中・短編 | ナノ



目の前に広がるのは、色とりどりの着物の山。弥三郎が担いできた葛籠から出るわ出るわ、由仁の部屋の半分はあっという間に着物に占領された。三人の客人はそこからあれやこれやと引っ張り出してきては由仁に当て、これも違うこれでもないと放り出すことを続けている。ちなみに慶次は外だ。お楽しみは後に取っておくとかなんとか言いながら、自主的に出て行った。それならそれで構わないが、せめてもう少しだけ事情を説明して欲しかったと思う。由仁はどうして初対面の三人に着せ替え人形にされているのだろう?わけがわからない。

「これなんか如何でございましょう」
「悪くはねェが、刺繍は銀の方が良くねえか?」
「そうだな。彼女の肌と髪に、銀糸はよく映えるだろう。……これはどうだ」
「まあ!何と可愛らしい柄!ですが……そうでございますね。それも悪くはございませぬが、由仁さんにはもっと大柄なものがよろしいのではないかと」

まつが持つのは、青地に金の牡丹と蝶の着物。かすがが手にしているのは若草色の小花柄。どちらもずっと着てみたいとは思っていたけれど、気後れしてしまって着れなかった系統のものだ。

「あの……何で、こんな……」

自分ではしっかりと訪ねたつもりだったのに、口からこぼれ出た声は困惑からか大層弱々しいものだった。それでも同じ部屋の中にいる彼女たちに届くには十分だったようで、顔を見合わせるとそれぞれがそれぞれらしい笑みを浮かべる。

「……慶次に頼まれたのです。『大切な女の子ができたんだ。』『でも、その子は自分に自信がないみたいだから』」
「『本当は可愛いんだって教えてやってくれ』。……まったく。いちいち言葉選びが恥ずかしい野郎だぜ。」

呆れたように言う弥三郎に、かぁあと頬が燃えるように熱くなる。苦笑する彼を見て由仁はつい下を向いてしまったが、由仁に桃色の着物を合わせていたかすがは怪訝そうに首を傾げた。

「あいつが面識がある女の忍びなんて私くらいだろうし、姉であるまつ殿が呼ばれるのは分かる。だがおまえが呼ばれたのは私には分からん。そもそもおまえ、どうしてこんなに女物の着物を持っているんだ?」
「それはまつめも気になっておりました」

言われてみれば女性三人の中に黒一点。確かに違和感がある。尋ねられた弥三郎は、苦虫を噛み潰したような顔をしながら言った。

「……べつに、これは俺のじゃねーよ。航海の途中で出会った外つ国の商人から貿易の料金代わりにもらったりだとか、敵船から戦利品として奪ったやつだとか、そういうのが多すぎてよ。妹やら親戚の娘っこにもやったが、如何せん多すぎて処理に困ってるってアイツに話したことあったからな。」

おかしい、と思ったのは由仁だけだったのだろうか。船旅なら余計な荷物はなるべく省かなくてはならないはずで、船に女は汚れのもとだという言い伝えがあるから女は船に乗れないはずである。それならわざわざ女物の着物をとっておく必要はないのでは……?ぼんやりと考えてはみたけれど、嬉々とした女性陣の声に思考を遮られる。

「外つ国?外つ国の着物もあるのか?」
「あァ。箱の奥だ。」
「なんと!」

パッと立ち上がって葛籠を覗き込んだまつは、歓声を上げながら何かを広げた。その手にあるのは何だか布がやたらぴらぴらした、山吹色の……服のようなもの。全体的にぴらぴらしていて無駄だらけのくせに、必要なはずの布はやたら少ない。なんだそれ。胴しか隠せない。

「どれす!これはどれすなるものでございますね!かすがさん!」
「了解した。」
「ちょ、押さなくたって出ていくってんだよ」
「え、出ていくって……」

何処へ、と声にしかけて気がついた。彼は男性だ。そして男性がいるところじゃ、由仁は着替えられない。
弥三郎は出て行き様、苦笑しながら由仁に向かって片方だけの目を閉じてみせた。「えっ、ちょっ、」目の前には目をキラッキラ輝かせた女性陣。
……着るしかないらしい。





由仁は消えてしまいたかった。言われるがまま着てみたどれすとかいう着物は日ノ本のものと違って胴をぎゅうぎゅう締め付けてくるくせに、足や手はこれ以上ないほどの解放感だ。曝した足がすーすーする。

