真夜中の話し合い




処罰を下されると身構えていた私を庵で迎えたのは、苦笑を浮かべた寝間着姿の大川殿だった。寝ている所を叩き起こされたのだろう、微かに声が枯れており、瞳もとろんとしている。その隣では鼻息荒く正座をした犬(正座しているが姿は犬だ、間違いなく)が大川殿に睨みをきかせている。良くは分からないが、大川殿を起こす際に一悶着あった様だ。ことの発端は全て私(あと鉢屋)にあり、そのせいで大川殿達に迷惑をかけてしまったのは素直に申し訳ないと思う。部屋に入って早々に頭を下げれば、大川殿は「気にする事はない」と言って頭を上げる様に託した。隣で犬も独特の鳴き声を上げて頷いて居たので、素直に二人の言葉に従った。というか…犬って腕組みして頷けただろうか?へむへむではなく、わんと鳴かなかったか?状況が落ち着き、その時私が生きて居たなら聞いてみたいと思う、君は犬か、と。

「大体の状況は聞いておる。うちの生徒がすまなかったのぅ」
「…現状を考えれば挑発してくる者が居ても可笑しくは無かった。なれど私はその可能性を考えず、あまつさえ挑発に乗ってしまったのだ。非は全て私にある」
「しかし鉢屋が手を出さなければ、名字殿も手を出す事は無かったじゃろう。まあ、武士として生きる者としてはあまりにも感情的になり過ぎだがの」
「…申し訳ない」

確かにその通りだ。剣を握る者として、感情のまま暴走してしまうのは死活問題になる。相手に何を言われようとも気を落ち着け、感情に飲まれぬ様努めよと昔から言われて居たというのに…副長に知られたら拳骨だけでは済まんだろう。局長にもお叱りを受けるかもしれないし、下手すると山南さんにも…──そこまで考えたが脳裏に恐怖映像が浮かんで来たので、無理矢理思考を取りやめた。下手な幽霊なんかよりも恐ろしい、恐怖の世界があった。自分が悪いとは言え、あの三人に同時に叱られるのだけは避けたい。想像だけでげっそりしてしまうのだ、実際だったら…多分、死んでしまうだろう。いや、絶対死ぬ。

私が想像で怯えているとは露知らず、大川殿は茶を一口飲みながら宙を仰いだ。

「今回の事で学園の中には、お前さんを排除しようとする者も出て来るじゃろう。気をつけなされ名字殿、此処に集う者達は忍びの技を学んでおる。くれぐれも暗殺されぬ様に」
「……それだけ、か?」
「それだけとは?」
「原因はあちらにあれど、私は子供に危害を加えようとしたのだぞ?普通なら私を追い出すなり処罰するなりしなければならんだろう?」

きょとんとする大川殿にそう言えば、彼は突然くつくつと笑い始めた。罰を与えられるのだろうと気構えていた私には、予想外の反応である。涙を拭いながら呆然とする私を見やった大川殿は、未だ笑いの残る声で話し始めた。

「先に言うたじゃろう、鉢屋が手を出さなければお前さんも手を出す事は無かった。つまり名字殿を処罰する状況を鉢屋が無理矢理作り出した様なもの。ならば裁かれるべきなのは名字殿ではなく、鉢屋じゃろう」
「…しかし、だな。人が来なければ私は鉢屋を殺していた。そんな危険な人間を懐に抱え込んだままというのは、どう考えても可笑しいだろう?」
「鉢屋は優秀じゃ。そう簡単に殺されたりはせんよ」
「いや、そうだとしてもだな…」
「何じゃ、お前さんは罰せられたいのか?」
「そんな訳なかろう」

ばっさりとそう言い切れば、大川殿は再び笑い始めた。一体何が可笑しいというのか、私には全く分からん。訝しげな表情を浮かべている私と笑い声を上げる大川殿、そして溜め息を吐く犬。犬がやれやれと溜め息を吐く物なのかと疑問に思ったが、今気にすべきなのは犬よりも馬鹿笑いをする大川殿と、今後の私の処遇についてだろう。気になるが、今は犬は無視しておこう。今は。ごほん、と咳を一つ落とせば、大川殿は涙を拭いながら「失礼」と震えた声を紡いだ。

「…笑いが治まったのなら私に理解出来る様に説明して欲しいのだが」
「説明も何もそのままの意味じゃよ。そなたにはこのまま此処で療養して貰う、そして処罰は与えん」
「…皆が納得するとは思えんが?」
「だからこそ暗殺されぬ様気をつけろと言うておるんじゃ」

