空回る思考の終焉




此処が忍ぶ者を養成する場所で、ある程度教育を受けた者ならば、学園内を彷徨く者の気配ぐらい簡単に察知出来る筈だ。ならば何故、先程の少年以外誰も接触して来ないのだろう。敷地内を暫く彷徨いてみたが誰かが接触して来る気配は少しも無く、私を監視する視線さえも感じられない。もしかすると生徒ではなく、気配を消す事に長けた熟練者が私を監視しているのだろうか。生徒ならばまだしも、忍独自の鍛錬を積んだ熟練者が監視についたならば、そう簡単に発見する事は出来まい。矢張り私が保健室から逃げ出した後に、非常事態令が出されたのだろうか。だとしたらこの状況も頷ける。けれどもこの状況で、斯様な命令が出されてしまうと、対処の仕様がない。相手を刺激しない為にも必要以上に彷徨く事は出来なくなるし、かといって立ち止まってしまうと現状を打破する切っ掛けすら作る事が出来ない。良く「迷子になったらその場から動くな」と言うが、それは自分を探してくれる者が居る場合での教えであり、私の様に一人で迷子になった人間には、全くもって意味のない教えとなる。つまりは立ち止まった所で私に有利となる状況になる事は絶対に無く、現状打破を願うならば相手方を刺激しない程度に動かなければならない。しかし、だ。監視する者が居たとして、今の私を影から見ていたら?目的地の場所さえ分からず、困惑しながら彷徨く私の姿を見ながら笑って居たら──屈辱である、人生で一番と言える程の屈辱である。斯様な辱めを受けるくらいなら、この場で腹を切った方が遥かに良い。まあ、約束してしまった手前易々と切腹は出来んが…。兎に角も、これ以上の辱め(この時点では私の想像でしか無いが)を受けるぐらいならば、現状を打破する切っ掛け等欲しくはない。餓鬼臭い考えかもしれないが、武士という生き物は見栄を張って生きる物。屈辱には堪えられんのだ。


動かして居た脚をぴたりと止め、近くに植えられて居た木へ徐に近付く。至る所に植えられて居る木々は、この季節特有の青々とした葉を茂らせて居た。一休みするには丁度良い木だ。どっしりとした幹に背を預け乍胡座を掻く。一度腰を下ろしてしまうと、一気に疲れが身体に回った。傷が完全に治ったならば、真っ先に鍛え直さねばならんだろう。直ぐに前の身体に戻す事は出来んだろうが、それでも刀を振るえるくらいには身体の調子を戻さなくてはいけない。いざという時に刀が握れない等、新選組の名を背負う者として決して許されぬ事だ。…まあ、その刀を没収されているのだがな、私は。武士の命とも言える刀を持たずにふらふら歩き回っていると知れたら──士道不覚悟により切腹を言い渡されるだろうな。緊急事態とは言え、矢張り刀だけは無理にでも取り返すべきだっただろうか。あの状況で取り返すのは絶対に無理だった自信がある。…いや、武士ならば何があっても刀を取り返すべきだったのではないか?

一度浮かんだ考えは、なかなか消える事はない。それが刀、そして士道になれば尚の事。今から刀を取り返しに行こうかとも思ったのだが、そもそも大川殿の庵の場所すら分からないという事を思い出して愕然とした。現状打破する切っ掛け等いらんと此処に腰を落ち着けたが、何をするにも現状打破せねば動けない事に気付いた。いや、しかし相手が動くまで動かない事を決めて此処に座ったのだから、私が行動を始めたら意味が無くなる。…というか、本当に監視する者は居るのか?全て私の杞憂だったりしないか、これ。だとしたら、それこそ恥ずかしい。空回りも良いとこである。

「(副長私はどうすれば…)」

困った時の神頼みならぬ、副長頼みだ。何でもかんでも副長に頼むのはどうかと思うが、矢張りこういう時頼りになるのは副長で。祈って居れば、何時かは奇跡が起こるのではないかと思ってしまう。流石に手を合わせる事はしないが、とりあえず胸中で想えるだけ副長に願いを託す。副長に知られたら「俺ァ暇じゃねぇ!」と一喝されそうだが(そもそも新選組の現状を考えると副長に祈っている場合じゃない)、今私が頼れるのは副長しかいない。頼みます、副長!