「……ちょっとこれは」

恥ずかしいなんてもんじゃない。幾重にも重なったふりるとか言うひらひらの下からにょっきりと突き出る二本の枝。こんなものを着て歩いた日には、すれ違う人一人ひとりに御目汚し失礼しますと頭を下げて回らなくては。「まあ!まあまあまあ!」……まつの所見は違うらしいが。

「とってもお似合いでございます、由仁さん!此方に姿見は?」
「あ……、」

ある、にはある。布でぐるぐる巻きにした父の形見が。
深刻な様子で考え込んだ由仁を、二人はじっと待ってくれた。変わらなくては。由仁の見た目が少しでも今より見れたものになるなら、協力しなくては。

やがて決心して、部屋の隅のそれを指差す。

「鏡台、なら」
「十分だ。」
「えーと、男手が必要でござりますね。弥三郎殿!もう入って構いませぬよ!」
「おー」

気の抜けた返事が聞こえて、由仁が構える暇もなく弥三郎が入ってきた。目が合う。綺麗な色の瞳を見開いた弥三郎は、一瞬の後、すっとそれを細めて笑った。きついというよりガラの悪い印象の瞳は笑うと意外にも優しい弧を描く。

「へえ、似合うじゃねえか。」
「……嬉しいです。その……お世辞でも」
「生憎と俺は世辞だのおべっかだの言えるほど頭が良くなくてなァ。自分で見てみるといい。鏡はねェのか?」
「そちらに。」
「運べってことかよ」

揃いも揃って人使いが荒い連中だぜ、なんてぶつくさ文句を言いながらも、彼は軽々とそれを持ち上げて見やすい位置に運んでくれた。すかさずまつが鏡を被っている布をするすると取ってしまう。「あ……、」由仁が自分で縛り付けていた布。開くのだとしたら、もっと勇気がいると思っていたのに。

「さあ、ご覧くださいませ!」



数年ぶりに父が遺してくれた鏡に映った由仁は、確かに今まで見た中で一番マシだったかもしれない。棒切れがにょきりとつきだしてみすぼらしいと思っていた手足も、こうして見れば見られないものではない、と思う。たぶん。おそらく。きっと。何だか感覚が麻痺してきた。

「どうでございまするか?」
「……思ったより、」
「いい?」

こくんと頷いた。


「向こうの血ってのもあるんだろうが、流石に似合っているな。日ノ本の者じゃ此処まで着こなせないだろう」
「由仁さんは体の線がきれいでござりまするゆえ、見せた方がよろしいかもしれませぬ」
「後は、」

かすがの白い指が由仁の頭に伸びて、黒い組紐を拐っていった。ふわり、広がる黒い髪の毛。

「……こっちの方がいい。」

鏡に映る見慣れた醜女は、見慣れない服を着て、見慣れない髪型で、見慣れない表情を浮かべていた。



「おうおういいじゃねえか似合うじゃねえか。とりあえず、それァおまえにやるよ。後は着物か?案外暖色系が似合うって裏付けがとれたわけだが」
「えっ貰えませんこんな高そうなもの!」
「いいんだって。俺ァ要らねえしあっても使わねェからな。宝ってぇのは、それを正しく宝だと認識してるモンのもとでだけ宝として輝けんのさ。だったらソイツは俺のとこじゃなく、おまえのところにあるべきだろう」

にっと笑う弥三郎に押しきられる。この人何者なんだろう。両家のお坊っちゃんぽい雰囲気はあるのに、由仁が知っている他のお坊っちゃんとは醸し出す雰囲気がまるで違う。


次に着る着物をみんなで選んでから、弥三郎はもう一度部屋の外に出された。淡い桃色に華輪が染め抜かれた着物を手にしたまつは、部屋の隅の衣桁にかけておいた山吹の羽織を目敏く見つけてそれも準備している。そんな華やかな色が由仁に似合うものかと思ったけれど、着てみれば思っていたよりずっとマシだった。悪い悪いと思っていた顔色が心なしか色づいて見える。今にも死んでしまいそうな顔をしていたときは、まるで泥のように見えたのに。

髪は未だ下ろしたまま。桃と白と山吹を縁取るように、たっぷりの黒髪がうねっている。「型通りというわけではありませぬが、これはこれでお可愛らしゅうござりますよ」「似合っている」「とーっても素敵でございます」言われ続けていたら、何だかそんな気がしてきた。不思議なものだ。

