中・短編 | ナノ



「それで結局、どうして此処に連れてこられたのでしょう?」

しなやかな首の片側を曝して、こてんと頭を傾けた由仁が言った。
ユウマは目を剥く。

「あなたそれ本気で言ってるんです?」
「……その、妄想は出来ているのだけれど、余りにも希望的観測過ぎて確信が持てないの。」
「おそらくその妄想で合っていると思いますよ。」

ユウマは車椅子の前に跪いた。
由仁のたおやかな手を取ると、気を利かせた大人ふたりが一歩後ろに下がる。
おそろしく細い腕。
折ってしまわないように優しく持ち上げて、指先に唇を寄せる。

「先程の、俺の話を聞いていましたか」
「……か、カノジョより凄いものにしてくれる」
「そう。俺は今日あなたと、家族になりに来たんです」

由仁が短く息を吸った。

「由仁、いいですか。これからすることはただのおままごとです。だって俺は十二歳で、あなたには戸籍がない。正式に式を挙げるわけにはいきません。これは形だけの、ただの家族ごっこです。」
「ユウマさん」
「それでもよければ、俺と、結婚しましょう。」
「ユウマさん」
「俺が由仁の家族になってあげます……ってあなた、何泣いてるんですか」
「わたし、もうすぐ死にます。それでもいいの?」
「言ったじゃないですか。『おままごと』だって。おままごとで相手が死んだからって、泣く必要はありませんでしょう」

そうね、と由仁が頷いたから抱き締める。博士か提督かは知らないが、派手に鼻をすする音が聞こえた。

「『おままごと』なので、服はこのままでもいいですか。俺が由仁に送った服です。由仁は紺が良く似合う」
「はい……」
「ベールはありますよ。用意してきました。ほら、由仁の好きなフリルとレース」
「はい……」
「……嬉しくありませんか?」
「そんな。嬉しすぎて夢みたいなの。」

ユウマを見上げた由仁が、腕の中で派手に咳き込んだ。乾いた痛々しい音。合間に犬の鳴き声のような音が混ざりだしたら末期だと聞いた。まだ大丈夫。

「……死んでしまいそう。」
「やめてください。まだ早いですよ」

由仁の冗談はちっとも笑えなかったが、ユウマは綺麗に笑って見せた。

「神父はいませんので、なしでいいですか?」
「先生かヨリトモさんは?」
「彼らにはもっと重要な役目を頼みますので。」

何のために二人を連れてきたと思っているのですか、と言えば由仁は首を傾げた。
その手を取って立ち上がる。

「さあ、由仁。歩けますか?」








日曜の教会。

神父も信者も既に避難して人気が無くなり、煤けてしまった赤絨毯の上を、ナグモ博士に腕を取られた由仁がふらふら歩いてくる。紺色のワンピースの裾を揺らして、ヒールのないサンダルで、一歩、一歩。
普通の花嫁の何倍もの時間をかけてやっとのことで辿りついた由仁を、ユウマは十字架の前でナグモ博士から引き受けた。保護者代わりのヨリトモ提督が涙ぐんでいる。
色の抜けた髪。同じくらい白いレースのベールを捲ると、緊張して白い顔が顕になる。

その頤に手を添えて、引き上げて

片方は紺色のワンピース
もう片方は軍の礼服
ちぐはぐな服装のツクリモノ二人は誓いの言葉すらないまま、
それぞれの保護者だけが見守る前で、

触れるだけのキスをした。


おままごとの結婚式。







家族になったら何がしたいですかとユウマが由仁に問うたら、十七人のわたしの墓参りがしたいと言われた。
戸籍がない由仁達の墓など存在するのかと思ったが、ナグモ博士が簡素ではあるが全員分の墓標を作っていてくれたらしい。博士の元に来てから死んだ子の分は勿論、それより前に死んだ子の分も。

早速博士のラボに行き、並んだ墓標の前で二人して手を合わせた。
小さな墓標は十と七つ。名前は書いていなかった。

「わたしも此処に眠りたい」

ぽつりと言う。
必ずそうすると約束して、博士の家を出た。





翌週、9回目の日曜日。
《code:F》は終了したが、ユウマの姿は由仁の病室にあった。白いカーテンが風に膨らむ。窓は開いていた。
一日の内の半分も起きていられなくなってしまった由仁の隣で、ユウマは彼女の絹糸のような髪を掬って遊ぶ。
それぞれの左の薬指には何も無かった。当たり前のことだ。あれはおままごと。時間が経てば露と消える。

