中・短編 | ナノ



由仁が不調を自覚した時には既に体調はすこぶる悪く、白い顔で風呂場と自室の間の廊下に座り込んでいたところを近侍様に見つかった。

「主……?っ、主!」

呼んでから駆け寄ってくるまで数秒とない。
ストラの残像が見えるほどの勢いでやってきたへし切長谷部は一瞬の躊躇もなく床に膝を着き、由仁の顔色を確認して自分の方が死にそうな顔をした。夜ご飯にピーマンが出ると知った時の秋田と同じ顔だ。思わず噴き出した由仁の前で、長谷部が可哀想なほど狼狽えた。

「あ、あるじ、どうなさったのですか。急に笑いだすなど……」

良くも悪くも忠義に篤い彼はそこで言葉に詰まる。変だとも、おかしいとも言えなかったのだろう。
「……ふふ。ごめん、思い出し笑い。」
「いえ、その…………主が俺を見て笑ってくださるならそれほどの幸せはありませんが、何分顔色が……」
「変?」
「そっ、そんなっ、そんなことは……、」
ないのですがモゴモゴ。語尾を隠す様はまるで人のよう。
心配そうに皺が寄せられた彼の眉間に触れたいと思った。そ、と妙に痛む腕を伸ばす。辿り着く前に大きくて冷たい手に捕まえられて、長谷部がビックリした猫のように顔色を変えた。

「主、お身体が熱した鉄のようです。これはどうして……主?主!!」

長谷部の焦った顔と声を最後に、由仁の意識はプツリと途切れた。






「高熱、喉の痛み、関節痛……おそらく『いんふるえんざ』だな。」

主の部屋から出てきた薬研が言って、刀剣達は首をかしげた。

「『いんふる』……な、なんだって?」
「『いんふるえんざ』。大将の時代では一般的な流行り病さ。お前ら近づくなよ。いくら末席とはいえ神は神だ。刀剣男士に感染りはしないだろうが、騒がしいのは大将が辛い。」
「そんなの、手っ取り早くポンポンすればいいんじゃないかい?」

提案したのは次郎太刀で、鯰尾と骨喰が素早く同意した。

「そうですね!手伝い札も使えばすぐに元気になりますよ。」
「使った分は、俺が遠征で取ってこよう。」
「……あのなぁ、大将は刀剣じゃねえんだ。手入れじゃ治らないぞ。」

その言葉にその場に集まっていた刀剣の内の8割が意外と言わんがばかりに目を丸めたから、薬研は苦笑いするしかない。

「とにかく、大将が元気になるまで面倒は起こさないでくれ。」
皆が頷いたのを確認してから、先程驚いた顔をしなかった太郎太刀に目を向ける。
「出陣はしばらく控えてほしい。代わりに、本丸周辺の見回りに行っちゃあくれねえか?今はまだ静かなモンだが、大将があの様子だ。本丸を覆っている結界が崩れるかもしれない。」
「……何故私を見るのですか」
「ハハ、悪ィな旦那。太刀連中は夜目が利かねえだろ?見回りは短刀やら脇差やらに任せて、アンタが部隊の指揮を取ってくれ。結界だとか札だとか、そういうモンにも詳しいしな。」
「…………分かりました。」

神妙に頷いた巨躯の背を、弟刀が豪快に叩く。激励のつもりだろうが相当痛そうだった。
にも関わらず、太郎太刀は微動だにしない。彼はよく通る声で本日の第一部隊から第三部隊までの面子を静かに呼びつけ、彼らを伴って広間の方へと戻っていった。

「……ねえ、」

残ったのは加州と大和守。
緊張した面持ちの彼等が考えていることなど言わずとも知れたから、真剣な眼差しに笑顔で返す。

「主、死んじゃわないよね……?」
「当たり前だろ。」
「……それならいい。」

そうは言ったが硬い表情のままの加州が、黙り込んでいる大和守を引きずっていった。





「……で、だ。」

チラリと見上げた仲間は一言も発さず、廊下の真ん中に呆然と立ち竦んで主の部屋を見つめている。
薬研は射干玉の黒髪をバリバリ書いて明後日の方を向いた。
(どうしたもんかなぁ……)
普段しっかりしているからこそ、こうなった長谷部は『面倒くさい』のである。