「一度それは脱いで、此方に着替えてくださりませ。まつめが仕立て直しまするゆえ。由仁さんには、丈が短い方が似合いまする。」

言われて脱ぐと、まつと入れ違いにかすがが前に出てくる。

「次は私だな」

そう言って由仁を鏡台の前に座らせたかすがは、いつの間にか大きな箱を持っていた。それが化粧箱だと気付いたのは、引き出しの中に何種類もの紅が入っていたからだ。見たことないほどの量。驚いて見上げれば、ほんの少し気恥ずかしそうに頬を染めたかすががふいと顔を背ける。

「……忍びの変装道具だ。これだけあれば、おまえに似合うのだって見つかるだろう」

心遣いが有り難かった。素直に有り難いと思えたのは初めてだ。前に姫様に似合うかもしれないと女中の一人が頬紅をくれたとき、自分はどう思ったんだっけ。確か口では礼を言いながら、同情されたのだとどす黒い気持ちになったのだ。何て荒んでいたんだろう。

「白粉なんて要らない。変装するんじゃないんだ。隠す必要はない。個性を個性だと認めるのは確かに難しいかもしれないが、折角の色だ。他の色との組み合わせや掛け合わせを楽しめばいい。」

それは少し不安だった。だって白粉を塗らなければ、由仁が人とは違うのがばればれだ。

「下を向くな。」

はっ、とする。視線はいつの間にか膝まで下がっていた。

「これは変装の鉄則なんだが……堂々としていろ。そうすれば周りは疑わないし、声もかけてこない。どこか他と違う点があったとしても、本人さえ堂々としていればその内周りの方が慣れる。……安心しろ。おかしいところなんて、ひとつもない。」

目尻に墨と紅を置きながら、かすがが言った。思わずじわりと涙が滲みそうになって、慌てて耐える。折角かすがが化粧を施してくれているのに、台無しになんて出来ない。由仁の様子に金色の目を瞬いたかすがは、いい子だ、と言って笑った。

「いい子だから選ばせてやろう。どっちがいい?」

そう言って見せられたのは二種類の紅。桃の花を溶かしたみたいな白っぽい薄紅と、それよりもっと薄く淡い薄桃が貝殻に載っている。どちらかといえば後者の方が母の使っていたものに、即ち由仁が今使っているものに似ていたから迷わず手を伸ばせば、かすがにひょいと遠ざけられてしまった。

「不正解だ。まったく。その紅、おまえのものではないな?」

その、という言葉で表されたのは由仁が今使っているものだ。母のものだと正直に言えば、納得したように頷かれた。

「先代は色白だった。同じ化粧じゃ駄目だ。おまえにはもっと白っぽくて、色が濃いものがいい。濃すぎると夜鷹のようだから、程々に濃いものを選ぶんだ。」

するりとかすがの指が唇を滑る。「……こんなものか。」その言葉で鏡を覗きこんで、由仁は息を飲んだ。

鏡の中にいたのは、すっかり別人だった。大きな翡翠色の瞳は生命力に溢れていて、程好く色付いた唇もまるで由仁ではないようだ。見慣れない手法の化粧ではあるが、由仁自身思うほど由仁に合っていた。「すごい……」零れ落ちた言葉に、得意げにかすがが鼻を鳴らす。「まだ終わってないぞ」そう言って、櫛と油を手に取った。

「無理に結おうとするからおかしなことになる。結えなければ結わなきゃいいんだ。つまり、」
「下ろす?」
「下ろすか、編むか。編むなら後で弥三郎に教わるといい。船で見せてもらったが、あんな太い指をして異常に手先が器用だぞ。私よりずっと上手い。妹にしてやるために勉強したと言っていたが、本当かどうか……まあそれが嘘でも、髪を編むのが上手いことには変わりはないからな。それはそれとして、今は下ろす方を教えよう。」

弥三郎の意外な特技に驚く由仁の髪に油を載せて、かすがは慣れた様子で櫛を入れた。あっという間に爆発頭はかすがに主導権を握られて、変な跳ねがなくなっていく。

「こんなの、寝癖を直すのとそう変わらん。無理矢理梳くのではなく、まずは流れを整える。それから変に跳ねているところにだけ多目に髪油か水をつけて、反対向きに癖がつくまで流し続ければいい。」

こうして落ち着いたところを見てみれば、由仁の髪は毛先にいくにつれてくるくるの度合いが上がっていることが良くわかった。自分の髪なのに、由仁はそんなこと知らなかったのだ。視界に入れるのすら嫌で、なるべく見ないで済むようにひとつに縛ってきたのだから、当たり前か。
きちんと流れを整えてあげれば、重力で上の方はほとんど真っ直ぐになった。うねりが始まるのは耳の横辺りから。毛先が近くなるにつれて強くなっていく。

