中・短編 | ナノ



由仁はあっちへこっちへと里の中をふらふら歩いていた。時折里の人間を見掛けては声をかけ、何か変わったことがないか、不都合はないかを詳しく聞いている。慣れた足取り。恐らく日常的に行っている見回りのようなものなのだろう。偉そうに城でふんぞり返っているだけの領主よりよっぽど好感が持てるけれど、乙女盛りの女の子が地味な着物一枚で歩き回って独り暮しのご老人の屋根の修理をしているのは如何なものかと思う。

謙信からの書状には、友を行かせるので由仁がもてなすようにと書いてあったらしい。由仁はそれを律儀に守って客人扱いしようとしたけれど、堅苦しいのは嫌だと普通に対応してくれるよう頼み、由仁はそれを受け入れてくれた。それでも慶次に関するアレコレは由仁が責任を持ってくれるそうで、今回見回りに付いて行ってもいいと言ってくれたのもその一貫なのだろう。客人の望みは叶え、由仁は見回りが行え、ついでに客人に里の案内もできる。一石二鳥どころか三鳥だ。客人としての扱い方が雑過ぎる気がしなくもないが。

由仁は里の者に好かれていた。いいお姫様なのだと思う。由仁が見ていないときにこそっと聞いてみたところ、体の弱い若様に変わって幼い頃から由仁が市井を歩き回っていたらしい。「だからかねぇ。あーんな、男の子みたいに育っちまって」なんて肝っ玉母ちゃん然としたおばちゃんは笑っていたが、慶次は何となくそれは違うと分かっていた。
容姿、だ。浅黒い肌。豊かにうねる髪。人と違う色の瞳。由仁は恐らくそれらを異常に気にして自信を無くしているのだ……というのが、昨日と今日由仁を観察した慶次の見解だった。

勿体無いな、と思う。
民と話しながら笑う由仁は普通に可愛い女の子だ。慶次の前では笑ってくれないが、少し揶揄うだけで真っ赤になって怒る顔だって立派に女の子だった。ただ人と肌や目の色が違うだけの、怒りっぽくてひねくれていて、でも優しくて可愛い素敵な女の子。



「慶次様」

呼ばれてふと顔を向ければ、由仁は道の真ん中で立ち止まっていた。初めて見た時には男の子と間違えた精悍な顔立ちは、今ではもう女の子にしか見えないのだから不思議なものだ。簪のひとつもつけないどころかそもそも女結いですらない髪型でこんなに魅力的なのだから、きちんと女の子らしくすればどれだけ可愛いことだろう。

「どうかしました?まさか歩き疲れたとか言いませんよね。その図体で。」
「ずっ……いや、別にまだまだ歩けるけどさぁ」
「じゃあ何ですか?……ああ成る程。隣にいるのが私ではそりゃあヤル気も出ませんね。それは気が利かなくてすみません。今誰か綺麗所を、」
「由仁ちゃん!」

思わず口を挟んでいた。由仁の驚いたような顔を見て自分が彼女の腕を掴んでいることに後から気付いたけれど、そんなことはどうだっていい。

「由仁ちゃんがいいよ、俺。」
「………………そうですか。」

頭おかしいんじゃないの。なんて、早口で小さくぼやいたのが聞こえた。言われた内容は悪口のようなものだけれど、時折ぽろりと零れるこうした敬語の取れたちょっと乱暴な口調は、距離が縮まったようで好きだった。


その後、由仁が案内してくれたのは鑪場だった。何でもこの里にはどういうわけか昔から炎の婆娑羅持ちが多く(といっても1世代に2〜3人程度だ。日ノ本に数人しかいないことを考えればそれでも十分多い)、由仁の父親がもたらした外つ国の技術と合わさることでここ数年で急激に鍛冶技術が向上したらしい。今では里の収入は殆ど鍛冶で賄っているとか。上杉軍の刀や槍や、更には種子島まで此処で作っているそうだ。

真っ赤に燃える火と溶けた鉄を見ながら、謙信がこの里のことを内緒にしていたのはそういうことかと漸く理解する。
今の御時世、軍事力は何にも勝る。大量の兵士と質のいい武器が合わされば、勝てぬ戦などないのだ。しかしそれは、あくまで戦を経て道をつくるということ。戦になれば少なからず誰かの犠牲は出る。
武田信玄が病に臥し、上杉は自ら戦をするような軍ではなくなった。上洛のためではなく、自らの領地に住まう民を守るために戦うようになった。そんな軍だからこそ、この里とうまくやっていけるのだ。他の軍がこの里のことを知ればそれこそ喉から手が出るほど欲しがるに違いないが、死ぬ人間の数は今の比にならないほど跳ね上がるはずだ。
ならば今この時期に、慶次に此処のことを教えた謙信はいったいどういう心積もりなのだろう。会って貰いたい人がいると言っていた。それは恐らく由仁のことなのだろうけれど、この子に慶次を会わせてどうするつもりなのか全く検討がつかない。

ただ、由仁に会わせてくれたことには感謝していた。己はきっと、この娘を好きになる。どういった意味合いでかは、まだ分からないけれど。


「……どうです?凄いでしょう。少しは見直しました?」

斜め下から得意気に見詰めてくる由仁の顔は、今まで見た中で一番輝いていたように思う。ああ、きっと、彼女はこの里の姫として生まれたことに誇りを持っているのだ。慶次が背負いたくなくて逃げているものに、小さな体で立ち向かっているのだ。

「うん、凄い。」

素直にそれだけ言って由仁の緑を見つめれば、何を思ったのか由仁が強い瞳で見つめ返してきた。見つめると言うより寧ろ睨むと言った方が正しいかもしれない。にらめっことでも思っているのだろうかと不思議に思いつつも、見つめあうこと数秒。不意に顔を背けたのは、勿論由仁の方だった。