何故危険視されている人間を此処まで庇うのか、私には理解出来ない。納得する説明を貰えず溜め息を吐く私に、大川殿は微笑みを浮かべた。

「正直に言えば、お前さんを殺すのも追い出すのも簡単じゃ。なれどそれではいかんと思うておる」
「…何故?」
「土井先生の話では、名字殿は未来から来たらしいの」

矢張りその話も聞いて居たのか、と溜め息が零れた。肯定の意を込めて頷きを返せば、大川殿は笑みを浮かべて茶を啜った。先程までは大川殿の笑い声が響いて居たが、今室内に響いている音は我々の呼吸の音だけ。居心地の悪い空気だ。鉢屋の様に馬鹿にする訳でも無く、土井殿の様に混乱する訳でもない。ただ静かに私の言葉を受け入れている。そうされてしまうと、私はただ大川殿の言葉を待つしかない。

静かにその時を待つ私に、大川殿は小さく溜め息を吐きながらゆっくりと口を開いた。

「此処が“過去”だと信じておるのか?」
「…いや、信じてはおらんな。確信に至る証拠がまだ無い。なれど土井殿の話が嘘だとも思えん」
「まだ混乱しておるという事じゃな」
「…ああ」

土井殿が鉢屋の様な人間だったのなら、馬鹿な話と一蹴出来ただろう。しかし彼はお人好しで、自分の生徒を心から信頼している優しい男だ。あんな嘘を吐く様には思えん。前髪を掻き上げながら溜め息を吐けば、大川殿は顎に手を当てふむ、と同じ様に息を吐いた。

「名字殿が状況が理解し、答えを出すまで、此処に居るべきじゃと儂は思う」
「しかし私には早急に帰らねばならん場所がある。斯様な所でのんびりとしている暇はないんだ」
「…現状把握が出来ておらんのに、無闇に動くのは得策ではない。それに帰ると言うても、何処に帰ると言うんじゃ?」
「それは勿論、新選組の元へ…」
「ならば今その新選組は何処に居る?」
「──っ、」

新選組が何処に居るのか、今の私にはそれを知る術は無い。北上し会津を目指して居る最中なのか、それともそれより北の仙台に向かったのか──或いは進路を変え、全く別の場所に居るのか。幾らでも想像は出来る、しかしその答えは何処にも無い。町に出れば新選組の行方を知る者に出会えるだろうか?しかし本当に此処が過去だったら?私の知らぬ世界だったら?

私は、永久に新選組に戻る事が出来ない。

一気に込み上げて来た不安感や恐怖感に胸が潰されそうになる。全身の熱が引き、目の眩みが起こる。幼い頃から共に過ごして来た者達と離れるというのは、こんなにも不安で恐ろしい物なのか。頭では分かって居た筈だ、私が今どんな状況なのか。それでも心は理解していなかった、態と知らぬふりをしていた。心が自分を守る為に、私という人間が潰れてしまわぬ様目を背けていた。それを大川殿はたった一言で私に悟らせたのだ。

床板を見詰めたまま言葉を失う私に、大川殿は静かに言葉を紡ぐ。幼子に悟らせる様に、ゆっくりと、温もりのある言葉で。

「名字殿、今宵はゆっくりと休まれよ。また明日、落ち着いた頃にもう一度話の場を作ろう」
「…すまない」
「気にするでない。今晩は護衛もつける、安心して眠られよ」

安心して眠られる筈もないが…大川殿も分かって居て、敢えてそう言ったのだろう。額に手を当てながら頷きを返せば、満足した様な吐息が聞こえた。

「土井先生、名字殿を部屋まで送ってあげなさい」
「…承知しました」

大川殿がそう言葉を掛けると、何処からともなく土井殿が現れ、怪我をした私を庇う様に背中に手を回した。その気遣いを素直に受け取り立ち上がれば、妙にふわふわした感覚が私を襲う。心労が嵩んだせいで、一気に身体へ疲れが回ったのだろう。しかし今この場で倒れる訳にもいかないと足へ鞭を打ちゆっくりと歩みを進めた。土井殿が何かを言おうと口を開いたのが見えたが、その唇が言葉を紡ぐ事は無かった。

「──名字殿、決して自分を見失うな。どんな状況に陥ろうと、な」

変わりに聞こえて来た大川殿の言葉は、初めて対面した時と同じ物だった。あの時は何を言って居るんだと訝しく思ったが、今は違う。その言葉に、救われた自分が居た。

「…大川殿、礼を言う」
「年寄りの戯れ言じゃ、気にするでない」

この男は“味方”だと直感的に感じたのは、絶対に間違いではないだろう。



初めて感じた孤独
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