いい具合に酒が回ったのか、年越し前にダウン寸前の男達を見やり、小さく溜め息を吐く。食べたい食べたいと騒ぐから年越し蕎麦を準備したというのに、どう見たって蕎麦が入る余裕があるとは思えない。無理矢理食べさせる事も出来なくはないが──そうした場合、大掃除したばかりの部屋が汚物だらけになってしまう気がする。多分、間違いなく。唯一ダウンして居らず、蕎麦作りを手伝ってくれた雷蔵も、情けない親友達の姿に腹の底から溜め息を吐き、湯気を立てる蕎麦を見詰めがくりと肩を落とした。

「兵助と勘ちゃんが居るから平気だと思ったんだけどなあ…」

こうなってしまう予想は、あった。けれども真面目で優秀な兵助と勘ちゃんが居れば、ダウンする前に止めてくれるだろうと期待していたのだが、私達の期待とは裏腹に、優秀コンビは真っ青になりながら床に倒れている。蕎麦を作りに行く前は皆ホロ酔い程度だったというのに、一時間程目を離した隙にどうして酔いつぶれる事が出来るのだろう。長い付き合いだが、彼等の行動は未だに読めない。蕎麦の匂いが彼等の元にいかない様廊下にお盆を置き、ウンウン唸る勘ちゃんの肩を軽く叩く。鬱陶しそうに眉を寄せた勘ちゃんは、ゆるゆると瞼を上げた。虚ろな瞳に私の姿を映すと、じんわりと瞳に涙を浮かべながら私の名前を呼び、縋る様に膝へ抱き付いた。

「おれっ、おれぇ…!」
「はいはい、どうしたの勘ちゃん」
「やだって…だめ言ったのに三郎がぁ…」
「…やっぱり三郎か」
「雷蔵、顔こわい」

三郎の名を聞いた瞬間、雷蔵の背後に般若の顔が見えた。恐怖のあまり思わず雷蔵から距離を取った私に気付かず、雷蔵はベッドに大の字で横たわる三郎に大股で近寄ると、無言で拳骨を落とした。ぎゃっ、という三郎の短い悲鳴が聞こえる。アルコールにやられた頭に、あの重い拳骨はキツいだろうに…。三郎の行動を考えれば一ミリだって可哀想だとは思えないが、あの拳骨の痛みを想像すると、アイスノンぐらいは用意してやろうかなあぐらいには思える。雷蔵の説教(という名の暴行)からそっと目を逸らし、本格的に泣き出した勘ちゃんの頭を撫でる。勘ちゃんの向こう側では、抱き枕に抱き付いた兵助が違う世界に意識を飛ばして居た。騒がない分有り難いといえば有り難いが、あの大きな目で一点を見つめている姿はただのホラーだ。見えてはいけない何かが見えている気がする。恐怖を感じて慌てて目を離したが、脳みそにしっかりと刻み込まれたあの顔は、暫く忘れられないだろう。

「うあー…気持ち悪ィ…」
「気持ち悪ィじゃないよ。蕎麦作って来たんですけど」
「今食ったら吐くよ?」
「吐くよじゃねーよバカハチ」

年越し蕎麦を食いたいと騒いだのは、ハチと三郎だった。年越しぐらいのんびりしたいと言う私の願いを全面的に却下し、無理矢理キッチンに追いやったというのに。その張本人が食わないとはどういう事か。しかも謝罪の言葉すら無いし。無性にイラッと来た私は、廊下に置いてあった蕎麦をハチの鼻先に置いてやった。腕で目を覆いながら唸っていたハチは、突然香ってきた出汁の匂いにびくりと身体を跳ねさせ、アルコールが回っているとは思えないスピードで部屋を飛び出して行った。場所は──言わずとも解るだろう。情けないハチの背中を鼻で笑いながら見送り、漸く落ち着いて来た勘ちゃんへ視線を戻した瞬間──

ホラーな顔が、勘ちゃんの隣にあった。

「ひっ…!?」

うつ伏せになる勘ちゃんの隣で仰向けになりながら私を見上げるホラー──基兵助は、悲鳴を上げた私に動じる事無く、真顔のまま大きな目を最大に広げていた。長年の付き合いである私ですら悲鳴を上げたのだ、普段兵助を見てきゃーきゃー言う女の子達に見せたら、本気で逃げ出してしまうかもしれない。それこそ、千年の恋も冷める勢いで。ドキバク五月蝿い心臓を宥めながら兵助に声を掛ければ、ゆっくりと瞬きしながら兵助が口を開いた。

