中・短編 | ナノ



「最近さあ、何か変なんだよね」

なんて妙に神妙な顔で由仁が言うから、ギクリとしてパピコを吸うのをやめた。
まさかそんな、いや、でも、なんて意味も持たない言葉ばかり口をついて出そうになるのをチョコレートアイスと一緒にぐっと飲み込む。

思い出すのは遥か昔。
桜の袷に散った赤。廊下に倒れた小さな背中。


アイスで冷えた胃なんかよりずっと、記憶の水底の光景に肝が冷えた。

「あたしにもちょーだい」

手を出す由仁ちゃんにパピコの千切ったゴミの方を渡して、「こっちじゃねえよ」とジト目で言われ、はいはいごめんねジョーダンだよ、と袋の中のもう片方を渡すいつもの流れを忠実になぞりつつ、頭の中では最近の由仁の様子を思い出す。

大丈夫。きっと大丈夫なはずだ。
胸を痛がる素振りはなかったし、呼吸が苦しそうなところも見たことない。予防接種だって済ませてる。
だから大丈夫だと自分に言い聞かせながら、何気ない顔を装って「具合悪いの?」と訊いた。

「は?なんで?」

きょとんと首を傾げて聞き返してきた由仁に心底安堵した。
肩から力が抜けていく。


「別に具合が悪い訳じゃないんだけど……うーん。強いて言うなら頭の病気かなぁ。何か忘れてるみたいなんだよね。覚えてないけど、とっても、大事なこと」
「忘れてる?」
「なんかねぇ。最近、知らないはずの人に『久しぶり』って声をかけられることが多くて。」
「……あー。」

心当たりがあった。ついでに言うと由仁ちゃんの言う『知らないはずの人』にも。

ひょっとこみたいな顔でちぅちぅパピコを吸っている由仁ちゃんはあの頃と比べたら随分髪も短くなったし肌も焼けて健康的な色をしているけれど、重たそうな睫毛も、こどもっぽい横顔も、400年前と全然変わっていないから、アイツらにはすぐ分かることだろうと思う。

由仁ちゃんはパピコを加えたまま指を折り出した。

「えーとね。1組のかすがちゃんでしょー?5組の長曽我部くんと前田くん、4組の毛利くん。あと、」
「2組の伊達」
「何で分かったの?」

そりゃあ分かるさとは言えなかったから、曖昧に笑って誤魔化した。かすがも長曽我部も前田も毛利も伊達も、ついでに古典の上杉先生と数学の孫市先生も、それこそ苔むしそうなくらい前からの知り合いだ……なんて、言っても信じないだろうし。

由仁ちゃんは不服そうに小さな唇を尖らせていた。曰く、伊達と前田は顔を見た途端ハグをしてきて(アイツら殺す)、かすがに到っては泣き出しまでしたのに、「どこかで会ったことありますか」と聞くと皆一様にひどく傷ついた顔をして、一拍後に淋しそうに笑って首を横に振るのだそう。
「お前が思い出さないと意味がないから」と計5回言われたそうだ。同じことを俺と真田の旦那も思っていると言ったら、由仁ちゃんはどう思うだろう。

戦場で、志半ばで死んだ俺たちは、自分でも笑っちまうほど未練たらたらで、アスファルトにつくほど長くなったそれを400年後の今もたらたらたらたら引きずり続けていると言うのに、布団の上、胸の病で息を引き取った甲斐武田の由仁姫は、自分の生にケリをつけていたのだろうか。あの頃の見た目のまま、あの頃の記憶を持つものがこれだけ一同に会する中、彼女だけが、記憶を伴っていなかった。



「なんか変な感じ。あたしの記憶にはないのに、みんなとっても懐かしそうにあたしを見るの。」

パピコを握っていた冷たい手が、いつの間にか半歩遅れていた俺の手を取る。細く白いけれどあの頃と比べたら少しがっしりとして日に焼けた指が俺の指の隙間に入り込んで、第二関節をぎゅうぎゅうと締め上げた。

「……何を忘れているのかな」

困ったように言う由仁ちゃんに、他の奴等のように素直に「思い出して」と言えないのは、この手が持つ魔力のせいである。
二度目の憂木由仁が一度目の猿飛佐助を思い出したら、この手が洗い流せないほど血にまみれていることを思い出したら、きっともうこうして俺の手をとってくれることは無くなってしまうだろうから。
醜くてみっともない、俺のエゴ。


由仁ちゃんは思い出せないことを不思議に思いつつも、是が非でも思い出したいわけではないようで、喋るだけ喋ったらあとは駅の掲示板のチラシを指差して「見て見て佐助!夏祭りだって!!」なんてはしゃいでいた。
一緒に行こう、と言われて一も二もなく頷いた俺の浅ましいこと。

400年前は見ているだけだったのだ。手が届く場所にいるのなら、せめて、もう少しだけ隣に居たい。
俺が彼女に「思い出して」と言うのは、もっとずっと先のことなのだろう。








と思っていたのに、それから僅か二日で俺は「思い出してくれ」と口を滑らせそうになるのをひたすら我慢する事態に陥った。地元じゃちょっと有名な夏祭りに、彼女は浴衣を着てきたのである。
勿論400年前ほど豪奢なものではなかったし、襲の数だってずっと少なかったけれど、いつもの洋服と比べたら格段に近いのもまた事実。着ているものは金魚に流水のこどもっぽい柄でも、ゆったり着付けられた襟から覗くいろっぽい首筋の白さとか、たっぷりと余る袖だとか、下駄をかろかろ言わせている小さな足だとか、そういうのは全部、あの頃と同じで。



届かないと思っていた。
本当は、話すことすらおそれ多い人だった。

目も、顔も、手を合わせることも禁止されていた高貴な御仁が、今、四百年の時を経て、忍び猿飛佐助の隣にいる。

ちょっとどころじゃなくうるっときた。

由仁ちゃんの前で泣くのは死んでも嫌だったから上を向いた。背の小さな彼女から顔を隠すための行動だったけれど、タイミングよく花火がうち上がったので不自然さは消失する。

「わぁ、」

赤や黄色に照らされた由仁ちゃんの横顔がキレイだ。


花火を見に行こうと約束した。
一度めの彼女とは四百年前、二度めの彼女とは一昨日。
一度めは由仁ちゃんが勝手に死んじまったせいで果たせていなかったのだけれど、今日のこれを数にいれていいのだろうか。一緒に花火を見るだけでなく、手を繋いで、並んで歩いて、かき氷を食べて、浴衣姿にキュンとして、大通りから一本外れた人気のない路でメロン味とイチゴ味のキスもしたけど、約束、果たせたことにしてしまっていいのだろうか。

由仁ちゃんの薄い肩を抱いて、浴衣越しに温かな素肌を感じたら、生きているものの温度が胸に痛いくらい刺さってやっぱり泣けてきた。どうした俺の涙腺。みっともないぞ。

「ねえ、何で泣いてるの?」

ほら、由仁ちゃんも笑ってるじゃないか。
俺はずるずると洟を啜った。何でもない顔で言う。

「いやぁ、イカ焼きの煙が目に染みちゃってさぁ」

そっかぁと頷いた由仁ちゃんは、イカ焼きの屋台が此処より風下にあることに気付かないふりをして、件のイカ焼き屋さんでイカ焼きを2本買ってきてくれた。

いとおしかったから、食べる前にもう一度キスをした。




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(150906)




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