中・短編 | ナノ



安土へ帰る道中、幼子の無垢さで由仁が問うてきたことがあった。

「柴田様は何故自由ではないのですか」

勝家は全身に冷水を浴びせられたような心地がしてがたがたと手綱を握る手を震わせたが、その上に細く嫋やかな由仁の手が重ねられてハッと我を取り戻す。

腕の中の天女は大層悲しげな顔をして、何やらいけないことを聞いてしまったみたい、と静かに自らの浅慮を憂いた。
ちがうのです、と絞り出した声は童のよう。

由仁は天女なのだから地上のことを知らないのは当たり前で、知らないことを知りたいと思うのは普通のことで、確かに好奇心は時に身を滅ぼすが好奇心が全くないというのも人としての成長を妨げることであり、つまり何が言いたいかと言うと由仁は全く悪くないのだ……というようなことを早口に告げた。黙ったと思ったら急に勝家らしからぬ早口で雀のように喋り出した勝家を見て由仁はそれはもうお花のように美しく笑っていたが、勝家はいっぱいいっぱいだ。

「柴田様はお優しい」

いつか聞いた言葉。かいなに抱いた天女は歌うように言う。

「お優しいからこそ、きっと色々苦しいのです。わたくしがその苦しさを貰ってさしあげられればよいのに。」

ああ、適わないなと思った。
悪いことをしたのを親に告げる子供のように、ポツポツと全てを語った。

全部全部、勝家が長いそれを語り終えるまで一言も発さなかった天女は、語り終えて息をついた勝家にそっと体を預けた。
勝家はぎくりと体をこわばらせる。
花弁のように麗しい桃色の唇から、まあおかわいそうに、だとか、つらいおもいをしたのですね、とか、分かったような言葉が吐き出されるのを恐れた。

けれど由仁は天女だった。ひとの常識で計ろうなんて恐れ多いこと。

「わたくし、信長様嫌いです」

憮然とした由仁の言葉に、勝家は一瞬呆けて、それから笑ってしまったのだけれど、もしかしたらあの頃から由仁は信長公に大していい印象を抱いていなかったのではないかと思う。
勝家を害するから。勝家を蔑ろにするから。
勝家を。

勝家を。






奥州の青き龍に会った。
伊達政宗と名乗った男は異国風の衣装を纏い、異国の言葉を使う個性の塊のような男で、いつかのようにいっそ清々しくなるほどに勝家を負かした後、ひとつだけの目で真っ直ぐと勝家を見てにやりと笑った。

「気に入った。俺と来い、勝家。」

すくっと立った彼の人。座り込んだ己。
伸ばされた手はひどく甘美な誘いだった。

なんとなく、この手を掴めば全てが変わってしまうような、そんな予感があった。
瞼の裏には由仁の姿が浮かぶ。きよらかでうつくしい、勝家の天女様。今もきっと、勝家がやった御手玉を前に「うまくできません」と泣きそうになりながら勝家を待っている。

けれど今のままでは、由仁はいつまでも籠の鳥。触れ合えぬまま時ばかりが過ぎる。

今一度よく考えた。
傍に居たい。それなら織田にいるべきだ。しかしそれではいつまでもこの腕に抱けぬ。ひどく遠い四歩分の距離から、由仁が少し大きめの声で話すのに相槌を打つくらいしか。そう、そうだ。もし万が一由仁があの榛色の瞳からほろほろと涙を流していたとしたら、それを拭うのは、きっと。

勝家は竜の手を取った。
力強い腕はぐいっと勝家を引っ張り上げて、同時に腰まで浸かっていた暗い沼から引き上げられたような心地がした。

しばらく会えなくなるだろうことだけが、唯一の心残り。





伊達は驚くほどに温かく、与えられるそれに戸惑ってばかりいた。特に伊達政宗ときたら勝家のことをまるで弟だとでも思っているようで、あちらにもこちらにも連れていこうとしては腹心である竜の右目に窘められている。