「──名前さん、みーつけた」

空を仰ぎながら副長へ思いを馳せていると、突然天から声が降って来た。いや、正確には天ではなく屋根からだが。私の想いが一瞬で副長に届き、副長が一瞬で願いを叶えてくれたのかと胸がときめいた。しかし、聞こえて来た聞き覚えのある声は、私のときめきを一瞬で消し去る程の威力を持って居た。

副長、私こういう展開は望んでないです…。

「保健室から逃げ出したって聞いたから驚きましたよ。武士が刀を置いて逃げるのかーって」
「…鉢屋三郎」
「ああ、ちゃんと名前覚えて居てくれたんですね。しかもフルネームで」
「…生憎貴様とは頭の出来が違うのでな、名前くらい覚えてられる」
「頭の出来が違うって…私一応“天才”って呼ばれているんですけどねぇ?」
「真の天才は、己を天才だとは言わん」
「自分の才能をきちんと把握しているんです、私は」

屋根の上から軽やかに降り立った鉢屋は、卑下た笑みを浮かべ乍近付いて来る。昨晩の出来事を忘れた様な態度だ。徐々に近付いて来る鉢屋を睨み付けながらその動向を追って居ると、鉢屋は私の数歩手前で脚を止め、唇に弧を描かせた。一体何のつもりで此処まで来たのか。よもや私を馬鹿にする為だけに来た訳ではあるまい。鉢屋の真意を探るべく、兎に角神経を張り巡らせる。何かある筈だ、と確信を持って。けれども鉢屋自身から感じられる物に、彼の真意をはっきりとさせられる物はない。それ所か…──

「──下手な演技は止せ。貴様に斯様な演技は似合わん」
「…一体、何の話ですか?」
「昨日鉢屋の傍に居た者だろう?名前は知らんが、顔だけは記憶している」
「……」

どんなに上手く演技したとしても、その者の雰囲気まで正確に表現出来る者は数少ない。存在しない人間を演じるならば雰囲気が違ったとしても違和感を覚える事は無いが、実在する人間を演じているのならば少しの動作でそれに気付いてしまう。私の様に神経を張り巡らせている人間が相手なら特に、そして他者を演じる者が“人を騙すのが苦手な人間”ならば尚の事。

居心地の悪い沈黙が流れる。相手は私に悟られるとは思ってもみなかったのだろう、全身から漂う気配は動揺し切っている。子供相手にこれ以上追求するのも酷だ、と相手の出方を待つ事にする。鉢屋三郎を演じている者は、視線を右往左往させると、静かに溜め息を吐き、私の目の前に腰を下ろした。

「…今回は僕が三郎の真似をしましたけど、この顔は元々僕の物ですからね」
「…と、言うと?」
「三郎は普段、僕の顔を借りて生活しているんです。自分の顔を隠して」
「血縁関係にあると思って居たが、違ったか…」
「双子でも無ければ、血縁関係も無いですよ。僕の名字は鉢屋では無く、不破ですし」
「……ぼんやりとした響きだな」
「良く言われます」

認めたくは無いが、鉢屋の変装の腕は並外れているのだろう。鉢屋の顔を思い出しても、今目の前にある不破の顔と瓜二つだ。けれども不破自身の持つ柔らかな雰囲気までは、完璧に表現出来る物ではない。それは鉢屋の真似をする不破にも言える事だ。鉢屋の持つ小憎たらしい雰囲気を、不破が完璧に表現する事は出来ない。

不破は花が綻ぶ様にゆっくりと表情を和らげ、そっと口を開いた。矢張り鉢屋の真似は無理だろうと確信してしまったのは、その笑顔がひどく優しい物だったからだろう。

「昨晩は申し訳ありませんでした」
「…それは何についての謝罪だ」
「三郎がした事、そして僕が不躾な態度を取ってしまった事。全体的に、です」
「…鉢屋がした事までお前が謝る必要は無いだろう。それに、お前が私を睨んだのは友を傷付けられそうになったから。当然の反応だ、謝る必要は微塵もない」
「……散々悩んで来た甲斐はあったかなあ」
「は?」

不破の言葉に思わず聞き返してしまうと、不破は文句無しの笑顔を浮かべて、私の隣に座り直した。

「ちょっと話しませんか?」
「別に構わないが…」
「ああ、大丈夫です。人払いは済ませてあるんで!」
「……人払い?」
「ええ。名前さんとお話したかったので、友人に人払いして貰う様に頼んでおいたんです」
「…この辺りに人が居なかったのは、」
「僕達のせい、かな?」
「……」

私が悩んだ原因はこいつにあったのか…。何が非常事態令だ、何が熟練者の監視だ。全部私の思い過ごしじゃないか。今なら羞恥のままに切腹出来そうな気がする。

「(叱って下さい、副長…!)」

思わず顔を覆ってしまった私に対して、不破は不思議そうに首を傾げ、再び表情を和らげるのだった。



思い違いと、春の微笑み

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