「……うん。いいだろう。次は髪飾りか。由仁の髪は黒だからな。真鍮、銀細工に金細工、真珠……目に合わせて翡翠なんかもいいかもしれない。鼈甲や琥珀も悪くはないが、もっと歳をとってからつけろ。若い内は華々しい方がいい。」
「若い内はって……」
「逆に言えば、大人っぽく落ち着いて見られたいときは鼈甲や琥珀にすればいいということだ。」

なるほど。ふむふむと頷いて、由仁はひとつの銀細工を手に取った。花、おそらく山吹の花を模して作られた飾りの下には華奢な鎖が何本か伸び、その先に華美すぎない程度に赤や緑の石がついたものだ。「いい趣味をしているな。」由仁の手元を覗き込んだかすがが言った。「今の季節にも合うし、何よりおまえに似合うだろう。それにするのか?」はい、と答えると、すぐに髪につけてくれた。恥ずかしい。けれど悪くない。悪くないのだ。鏡の中にいる自分の目が輝いていた。何だか自分じゃないみたい。

「良い表情になって参りましたね。」

まつが微笑む。驚くべき早さで縫い物をしていた彼女は、いつの間にか由仁と一緒になって鏡台を覗き込んでいた。

「今なら慶次の言葉も、信じてあげられますか?」

本当のことを言えば、もうずっと前から分かっていたのだ。前田慶次という男は調子のいい男だけれど、決して身のない嘘をついたりしない男だということくらい。「可愛いよ」と、頭の中で慶次が笑った。お世辞だと、嘘だと、由仁の機嫌を損ねないための方便だと端から決めつけて跳ね退けたあの言葉を、今なら、信じることが出来るだろうか?

「さて、出来ました。どうぞお召しになってみてくださりませ。」

差し出された桃色の着物は、なんと大胆にも太股の辺りでばっさり裁断されていた。意を決してそれを着込んで、上から山吹の羽織を羽織る。その上から、羽織もいっしょくたに飾り帯を結んだ。まるで金魚の尾のような、薄い生地の帯だ。

鏡の中には、もう死んだ顔の泥人形はいない。初めてのお洒落に頬を紅潮させた、傾いた格好の女が二本の足でしっかりと立っていた。下ろした髪。短い着物。白粉を塗らず、わざと猫のような目を強調するような見慣れぬ化粧。どれも今まで見てきた誰とも違う。けれど、今までしてきたどんな格好より由仁に似合っているように思えた。

「よろしゅうございますか?」

鏡越しに目があったまつの問い掛けに、大きく二回深呼吸。吸って、吐いて、吸って、吐いて。こっくりとひとつ頷けば、まつが障子の向こうに声をかけた。

「さて、お待ちかねの男性陣!由仁さんの準備が整いましてござりまする」

すーっと静かに障子が開いた。開けたのは弥三郎で、その隣、廊下の真ん中に慶次が間抜け面で立ち尽くしている。

「……何よ。馬子にも衣装?それともこんな格好したって醜女は醜女だって?」

精一杯の虚勢をまず笑い飛ばしてくれたのは弥三郎だった。

「なワケねェよ。見惚れちまって声が出ねぇだけだ。似合ってんぜ、オヒメサマ。……オイこらヘナチョコ風来坊、いい加減何か言ってやったらどうなんだ。」
「うっうわぁっ!」

快活に笑った弥三郎が慶次の背中を勢い良く蹴って、たたらを踏んだ慶次が由仁の前に躍り出てくる。転ぶ一歩手前の彼を上からじっと見下ろせば、彼はもう一度視線を反らして小さく唸る。

「えーとえーと、やべ。もっと勉強しとけばよかった。俺、今すっげぇ、もうすっげぇ感動してるのに、表す言葉が見つかんないや。」

あっちへこっちへと逃げる視線が、漸く由仁と重なった。印象的な大きな瞳がほんの少し細められて、はにかむように彼は言う。

「可愛い。」

きっと……否。絶対に以前にも彼はおんなじ顔で、由仁に可愛いと言ってくれたはずだ。それなのに受け取る側の心持ち次第で、こんなにも響きが変わるものなのか。前田慶次のこの顔は、声は、作り物じゃない。世辞でも嘘でもその場凌ぎのご機嫌とりでもなく、正真正銘、由仁のための言葉だ。

「……ありがとう。」

その言葉を発するには想像異常に労力が要った。絞り出したその言葉を聞いて、慶次が嬉しそうに笑う。相変わらず日輪のような笑顔だった。






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