何を命じられるかと思えば、彼は勝家に「好きにしろ」としか言わなかった。この「好きにしろ」というのが存外に難しい。
とりあえず日の当たる縁側で茶を飲んでみた。
片倉氏の畑仕事を手伝ってみた。
駄賃として貰った己の腕より太い大根を使って、伊達氏と廓に詰めた。

いつ如何なるときも、瞼の裏に由仁の影。


幾度か季節が過ぎて、伊達氏は本格的に魔王討伐に乗り出すという。
今なら聞いてもらえるかもしれぬ、と、深夜部屋を訪れた。

「伊達氏」

呼び掛けに驚くほどの気安さで戸が開く。以前こんなことがあったとき、一端の武士として染み付いた礼儀作法に則って膝をつこうとしたら心底嫌そうな顔をした城主に止められたので、今回はかしずかなかった。まったく呆れるほどに破天荒な男である。

「で?何の用だ、勝家。」
「お願いしたきことがあって、参りました所存に御座います」
「ああ?珍しいじゃねえか。」

政宗は機嫌良さそうに笑って筆を置いた。「珍しいどころか、初めてじゃねえのか」言われて初めて気がついた。長らく人形であろうとしてきた勝家に、自ら希望を持つということは酷く難しい。

ひとつしかない竜の目。にんまりと細められる。

「で?願い事ってえのは?」
「伊達氏は此の度織田を攻められると聞き及びました」
「Right。ああ、そうだ。」
「お救いしたい人がおります。その方の救出の御力沿えと、救出した後、此処奥州に留まる許可を、頂きたく」

伊達政宗はほう、と喉の奥を鳴らした。
「女か?」揶揄うような声音であったが、違いなかったので頷いてみる。

「……Really?」

きょとん、とまるで幼子のように見開かれた目。
紡がれた異国語の意味は分からなかったが、文脈から「本当か?」的な意味だと判断した。

「Cool!囚われのprincessを魔王から救い出すなんて御伽噺みてぇじゃねえか!」
「ぷ、ぷり……?」
「お姫サマ、って意味だよ!オマエが王子サマなんて、柄じゃねえが悪かねえ。どっかの猪突猛進馬鹿じゃねえが、最高に滾る展開じゃねえか!で?その囚われのprincessってーのは、どんな女なんだ?美人か?あ?」

伊達風に言うと突如『てんしょん』の上がった政宗にせっつかれて、勝家は由仁の姿を思い浮かべた。
月明かり。照らされてほの明るく輝く女。お花のような相貌が、勝家に向かって柔らかく笑顔をつくる。しばたさまと呼ぶ声はどこか頼りなく、鳥籠に囚われて尚美しさも気高さも失わぬ由仁。

「……彼女は、天女にございます。」

政宗はその言葉を、比喩の一種だと取ったようだった。
ベタ惚れじゃねえか、と笑われた。
悪い気はしなかった。







ひとつ目玉の蒼き龍は、宣言通り天下を取った。
地に伏せた織田信長の骸は彼を中心として広がった暗い泥濘に呑み込まれ、瞬き数回の間にとぷんと姿を消した。彼岸の物の怪、根の国の闇に手を出した者の末路か。亡骸ひとつ残さず消えた織田信長のいた場所には、龍の攻撃で砕けた兜の破片だけが転がっている。

勝家はぼんやりと、空を仰ぐ政宗を見下ろしていた。仰向けに寝転がって晴れやかに笑う政宗は満身創痍だったが、とても「生きている」感じがした。
(羨ましい……)
思って、ハッとする。うらやましい?羨んでいるのか?人形のはずの己が??