「……俺のせいか。」
「ん?」

なるべく優しく先を促した。

「誰からも、何からも護ると決めて、近侍の任を拝命した。それなのに主の体調不良に気づけなかったのは俺の怠慢か」

うわ、今回の落ち込み方はそのタイプか。一番めんどくせえな。薬研の頬が引き攣る。

「……それは違うぜ。俺達は刀だ。病なんて目に見えないものは斬れんだろう。」
「石切丸には斬れる。」
「あのお人は特殊例だ。」

見ている方が可哀想になってくるほど消沈した長谷部は佇まいすらも元気がない。少しずつ心情を吐露しだした彼はやがてユルユルと大きな両手で顔を覆い、


「お守りしたかった……病からも……。」


この辺りで面倒くさくなった薬研は長谷部の腕を引っ掴み、由仁の部屋へと放り込んだ。

「や、薬研っ!?」
「悪ィ、旦那。俺っちはこれから薬を作って来るから、その間大将のことよろしく頼むな。」

ピシャリと言って襖をしめた。




襖は無情にも閉められた。
恐る恐る振り返れば由仁が静かに眠っている。息をすることすら罪に思えて、長谷部は慌てて両手で鼻と口を覆った。

「…………………………。」

ややもすれば落ち着いてきて、眠る主の妨げにならぬよう静かに静かに息をつく。
呼吸が安定すれば余裕も生まれた。音も立てずに忍び寄り覗き込む。

それは決して安らかとは言えない寝顔だった。顔色は紙のように白いのに頬ばかりが赤く火照る。汗に濡れた前髪。血の気の失せた唇は苦しさに喘ぎ、眉間に皺も寄っていた。寝苦しいのか、眦に涙の珠が浮かんでいる。
甘露に誘われる蝶のように手を伸ばして、ふと、由仁の目が開いていることに気が付いた。

望月よりも早く手を引っ込める。

「うわっ!あっ、あのっ、あるっ主!これはそのっ!」
「……はせべ?」
「はっ!」

由仁は笑った。弱々しく。

「ごめんね、ビックリさせて。運んでくれたの?」
「は、はいっ」


「ありがとう」



己は刀だ。
雷に撃たれたことなどないが、実際撃たれたらこのような衝撃だろう、と思った。
お辛いだろうに、苦しいだろうに、それでも家臣を思いやる由仁の誇り高さに胸の真ん中を蹴り飛ばされたような気さえした。

「由仁さま……っ、」

ああ、己の主はこの人なのだ……!
震えるほどに愛おしい。
由仁のために何かしてあげたい衝動が湧き上がる。

お腹は空いていないだろうか。喉は乾いていないだろうか。この部屋は少し埃っぽい気がする。掃除をするべきだろうか。そういえば今日の任務はどうしたのだろう。
由仁のため、由仁のために、何か、何か、何か、何か……

「由仁様、お飲み物はいかがですか」
「由仁様、お身体をお拭きしましょうか」
「本日の業務なのですが、どこまで代わりにやったら良いでしょう?俺が手を出しても宜しいですか?」
「由仁様」
「由仁様っ」
「由仁様っ、」


戻ってきた薬研に首根っこを掴んで部屋から追い出された。






長谷部は縁側に座っていた。

表情はなく、目は遠くを見ているようでどこも見ていない。足元に鳥が群れても気にしない有り様で、鶴丸は首を捻った。
「なぁ、長谷部のやつどうしたんだ?」
あんな彼の様子は面白くもない。なにせ割とよくある事だから。
普段と変わらぬ様子で将棋を打っていた小狐丸と三日月宗近に問う。
「さあ……」
「はっはっは。この爺より先に呆けるなど、笑い事にもならんな。」
ヒソヒソ言う三条と五条の居残り組の前を燭台切光忠が通りかかった。