眠りながらにして少女が咳き込んだ。

咳の音。

犬の声みたいだ。





そして、10回目の日曜日。
ユウマが手を握る中、由仁は静かに息を引き取った。
いつものようにぽやぽやとした笑みさえ浮かべた穏やかな最期であったけれど、由仁が目を閉じたその瞬間、一粒だけ零れた涙を、掬おうとして、でも掬えなくて、ああ、零れてしまったな、と、手を、

(手を……)

離したくないと思った。
由仁の手とユウマの手。触れている部分が薄らと汗ばんでいるほど温かいのに、このひとは本当に死んだのか。

死んだ。

死んだのだ。もう目は開かない。蜜色は失われた。


最後にもう一度だけぎゅうと握って、ユウマは勢いよく手を離した。
ふぅー、と長く、肩で息を吐く。

如月優真、十二歳。たった十二年の人生だけれど、その十二年で間違いなく一番の『ボランティア』であった。数え切れない数の他人を救うより、よっぽど価値のあることだ。
如月優真の全てを懸けた『人助け』。
ただひとつの誤算は、彼女がいなくなったことに、自分でも驚くほどの喪失感を感じていることだった。

「博士」

呼びかければすぐさま「なんだ」と低い声で応えが返る。その声が帯びた湿り気に気付かないフリをしながら、この数週間ずっと喉に支えていた言葉を吐き出した。

「Dインストールの準備、よろしくお願いします」
「……正気か?ユウマ。よく考えたのか」
「よく考えたか、という質問に関しては勿論だとお答えしますが、正気かどうかと言われたら、正気ではないかもしれません。ただ、これで俺が出した条件はクリアされました。延期できる理由はもうありません。それに、」

ユウマさん、と声がする。やわらかな声。幻聴だ。
振り切るように由仁に背を向けた。

「……それに、俺が為さなくては。由仁は竜を倒すために生まれた。彼女が出来なかったことをするのは俺で、出来るのも俺だけです。」

さぁ早く。俺の気が変わる前にお願いします。
そう急かすと博士は納得のいかない顔で、それでもああ分かったと頷いてくれた。

「ユウマ。最後にこれだけ聞かせてくれないか」
「何でしょう?」
「おまえは由仁を、愛していたのか」

滑稽な質問だ。

この世の誰もが母親と父親の愛の形として生まれてくる中で、ユウマだけはそれに当てはまらない。愛してくれた親もいない。今のユウマを形作る軍規やルールブック、竜図鑑や戦闘データに、愛とは何か書いてあっただろうか。

「……どうでしょうね。」

ただ、彼女といる時間をいとおしく思う気持ちは自分にもあった。
白い病室。鈍色の風に揺れるカーテンと絹糸の髪。
その真ん中に白皙の娘。

由仁と過ごしてアールグレイを覚えた。由仁が喜ぶかもしれないとクッキーを買った。由仁のために絵を描いた。
あの白い小部屋の中にいるユウマはユウマでありユウマではなかったのだ。竜を屠る人造人間の姿などどこにもなく、ただひとりの少女を慈しむ青年がいた。

「愛というものが何なのか、俺にはよく分かりません。ただ、由仁が死んでしまったら、物凄く悲しいだろうと思っていたのは確かです。そして現に、俺は今とても悲しいのでしょう。よくわかりませんが…………とても胸が痛い。」

そう答えて綺麗に笑って見せたユウマの胸ポケットには、まだ誰にも見せてない、由仁と一緒に撮った写真が入っている。
ぽかんとした間抜けな表情の由仁の隣。
見慣れたはずの自分の顔があまりにもゆるゆるで別人のようだったから、博士にも提督にも内緒にすると決めたのだ。







その後


《Dインストール》は次々に実行された。
ユウマは5体分の真竜のデータをインストールされて世界のエントロピーに呑まれ、ヒトではないものになった。

体は自分の意に反して動き、ヨリトモ提督も死んだ。ユウマが殺した。もう己ではどうすることもできなくなってしまったから、13班が終止符を打ってくれたのは唯一の救いだったかもしれない。

