…私は千鶴への認識を間違っていたのかもしれない。
「お二人共元気ですねー」
「元気で片付けられる事態じゃあないぞ、これは。一刻も早く二人を止めねば…」
「お腹が空いたら止まると思いますよ?」
「……いや、流石にそんな理由じゃ止まらないと思う」
「そうですかねぇ…」
止まると思うんですけど、なんて言いながら首を傾げる千鶴。その姿は実に可愛らしいが、言っている事は結構凄まじい。浪士だけではなく、仲間内にすら恐れられているあの二人をつかまえて子供扱いである。ご近所のお姉さん的発言だ。あの子達やんちゃですねー、でも可愛いですねー、なんて言い出しそうな気がする。千鶴に悪気はないだろうが、本人等が聞いたら間違いなく激怒するだろう。千鶴に向かって怒鳴り散らすかもしれないし、必要以上に嫌がらせをしてくるかもしれない。幾ら千鶴に否があるとはいえ、あの二人に責められたら心が折れてしまう。一生部屋に閉じこもってしまうかもしれない。そうなる前に私に出来る事は、千鶴が二人を子供扱いしないように目を光らせ、尚且つ早急にあの二人を止める事だろう。怪我をしてでも、だ。
覚悟を決め、傍らにある刀に手を持ち上げると、それを脇目で見ていた千鶴が苦笑する。お前の為に覚悟を決めたんだぞ、という目で睨めば、千鶴はさも楽しげに笑い声を上げた。
「…何が可笑しい?」
「どんなに強い人でもこれには勝てないんだなあ、と思って」
「……何の話だ?」
「分からないなら良いんです。さあ、名前さんそろそろお部屋に戻りましょう。今日は随分夜更かししてしまいましたし」
「しかし、あの二人を放ってはおけん。命に代えてでもあの二人を止めなければ、」
「こんな事で命かけないで下さい。大丈夫、私が近藤さん達にお声をかけておきますから。どんな状態でも近藤さんのお言葉だけは耳に届くと思いますし」
「だが…」
「はい、反論は受け付けませーん!」
そう言いながら勢い良く立ち上がった千鶴は、状況を理解出来ていない私の背中をぐいぐいと押し始めた。文句を言おうと肩越しに振り返ったが、そこにあるのは千鶴のやけに良い笑顔だけだった。本気で斬り合う副長と総司といい、何だか妙に楽しげな千鶴といい…今日は訳の分からぬ事ばかりが起こる。考え過ぎたせいか頭痛までして来た。がんがんと痛み出したこめかみを指で押していると、困ったように千鶴が笑う。
「明日はお布団から出れないと思いますよ」
「…なぜ?」
「明日になったら分かります」
色々言いたい事はあったのだが、今日は上手く言葉に出来ない。彼等だけではなく、私も子供扱いされている気がするのだが…出来れば気のせいだと思いたい。私の矜持的な意味で。
ぐらぐら揺れる頭を抱えながら無理矢理歩かされた私は、この直後問答無用で布団に押し込められた。普段ならば千鶴のように非力な娘に力で負ける筈もないのだが、何故か今日は簡単に押し負けてしまった。悔しさから唸り声を上げていると、千鶴は柔らかな笑みを浮かべる。私よりも年下だと言うのに、その笑顔はまるで母親のようだった。
「今度からは加減して飲んで下さいね」
「?…相分かった」
「(絶対分かってないなあ…)」
翌日、私を襲ったのはひどい吐き気と頭痛だった。そういえば昨夜は副長達と飲み比べをしていたような…と思い出したのは、恐ろしい形相の烝に看病されている時だった。
教訓、酒は飲んでも呑まれるな!(さして強くもないのに飲み比べなんてするからこうなるんです)
(烝、顔が怖いぞ…)
(誰のせいだと思っているんですか?)
(…私です、すみません)
後から考えれば、あの時飲み比べしようと言い出したのも、にやにやしながら「もう飲めないの?だっさー」等と言いながら私と副長の矜持を刺激しまくったのも、お猪口に酒を注ぎ続けたのも総司だった。私達は総司の手の平で躍らされていたようだ。それはもう、全力で。
「ちょーっと煽ったら面白いぐらい飲むんだもん。しかも酔った事に気付いてないしね」
「…副長、総司に処罰を与えて下さい。出来るだけひどい奴を」
「分かってる。総司、お前一月厠掃除な」
「え、それ駄洒落?」
「ちげーよ!」
2011/04/18▼Request Thankyou!!
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