「おっ、光坊!丁度いいところに」
「なぁに、鶴さん。夕ご飯ならまだ先だよ」
「違うって。ボケ老人扱いはよしてくれ。そうじゃなくてな。あれ、どうしたか知ってるか?」
「あれ?」

鶴丸の白い指がさした先を見て、光忠は苦笑した。

「長谷部くんね。主の看病がしたくていろいろやってたら、五月蝿い!って薬研くんに追い出されちゃったんだって。僕達は風邪を引かないから、何をして欲しくて何をして欲しくないのか、きっとイマイチ分からないんだよね。」
「な〜るほど。ま、別に驚くことでもなかったな。予想通りってやつだ。」
「さっき僕のところにも来たんだ。『主に何か美味いものを食べさせてやれないか』って。でも由仁ちゃん、まだゼリーも食べられないくらい具合悪いんだよ。もう少し落ち着くまで無理だって言ったら、ああなっちゃって。」
「ぜりぃも食べられぬほど……おいたわしや、主様。この小狐が膝枕で癒してさしあげましょう。」
「やめておけ、小狐。主の枕元には今、我らより何倍も怖い短刀様が侍っておるぞ。」

冗談を言った三日月が進めた駒は決して冗談とは言えないような手で、小狐丸は血相を変えて盤上に張り付いた。
鶴丸は腕を組む。

「うーむ。心配だなぁ。」
「そうだね。早く元気になってくれればいいんだけと、僕らには人間の体はよく分からないから……」
「主のことも勿論心配だがな、それだけじゃないさ。長谷部が、だよ。」
「長谷部くん?」

本丸一のイタズラ小僧、驚きジジイこと鶴丸国永はニヤリとした。

「ま、此処はこの鶴丸国永に任せときな!」
「ちょっと鶴さん。長谷部くん今落ち込んでるんだから、そっとしておいてあげなよ。」
「いやいやいや、早く元気になるにはささやかな驚きも必要だって。な?」

それだけ言ってドタバタと何処かに消え、数分でドタバタと帰ってきた彼は、縁側で廃人になっている長谷部にそっと忍び寄る。
偵察値と隠蔽値の差で普通なら気付かれてもおかしくないが、生憎と今の長谷部は腑抜けであった。余りにも度が過ぎたイタズラなら止めてやろうと親切心から見守っている光忠の前で、ついに鶴丸が長谷部の背後に辿り着く。




フワッ




長谷部から見れば、空から雪が降ってきたように見えた。それも沢山。
しかしその雪は冷たくもなく、溶けもしない。長谷部の頭にただただ降り積もるそれを目で追いかけて、淡く桃色がかったそれよりずっと白いものを見つけた。
「よっ!」
上下逆さまの鶴丸国永である。

「……なんのつもりだ。」
「何って、別に。タダのイタズラさ。君を驚かせてやろうと思ってな。」

思っていたよりずっと平和的なイタズラに胸を撫で下ろしていた光忠に気付く余裕はまだないようだが、長谷部は漸く話ができる程度までは復活したらしい。髪に、膝に、縁側に降り積もったそれを指先で1枚摘む。

「桜……いや、梅か?」
「ああ。何日か前に裏山で咲いているのを見つけてな。綺麗だろう?主に見せてやるといい。」
「主に?」

長谷部の脳裏に、最後に見た弱々しい由仁の姿が蘇る。
苦しそうだった。

なんの役にも立てず、煩わしさだけ味わわせてしまった。

「俺は……」
「それは落ちていたものだが、主に見せるんだ。いっとう綺麗なものを手折って持っていけよ?桜折る馬鹿梅折らぬ馬鹿と言うし、何よりずっと部屋の中では気が滅入る。」

鶴丸国永は血の気の失せた主よりもまだ白い腕で長谷部を引っ張った。

「なあ、知ってるか長谷部。人の子には『心』というものがあるんだ。」
「……馬鹿にするな。それくらい分かっている。」
「いや、分かってない。だからそんなに落ち込んでいるんだろう。具合の悪い主が、自分のために一生懸命やってくれる君を見て、五月蝿いだとか、煩わしいだとか、思ったと思うか?」