「……な、なんですか。急に素直ですね」
「俺は最初から素直だよ。素直じゃないのは由仁ちゃんの方」
「それは悪うございました。」
「そんなところも可愛いけどね」

薄暗い鑪場で由仁の方が真っ赤に染まっていたのはきっと、燃え盛る火が映っていたからだけじゃない。




その日の夜、上杉の使いがやって来た。昨日出した「暫くこっちで世話になるわ」的な文に対する返事は案の定「憂木方が良いのであれば、此方のことは気にせずゆっくりなさい」という快諾だ。最後に添えられた「姫に宜しく御伝えしてください」の意味深長な一文に苦笑い。やれやれ、相も変わらず聡い奴だ。本当に。

「何をにやついているんだ。返事を書くなら早くしろ。」

手紙を持って来てくれたかすがが言った。敬愛する謙信の役に立ちたいのは山々だが、そのために彼の傍を離れるのは本意ではないのだろう。

「分かった分かった。ちょっと待ってよ。まだ来たばっかだろ?」
「おまえに付き合っているこの時間に、謙信様とどれだけ言葉を交わせたことか」
「かすがちゃんもう少しだけでいいから他の人にも興味持とうよ」
「知ったことか。おまえのことを覚える頭があるなら謙信様の本日の呼吸の数を覚えた方がよっぽど有意義だ。」

きっぱり言い切ったかすがに思わず苦笑した。この友人はいつも変わらない。鋭く、清々しい良い女である。
与えられている個室の文机の上に和紙を広げて、さて何と書こうかと文脈を考え出せば、かすがは縁側に腰を落ち着けたようだった。この里にはあまり来ないのか、興味深げに辺りを見回している彼女の背で、金色が揺れる。

「そういえば、かすがちゃんって外つ国の血が入ってたりするの?」

何気なく問えば、空気が凍りついたような気がした。

「…………何故そんなことを訊く」
「いやぁ、ここの領主と、お姫さんの父親がさ。外つ国生まれだって聞いたから。」

触れてはならぬところだったか、と訊いてから後悔した。どうにも自分はこういうところで配慮に欠けていていけない。突っつかれたくないところ、触れられたくないところ、そんなの誰だってあるだろうに。

しかしかすがは意外にも、そうか、と静かに言っただけで庭に視線を戻してしまった。手入れの行き届いた美しい庭園には早咲きの山吹が咲いている。

「……詳しくは知らん。物心ついた時には親なんぞいなかったからな。ただ、外の者の血が流れているのではないかとは思っていた。何せこの髪だ。目立ってしょうがない。」
「確かに目立つけど、でも綺麗だ」
「ふん。忍が綺麗なわけあるか。」
「綺麗だよ。金色の髪なんて、そうそうお目にかかれるもんじゃないしさ。俺は好きだけどな」
「おまえに好かれたところでどうも思わん。ただ、謙信様が……美しいと、言ってくれたからな。今では私も受け入れられるようになったが、昔は嫌いだった。」
「金の髪が?」
「人と違うのが、だ。」

脳裏を過る翡翠の目。浅黒い肌。うねる髪の毛。かすがも同じことを考えたようで、やはり日ノ本の者とは少し違う色の目がちらりと慶次を見た。

「此処の姫も、そうなんじゃないのか」
「あ、やっぱ分かるんだ?」
「ああ。あの目は覚えがある。いつだかの私にそっくりだ。」

そう言ったかすがは、いつになく『女の子』に見えた。思わず目を見開いてじいっと見つめていると、照れたらしい彼女の足が飛んでくる。
鋭い蹴りを間一髪で避けて、慶次は漸く筆を取った。相手は謙信だ。何も迷うことはない、思ったままを書けばいい。あの神仏の如く賢い謙信のことだ。きっと文だけで、文字だけで慶次よりも慶次のことを分かってくれるだろう。

時候の挨拶も、相手の体調を気遣う言葉もすっ飛ばした。この里のことを教えてくれた礼から始まるその文は、書き終えてみれば何だか由仁のことばかりになってしまったような気がしたけれど、読み直して恥ずかしくなる前にかすがに託す。

「あ、ちょっと待って」

草履を突っ掛け庭に出て、先程庭の探検をしていた時に折ってしまった山吹の枝を拾ってくる。文を留める紐に小枝を挟めば、急に風流さが漂った。中身は風流には程遠いが。

よろしくね、と文を渡した途端に光の粒を撒き散らして風のように遠ざかっていくかすがの背中を見送っていると、背後から小さな足音が聞こえた。振り返れば、上から下まで真っ黒い影。由仁は光の尾を引きつつあっという間に消えていくかすがを目を細めて見ていた。まるで、何かとても眩しいものを見るように。

「……上杉様の忍の方ですね。お知り合いですか?」
「うん、友達。かすがちゃんって言うんだ。良かったら仲良くしてやってよ。すっごい天の邪鬼だけど、優しい良い子なんだ。」
「慶次様は馬鹿ですか?」
「えっ?」

くるりと後ろを向いてしまった由仁の髪がふわりと揺れた。甘い匂いが鼻に届く。

「あんなに綺麗な方が、私と話してくださるはずがないでしょう?……夕食の準備が出来ました。ついてきてください。」

ぎりぎり慶次の耳に届いた呟きは、酷く自嘲の響きを持っていて。
それは違うと口に出す前に歩き始めてしまった由仁の後ろをついていくだけで精一杯だった自分が、心底情けない。





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(150114)




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