至極当然の反応




自分が此処では不審者であり、屋敷内を自由に動けぬ身だという事は十二分に承知している。いや、承知していたと言った方が良いだろう。不可抗力とはいえ、私はその事実を綺麗さっぱり忘れさり、屋敷内にある倉の脇に居るのだから。此処が何の為の倉なのかは分からないが、こういった場所には備品なんかが仕舞われている物。迂闊に近寄れば要らぬ疑いをかけられ、自分の立場を危うくする。…そう冷静になればきちんと分かっているのだが、なめくじを突き出された衝撃で取り乱し、そのままの勢いで無意識のまま走り出していた。疑われているという事、そして昨夜の一件で私自身の命が狙われているという事を忘れて。武士にとってあるまじき醜態を晒してしまった。動揺している間は良いが、一度冷静になるとあまりの取り乱しっぷりに目を覆いたくなる。穴があったら入りたいとは、まさに今の事だ。いっそのこと石っころになりたい。いや、砂でも良い。紛れて隠れてしまいたい。


乱れた息も漸く落ち着き、ふぅと息を吐きながら倉の壁に寄りかかる。急激な運動のせいで傷口は痛むが、開いた形跡は見られない。やるべき事が山積みだというのに、また傷口が開き寝込む事になったら自己嫌悪の渦から一生逃れられなくなるだろう。基本的に過去の失敗から逃れられなくなる質の人間だ。墓場まで引きずる事は間違いない。

此処は学園でいうと、どの辺りに位置しているのだろうか。朝日に照らされた倉や木々、そして道には全く覚えがない。保健室と大川殿の庵、そして正門ぐらいにしか脚を運んでいないのだから当たり前と言えば当たり前なのだが。倉に何が入っているのかは分からない。だが、もし此処に火薬や武器等の収納場所だったら──その倉の傍に居る不審者の末路など、容易に解る。

周りの気配を確認し、足早に倉から離れる。昨晩のような視線は辺りに無く、不自然に消えている気配も無い。一人、二人追跡者が居ても良い気がするのだが…疾走する私を誰も目撃しなかったのだろうか?そうも考えたが、そんな訳ないと自分の考えを一蹴する。子供達が共同生活をしているらしいが、朝だというのに静か過ぎる気がした。子供は五月蝿いもの、という印象が強い私にとって、この静さは異常のように思える。もしかしたら、私が保健室を飛び出した瞬間に、非常事態令でも出されたのだろうか?不審者が恐怖を一瞬でも感じてしまうのだから、これが大川殿の考えた侵入者対策なら天晴れとしか言葉が出てこない。

考え過ぎか、それとも策の中か。考えても答えが出ないのなら、もういっそのこと──

「──此処は関係者以外立ち入り禁止ですよ」

私の思考を遮るように、突然聞き慣れない声が聞こえた。子供にしては随分低い声だな、と振り返ってみれば、顔立ちの整った利発そうな少年がそこに居た。

「…すまない、迷ってしまった様だ」
「何処へ行くつもりだったんですか?」
「何処へというか…勢い、というか」
「……」

歯切れ悪く言葉を紡げば、少年の大きな瞳が訝しがる様に細くなった。要らぬ警戒を与えてしまったようだ。最も私を不審者と断定し、一方的に生徒を襲った犯人として私を認識している彼等にとって、警戒は決して要らぬものではないが。

何とも言えない空気が流れる。皮膚がぴりぴりと音を立てているのが解る。下手に動けば、間違いなく切りかかられるだろう。子供に負ける気は更々ないが、得物も無く、深手を負った身を考えれば、不利なのはこちらだ。今の私は、忍の素早い動きに対応出来る身体ではない。まあ、でも負けるつもりはないが。相打ちになったとしても絶対負けてなんかやらないが。

「勢いで此処までいらっしゃったと?嘘を吐くならもっとマシな嘘を吐いて頂けますか、反応に困ります」
「…勝手に困れば良い。私は何一つ嘘は吐いて居らん」
「…ならば何が貴女を勢いづかせたかお聞かせ願えますか?」
「それ、は…」

…言わぬ、という道はないか?なめくじに動揺して保健室を飛び出した、なんて本気で言いたくないんだが。思わず口ごもってしまった私に、少年は「言えない理由があるんだろう」と言わんばかりに目を細める。企みがある訳じゃあないから言おうと思えば言える、しかし私の矜持がそれを許さない。何かこう、子供に舐められそうな気がして。馬鹿にされそうな気がしてな!