「勝家ぇ、」

政宗が体を起こそうとして失敗した。右目は途中の戦いで疲弊して近くの岩にもたれたまま気を失っているから、助け起こすのは自分の役割だろうと判断して一歩前に出る。触れる前に、政宗に止められた。

「ばーか、おまえ何してんだ。やることあんだろ」

どくん、と心の臓が不可思議に跳ねた。

「次はおまえの番だぜ、勝家。男を見せてこいよ。」

ひとつ目玉の化け物は英雄になって、その英雄は影法師を真っ直ぐにみつめていた。知らず息を飲んだ影法師の背中を、英雄は力任せに引っ叩く。とはいえ満身創痍、死にかけているような状態での一撃だ。大した痛みではなく、感じたのはむず痒さだけだった。

背を押された体が、一歩前に出る。


勝家は政宗に頭を下げた。

「必ずや、取り戻して参ります。貴方のように、格好良くはいかないでしょうが、それでも……、」

後に続く言葉はなかった。自力でどうにかこうにか上体を起こした政宗が、にやりと不敵に笑う。銃身で殴られた頬が赤く腫れ上がって口元は歪んでいたけれど、それでも目を見張るほど男前だったから、内から滲み出す何かが己とは違うのだろうと思った。

傷だらけでボロボロの伊達男は勝家に向けて親指を立てた。

「Good luck!」

意味は分からなかったのでとりあえず親指を立て返し、背を向けて走った。
向かうは鳥籠。

此岸でも彼岸でもいっとう愛おしい女のところ。





「由仁様」

ゆめだと思った。

数刻前からやけに城内がさわがしく、けれどももういく月も幽閉されて神力のさがった身。ここ数日は身動きすらままならず、意識もはっきりしなかった。
つねに眠気がつきまとっていたおかげといえばよいのか、さわがしい城内でもとくに問題なく眠りにつけたのは唯一の救いであった。

呼ぶ声に、ふと目がさめる。

「由仁様」

ゆめだと思った。

ああ、あの方の声がきこえる。
やさしくつよく、うつくしかったあの方の。
出奔なされたと聞いたけれど、お元気にしていらっしゃるだろうか。
なつかしさに顔をあげると、あの方の幻影までみえてしまった。たまむし色の鎧。まっすぐ切りそろえられた髪が風になびくのは、もう何月もみていない。

「由仁様。」

呼ぶ声。わたくしを呼ぶ、声。

「……半年も放っておいた私のことなどお忘れですか」

恨むようでいてさびしげにひびく悔いた声に、そんなことはありませんと返したくとも、もう。
あの方の幻影はわたくしのまえで膝をついた。鉄格子のすきま。差し伸べられた手を必死ににぎりしめる。しっかりと質感があっておどろいた。これはゆめ?うつつ?

「ぃば、た、さま」

のどからしゃがれた声がでた。ふれた指先がぴくりと反応をしめす。

「よぅやっと、あぇ、ました」

細めた目のふちから、ころりとなにか、あたたかいものが転がった。これはなんだろう。頬の上をすべるあたたかい水。
柴田様はたまらなそうに薄いくちびるを噛んで、おもむろにたちあがった。手にかまえるのは両刃薙。柴田様の身をまもり、ともに戦場をかけるもの。
それからは、なにがおこったのかわからない。
柴田様を中心に風がうずまいて、ほんのまたたきの間に、鉄格子が細切れになってくずれおちた。

わたくしと柴田様をへだてる、にくい棒切れ。その残骸を踏みこえて、柴田様がこちらにいらっしゃる。鉄のかたまりがひとつもわたくしに当たらなかったものだから、すっからかんの今のわたくしより、柴田様のほうがよっぽど天仙の類のようだとおもった。

おのことは思えないほどしろい手の甲。
そっと近づいて、わたくしの頬をやさしく拭う。

そして柴田様は起き上がれないわたくしを抱きあげた。

「本日の私は独り法師でも、欠かれ柴田でもありません。神に……貴女に焦がれた一人の愚かな男として参りました。もし許されるのならば、御伽草子の鬼のように、人を惑わす妖狐のように……貴女を攫いたい。私と共に、来てくださいますか」

後にわたくしは、今日この日、この時のことをこう表現するようになります。

あの時の勝家様は、鬼というより、ぷりんすであった、と。











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(151106)




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