出来ることなら普通の友達に生まれたかった。
今際の際、夢見るようにそんなことを呟いたような気がする。世界の運命を変えた少年少女は泣きながら笑って、ユウマを見送ってくれた。


の、


に、





「ユウマお兄ちゃんのねぼすけっ!」

ドンっ!と腹に軽い衝撃を受けて、ユウマは目を覚ました。
敵襲だろうか。飛び起きようとしたのに体は何故かうまく動かず、のろのろと上がった手はごく自然に腹の上を”撫でた”。

「……”なにするんですか、ミオ ”」

まるで言い慣れたセリフであるかのように、意図せず口が勝手に喋った。襲撃者はユウマの上で笑い声をあげる。

「だって、お父さんが起こしてこいって言ったんだもん。お兄ちゃん寝すぎだよ?せっかく今日は***たちを呼んでパーティーなのに」
「そうでしたね。今日はじゅうさん……ぱ…………」

たった今紡ごうとした言葉がぱちんと弾けて消えたような、妙な感覚が有った。
ん?俺は今何を言おうとしたんだ?

「…………***を呼んでパーティー、でしたよね。すみません。起きます。」
「早く来ないとお父さん怒っちゃうよ!」
「はいはい。行きます行きます。」

もぞもぞと布団から起き上がる。
今日はパーティーだ。イトコの”頼朝澪”の家に居候中の身である優真も参加するように言われている。彼女の父親、頼朝東吾は”警察官”だ。優真の憧れの人。

パーティーと言ってもホームパーティーなので、ドレスコードがあったりするわけじゃない。インナーは適当に決めて、優真は最近買ってまだ一度も袖を通していないアウターに袖を通した。

(最近……?俺はいつ買い物を……)

何だろう。強烈な違和感がある。そもそも俺は何故南雲澪のことを……南雲澪?南雲澪とは誰だ?彼女は頼朝澪のはずだ。俺は……

(俺は…………?)

また言葉が消えた。何を言おうとしていたのか分からなくなる。おかしい。おかしいことは分かるのに、何がおかしいのかが分からなかった。

妙な心地のまま階段を降りてリビングへと向かえば、頼朝”さん”がパーティーの準備をしている。おはようございますと挨拶をして、先に来ていたらしい南雲博士と共に会場の飾り付けに取り掛かった。
紙で出来た花は昨日澪と二人でつくったものだ。

(昨日……?)

違う。昨日は確か、ノーデンす社のありー・ノーでンスガじつハしんりゅうで、おれはソレをタオスタメに、フタゴノシンゾウヲヌキダシ、ジュウサンパンニ

ジュ ウサ ン パ ン ニ


「……夢を見てたのかな」

そうだ。長い長い夢を見た。

13班が成した世界の再構築を、ユウマはそう結論づけた。おかしいとはもう思わない。筋肉だけだった前の体よりやや細い人間の体。感じる違和感を気のせいにしながら、ユウマは紙の花を飾る。
青い色の薄いペーパーフラワー。

来客を告げるチャイムが鳴った。時計を見るが、澪の友達が来るにはまだ早い。
誰だろうかと見に行こうとした優真を制して、頼朝が玄関へと向かった。

すぐに聞こえてきた楽しげな声は2人分。
ひとつは頼朝さん。もうひとつは、

聞き慣れた

というよりも懐かしい

「おはようございます」

優しい声が耳朶を撫ぜる。
姿を見せたのは紺色のワンピース姿の少女。蜜色の瞳に若葉色の髪を持つ、うつくしい娘。

目が合って、娘が柔和に目を細めた。
彼女の名前は憂木由仁。知っている。
17歳。それも知っている。
今はもう消えてしまった記憶の中に、彼女のものがあったのだから。

ユウマは花に誘われる蝶のようにフラフラと由仁に近づいた。彼女は動かない。動かないけれど、生きて、呼吸をしている。

「あ、れ…………?」

気づけば泣いていた。両目からぼろぼろと、まるでこどものように涙が止まらない。驚くのは大人二人ばかりで、澪も由仁も知った顔だ。

「おかえりなさい、ユウマさん。」

由仁が言った。

「それから、ただいま。」


みなまで言わさず抱きしめた。


「結婚してください!!!」





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(151201)





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