「蕎麦は?」
「そ、そば?」
「ん、蕎麦」
「出来てるけど…食べれるの?結構飲んでたんでしょ?」
「うん、でも名前と雷蔵が作った奴だから伸びる前に食べたい」

何て良い奴…!ホラーホラーと言って不気味がっていたけど、ハチなんかよりはよっぽど気が効くし、感動してしまう程良い奴だ。我ながら現金な奴だとは思うが、もう兵助の顔に恐怖は感じない。未だ仰向けになっている兵助を起こし、ちゃんと起き上がった所で、蕎麦と薬味をテーブルに置く。兵助はお行儀良く手を合わせると、ゆっくりと蕎麦を啜り始めた。

「おいしい」
「ほんと?良かったー」

黙々と蕎麦を食べる兵助の顔には笑みが浮かんでいて、あの言葉が嘘ではない事を証明していた。少しでも気持ち悪くなったら残して良いと言ったが、兵助は残したくないと言ってくれた。その言葉に、胸がきゅんと鳴ったのは此処だけの秘密にしようと思う。三郎に知られたら間違いなく「単純だ」と笑われてしまうからね。

「僕達も蕎麦食べようか?」

薬味を加えて更に蕎麦を食べ進める兵助を見詰めていると、晴れやかな笑みを浮かべた雷蔵が蕎麦のお盆を持ちながら隣に腰を下ろした。その隣では、色んな意味で真っ青になった三郎が口元を覆いながら大人しく正座している。吐かないだろうか、と心配になったが、三郎を庇うような事を言える雰囲気ではなかったので何も言わずに口を閉じた。三郎からそっと目を逸らして、漸く泣き止んだ勘ちゃんの肩を叩く。

「勘ちゃん、勘ちゃんもお蕎麦食べる?具合悪くない?」
「ん…たべる、たべたい」
「名前、勘ちゃん私に寄りかからせて。多分起きてられないと思うから」
「了解」
「はい三郎、ご所望の蕎麦ですよー」
「らい、ぞ…あやまる、あやまるからそばちかづけないで!」
「あれ?そういえばハチは?」
「(無視…!)」
「ハチは三郎状態で、現在トイレの住人」

そう言うと再び般若様が降臨したが、時間の無駄だと判断したのか、直ぐに普段の雷蔵へ姿を戻した。もしかしたらトイレの住人に説教をするのもどうかと思ったのかもしれないが、どちらにせよ般若様が降臨しないのは有り難い。だって怖いもの。ニコニコと蕎麦を配る雷蔵に安堵の息を吐きながら丼を受け取った。

「勘ちゃん美味しい?」
「…ん、ちょうおいしい」
「蕎麦の硬さも丁度良いな」
「良かったー。蕎麦湯がくの初めてだったから心配だったんだ」

ほのぼのと団欒する私達だったが、一人だけ箸を持ったまま固まった男が居る。言わずもがな、三郎だ。ぴくりとも動かなくなった三郎は真っ青な顔のまま蕎麦を見詰めていたが、突然立ち上がると部屋の外へと駆けて行った。行き先は間違いなくトイレだ。トイレには既に住人がいらっしゃるのだが…まあ、何とかなるだろう。誰も突っ込まないし、気にしなくて良いか。蕎麦を食っている最中に汚い事を考えたくないと思考を無理矢理切り上げた私は、最高の出来となった蕎麦を一気にすすり上げた。

「今何時?」
「今?今は…え、うそ」
「日付変わってるな」
「僕らがモタモタしている間に日付変わっちゃったんだ」
「かうんとだうん…」
「あー、勘ちゃんは泣かないの。また一年経ったらカウントダウンしよう?ね?」
「…うん」

また涙目になりつつある勘ちゃんの頭を慰めている私の横では、雷蔵と兵助が仕方ないと言わんばかりに溜め息を吐いて居た。えらくグダグダな新年の幕開けとなったが、これも私達らしいと思える。まあ、来年はもうちょっとちゃんとしたいかな、とは思うけど。




ゆくとし くるとし

★☆★



「初詣どうする?」
「え、僕は行くよ。おみくじ引きたいもん」
「はっちゃんと三郎は…間違いなく行けないな」
「良いよ、あの二人は…あ、勘ちゃん食べたまま寝ないの」
「ねてないもん、めぇとじてるだけだもん」
「子供か」


でも、まあ。
何年経ってもみんなと過ごせれば、それだけで幸せなのです。


2010年は大変お世話になりました!2011年も幽艶をよろしくお願いします!
2010/12/30...陽



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