「…」
「…」

無言が続く。今にも飛びかかって来そうな少年を警戒しつつ、上手いように事が運ぶ案はないかと思考を巡らせる。なれど理由を聞かれ口ごもってしまった私には、真実を話し、保健室に居るだろう子供達の証言を貰う以外の道は残っていない。こういう時烝や一が居たのなら上手い具合に話をはぐらかして、逃げ道を作ってくれるのだが──この場に居ない人間に助けを求めたって、現状は変わらないがな。これから私は一人で生き、新選組の行方を探さねばならん。甘ったれた根性では、見つかるものも見つからないだろう。これくらいの障害、自力で乗り越えてみせる。なめくじの事を話さずとも!

そう意気込み少年を見れば、先程と変わる事なく疑いの眼差しを私に向けている。眼力のある人間に凄まれると、なかなか迫力がある。子供だったら泣き出しているかもしれない。特に策がある訳ではないが、先ずはこの疑いきった眼差しを何とかせねば、と口を開く。しかし私が言葉を発するよりも早く、目の前の少年が固い声で話し始めた為、私の声は言葉にならず、吐息と共に空気中に消え失せた。

「何の目的で学園にいらしたのかは存じませんが、此処の者に手を出すなら容赦しませんよ」
「…誤解があるようだから言っておくが、私は此処の者に危害を加える気は微塵も無い」

そうきっぱり言い切ると、少年の目が訝しげに細められた。昨晩の件は、学園中に広まっているのだろう。暫く此処で厄介になる事にはなったが、歩き回る度にこういったやり取りをせねばならんのかと思うと、今すぐにでも出て行きたくなる。先を思い漏れた溜め息に、少年は顔を歪ませ、眉を吊り上げた。疑っている人物にこんな態度を取られれば、腹も立つだろう。けれど、彼に申し訳ないという気持ちは微塵も浮かばない。むしろ哀れだと思う。彼は無実の人間を疑い、そして、その人物の反応に逐一腹を立てているのだから。まあ、私が無実だと知る人物は、今の所私しか居ないがな。

気まずい空気を感じ、かしかしと頭を掻きながら溜め息を吐く。若年者特有の熱さというのは、どうも苦手だ。人より冷めていたと言われる私でも、こういう時代があったのかもしれないと思うと背筋がむず痒くなる。もし周りに「熱いな、若いな」なんて思われていたとしたら…本気で死にたくなる。何だか妙な気恥ずかしさを覚え、ぞわりと肌が粟立ち始めた。それを振り払うように頭を振り、溜め息と共に口を開く。

「私の言葉が信じられんのなら己が眼で見極めるんだな。くだらん押し問答など時間の無駄だ」
「…何故私が貴女に説教されなくちゃいけないんだ」
「貴様が未熟だからだろう?」
「っ!」

顔を真っ赤にさせて憤る少年に背を向け、保健室を目指して歩みを進める。歩き出してから「こっちであってるのか?」と一抹の不安が過ぎったが、今更少年に聞ける訳もなく、不安を振り払いながら脚を動かす。道はきっとあっている、と自分を納得させながら。


踵を返してからは背後から声が掛かる事も、逆上して襲われる事も無かった。背後にある気配は不気味な程静かに、ただ私の背を見詰めるだけだった。



生真面目な少年は、朝日を受けながら一人佇む。
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