「──ひ…っくしゅん!」

花の香りを纏った春の風が鼻先を掠めた瞬間、むず痒さが鼻腔を襲い、耐えきれずくしゃみが漏れた。春になると、どうもくしゃみが多くなる。このくしゃみが風邪の症状から来る物ならば対応策もあるのだが、春にだけ訪れるこれだけは理由も分からず、薬を飲もうにも何を飲んだら良いのか分からない。もういっそのこと風邪薬でも飲んでみようかとも思うのだが、症状に似合わない薬を無理矢理飲んで、薬を無駄にするのも気が引ける。意外と高いのだ、薬というものは。

「風邪っすか?」
「ん?いや、風邪ではない…と、思う」
「自分の事なのに随分と曖昧ですね…。熱は?」
「身体の重さはあるが熱はない。くしゃみと鼻づまり、後は目の痒みくらいか」
「なんだ、花粉症じゃあないですか」
「…かふんしょう?」
「知らないんすか?」
「……悪かったな、知らんくて」
「いや、別に悪かないっすよ」

食満の言い分だと、此処では当たり前のように知られている“かふんしょう”とやらを、未来人である私が知らなかったのが意外だったそうだ。それは事実だとしても、食満の表情は、私を小馬鹿にしていた。未来人のくせにこんな事も知らないのか、と言葉にせず告げていた。悪く捉えすぎと言われれば、そうかもしれない。だが私の中で他者(しかも子供)に馬鹿にされるというのは、どうにも我慢ならない問題なのだ。主に矜持的な意味で。

懐紙で鼻をかみながらそっぽを向けば、情けない声で「怒らないで下さいよー」と聞こえた。言っておくが私は怒ってなどいない、気分を害しただけである。本格的に食満に背を向けながら全身で不愉快さを表せば、背後にある気配が微かに揺れた。私の態度に腹を立てたのかと思えば、そういう訳でもなく。食満は背後から私の肩に顎を乗せると、矢張り情けない声で私の名を呼んだ。

「拗ねないで下さいよ。俺が悪かったんで、本当に」
「…別に拗ねてなど、」
「あ、鼻声だ」
「……」
「あーすみませんすみません!調子乗りました本当すみません!」

この男は謝りたいのだろうか、それとも私を貶したいのだろうか。身を乗り上げて顔を覗いて来る食満から逃げるように顔を逸らせば、食満の声はより一層情けない物へと姿を変えた。黙って立っていればそれなりに見えるというのに、つくづく残念な男だ。

──まあ、それでも……と思ってしまうのだが。

肩口に顔を埋め、甘えるようにすり寄ってくる食満の頭を、ぽんっ、と叩く。そのまま頭巾に覆われた頭を撫でてやれば、くすぐったそうな、けれども何処か嬉しそうな食満の声が耳に届いた。こういう時、大分絆されてしまったなと思う。出会った当初はお互いに毛嫌いしていたというのに、気が付けばこういう状況だ。もし昔の私が此処に居たのなら間違い無く激怒していた事だろう。十五の子供に手を出すとは何事か、と。全くもってその通りである。士道を歩み、剣と共に生きると決めたというのに、こうやって色恋に現を抜かすとは何事か。切腹を言い渡されても文句は言えない。今すぐ局長に頭を下げたい気分だ。


私が明後日の方に意識を飛ばしている間に、食満は私を抱え込むように体勢を変えていた。親子か、と突っ込みを入れようかと思ったのだが、幸せそうに息を吐く食満を見ていると突っ込む気すら失せる。むずむずする鼻を啜りながら身体の力を抜けば、腹に回された手に力が込められた。

「後で花粉症の薬貰いに行きましょうね」
「そんな物があるのか?」
「ありますよ。この時期は花粉症になる生徒が多いから、医務室に常備してあるんです」
「そうか…それは、有り難いな」
「そっすね。俺としても有り難いです」
「…何故お前が有り難がる?お前も“かふんしょう”か?」
「いいえ。俺、花粉症とは無縁の生活ですよ」
「ならば、何故?」

首を捻りながらそう問えば、食満の口がゆるりと弧を描いた。その瞬間、ぞわりと嫌な感触が背中を走る。知らず知らずの内に、身体が後退りを始めるが、それは背中に添えられた食満の腕のせいで意味を成さなかった。私の行動をくつくつと喉で笑った食満は「だってさ、」と勿体ぶるように口火を切る。

「鼻声で涙目になりながら花粉症に耐えてる名前さん、何か色っぽいんだもん」
「変態め…!」
「そういう年頃なんだから仕方ないっすよ」
「忍者の三禁はどうした!ちくるぞ、潮江に!」
「全力で面倒なんで止めて下さい」
「…それは、潮江があまりにも哀れじゃあないか?」
「事実なんで」

そう言いながら唇を近付けてくる食満に、私がそれ以上言葉を紡ぐ事は無かった。正確には紡げなかった、だが。腰を弄る手を止める事も、密着してくる身体を突き飛ばす力も、もちろん食満への批判の言葉も。噛みつくように合わさった食満の唇に、全て奪われてしまった。

私が気にかけるべきだったのは“かふんしょう”より──春の気候に惑わされ発情期を迎えた、馬鹿な男だったのかもしれない。ふやけ始めた思考の奥でぼんやりと浮かんだ後悔は、これから先教訓としてしっかりと頭に刻まれていく事だろう。

しかし、今は──

「なんか俺、今すげー幸せかも」
「…ばかめ」


そんな馬鹿な男に付き合ってやるのも、良いかもしれない。



……ところで“かふんしょう”とは一体どういう病なんだ?


2011/03/08▼Request Thank you!!

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