ハッとした。眼裏の苦しい顔が掻き消えて、赤い顔で笑った由仁が思い出される。

「『心』を元気にしてやるのだって、看病のひとつなんだぜ」

最後まで聞くか否かというレベルで、長谷部は梅を探しに走り出していた。
「裏山だぞー!」
鶴丸が叫んで、残る3振りは噴き出した。



◇◇◇◇



長谷部はただただ大人しく、由仁の枕元に侍っていた。今度は間違えない。決心は固く、顔を見た薬研が何も言わずに通してくれたほどだ。彼は追加の薬を作りに自分の部屋に戻っているから、今は由仁とふたりきり。
長谷部は由仁のこめかみを伝う汗を拭い、顔にかかった前髪を左右に分けてやる。

「主……、」

ぽつりと呟いた声に応えはなく、呼ぶ声だけが宙に浮いていた。
由仁は先程漸く寒がるのをやめた。薬研によると、それで熱は上がりきったらしい。後は下がるだけだそうだ。それでもやっぱり心配で、鼻の前に手を翳しては息をしていることを確かめたりしていた。

翳した手のひらの向こう、長いまつ毛がふるふると震える。

「……んぅ、」
「主?」
「やげ……んじゃない。長谷部だ。」
「はい、長谷部です。先程はお見苦しいところをお見せ致しまして、申し訳ありませんでした。」
「……ううん、嬉しかったよ。心配してくれてるんだなって。」

脳裏で「ほらな!」 と笑った鶴丸は黙殺することにする。喋るのに邪魔そうな前髪をかきあげてやれば、オデコに触れた手に由仁が擽ったそうにした。
「長谷部、手冷たい。」
そのまま焼けた鉄のような熱さの手で長谷部の手を包み、焼きたての餅の熱さの頬を寄せる。
今この瞬間以上に、刀剣男士ゆえの体温の低さに感謝したことなどないだろう。鉄屑は由仁に温められて、ゆるりと境目が分からなくなっていく。

薬研の姿を探してか、ふと部屋に視線を巡らせた由仁が枕元の平皿に気が付いた。

「これ……」

歌仙先生監修のもと、梅の白さを際立たせる水盆は黒に金の飾り模様。

「……主のためにと取って参りました。こんなことしか出来ず申し訳ないばかりですが、その……き、気に入って頂けたでしょうか。」

返事が怖くて俯く。余計なことをと怒られたらどうしよう。
ドキドキと緊張に胸を高鳴らせる長谷部を他所に、由仁は「起こして」と手を伸ばした。

「え、でも」
「もっと近くで見たい。」
「……は。」

熱い体を抱え起こすと由仁の匂いが強くてクラクラした。
「綺麗……」
貴女の方が、よほど。
口に出来たらどんなに良いか。

「あのね長谷部。」

腕に抱く由仁が口を開いた。返事をしようにも長谷部から見えるのは由仁の後ろ頭ばかりだ。顔を見ずとも失礼ではないか考えあぐねていたところに、由仁が畳み掛けてくる。



「貴方、私の機嫌を損ねると捨てられると思っているでしょう。」


由仁の手はこんなにも熱いのに、冷っこい手で心の臓の裏側を撫でられた心地がした。



「だからあんなに一生懸命なのね。人の体がどういうものか分からないのに。」
「主、俺は、」
「捨てないよ。」

熱い手。長谷部の手に重なる。

「……捨てないよ。」

欲しい言葉だった。
病気で心細いだろう由仁を励ましたかったはずなのに、気付けばあやされていたのは己の方だ。

情けなくて、嬉しくて、切なくて苦しくて熱くて、由仁の後ろ髪に頬を擦り付けた。





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(170217)






月さん誕生日おめでとうございます。
月さんのイラストをイメージして、淡く切なくほんのり現実離れした雰囲気を目指しました。
これからもよろしくお願いします。





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