中・短編 | ナノ







「最近頑張り過ぎなんじゃなイ?」

次のライブについての話し合いの途中、脈絡もなくそんなことを言われて、きっと私は間の抜けた顔をしたんだと思う。夏目くんは苦く笑って、
「くま」
とだけ言った。傾げた頭の中ではトイランドライブで使ったテディベアが飛び跳ねながら手を振っている。

彼の言う「くま」が下瞼に飼っているもののことだと気付くのには少々時間が必要だった。察しの悪さすら疲れのせいだと言われてしまえば私にはもう何も言えない。
「睡眠時間は?」
「……6時間」
「嘘だネ。1時間。」
「なんで知ってるの?」
「魔法使いだかラ」
他人の睡眠時間を知る魔法があるとは思えないが、ないとも言い切れない。そもそも夏目くんなら会話の端々から相手の生活リズムを割り出すくらい簡単にやってのけそうだな、と黙り込んだ私を他所に夏目くんはテキパキと片付けを始める。

「ソラ、モジャ眼鏡連れて先に練習室に行っていてくれル?」
「はぁい。プロデューサーさんの色、今日はちょっと心配だったけど、ししょ〜がついてるなら安心です!」
「無理はよくありませんからね。ゆっくり休んでください。」
「あ、ちょっ……、」

Switch期待の1年生、春川宙くんの体力は計り知れない。放課後だというのに元気いっぱいな彼は、夏目くんに言われるが早いか先輩を連れていなくなってしまった。
「私、まだやれるのに……」
文句は黙殺された。引き留めようと前に伸ばしたまま行き場の無くなった手のひらを、夏目くんが下から掬う。大きな手だ。私と違う、男の子の手。

「今日の予定ハ?」
「Switchのプロデュース……」
「は、今終わったから問題ないネ。保健室行くヨ。」
「い、嫌」

引かれた手を引き返す。
夏目くんは大層不機嫌そうに眉を顰め──ふと閃いたような顔で、片手で抱えていた紙の束の上に人差し指を走らせた。
「っ、」
アレは知っている。私もよくやる、痛いヤツだ。案の定見せられた人差し指の先は1センチ未満とはいえパックリ切れていた。ぷくりと血の玉が浮く。

「……保健室行くヨ。」

今度は嫌とは言えなかった。





4時過ぎの日差しにシーツの白さが眩しい保健室に、佐賀美先生はいなかった。にも関わらず躊躇なくドアを開けた夏目くんは妙に慣れているように見えて、訊ねてみれば至極簡単な答えが返ってくる。
「宙がよく転ぶからネ」
確かに、元気いっぱい走り回る彼はよく転びそう。

バンソーコーはデスクの上の小さな引き出しの中にある。私も何度かお世話になったことがあるので足は自然にそちらに向いたが、夏目くんの手が窓際に引いた。そのまま私をベッドに座らせる。
「夏目くん、傷……」
「それはアト」
「バンソーコー」
「アト」
私の話を聞く気はないらしい。キャスター付きのスツールをゴロゴロとベッド脇まで引いてきて、彼はそこに座った。
ベッドの上と横、座ったままで向き合う。

「これからボクは魔法を使ウ。」
「うん?」
「いいから言う通りにしテ。はい、目を瞑ル!」

慌てて瞑った瞼の上に夏目くんの手が重なった。繋ぐと関節の目立つ男の子らしい手も、これでは何もわからない。
「ボクに呼吸を合わせテ」
触れた瞬間はひんやりと冷たかった彼の手は私の瞼から温度を吸収したようで、じわり、じわりと、触れたところから同じ温度になる。
合わせる様に言われた彼の呼吸はとても緩徐だったから、私は意識してゆっくりと息を吸った。一呼吸ごとに温度は移り、私と彼の境目が曖昧になっていく。
……あたたかい。

「大掛かりな魔法には準備が必要なんダ。そのまま10秒だけ待ってくれるかナ。」
「う、うん……分かった。」
「数えるヨ。いーち……にーい……さーん……しー……」

随分とゆっくり数えるんだな……と思ったのが最後。暗闇と温かさ、規則的な呼吸は壮絶な眠気を連れてきた。実のところ昨晩40分少々しか眠れていない体は甘らかな誘惑に逆らえない。
意識が落ちる瞬間、「やれやれ。まったく、困った子だネ。」という夏目くんの声が聞こえたような気がしたけれど、余りにも優しく、愛おしそうな声音だったから、気のせいだったかもしれない。







再び私が目を開けたとき、保健室はすっかり夕暮れに染まっていた。
「う、うわ……最悪だ……。」
どうやらすっかり寝こけてしまったらしい。

「起きたんだネ。どう?少しはスッキリしタ?」

眠ってしまう前と同じくスツールに腰掛けた夏目くんはライブの資料に目を通していたようだった。時間を無駄にしないところは流石と言うべきなのかもしれないが、まんまと魔法にかけられた身としては素直に賞賛することは出来ない。思わず非難がましい目を向ければ、面白そうに喉の奥で笑った彼に鼻をつままれた。
「ちょっとはマシな顔になったんじゃなイ?」
「私そんなにヒドい顔してた?」
「ハハ、鼻声ダ。」
それは夏目くんが鼻をつまむからじゃないか。

受け流されると分かっていたから文句は言わなかった。代わりに彼の手を捕まえて起き上がる。先細りの指。何も貼ってない。
「……バンソーコー、」
「ああ、忘れてタ。けどもういいヨ。血は止まったしネ。」
そう言って彼は笑ったけれど、もともとこの小さな傷をダシにして此処に連れてこられたのだから腑に落ちないものがある。

ふと思い付いて、私は夏目くんの手を両手で挟み込んだ。
「ねえ、私もひとつだけ、魔法が使えるんだけど」
「そうなんダ?」
「うん。見ててね。」
息を吹き掛けたのはちょっとしたイタズラ。彼がビックリしたり笑ってくれたら上々、ってくらいの軽い気持ちだった。

「痛いの痛いの、とんでいけ〜…………なん、て……」

おでこの前に掲げた手のひらの向こうに見えた彼の顔は真っ赤だったから、私の魔法は思わぬ成功を収めたらしい。
「……バカじゃないノ。」
釣られた私の顔も赤くなってしまったのは、夕日のせいということにした。







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(170203)






梨乃愛さんへ。
まんまと夏あん布教されました。いつも素敵な夏あんをありがとうございます。




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