中・短編 | ナノ



手鏡の中の褐色に引いた一筋の白はやけに浮いていて、綺麗だなんてお世辞にも言えない。馴染ませても馴染ませても、この国の人の肌に合わせて作られた白粉は由仁の肌とは喧嘩した。真っ赤な紅はとても見られるものじゃない。まるで子供の落書きのようだ。好き放題にうねる髪の毛を乱暴にまとめて、由仁は重い溜め息をついた。

両手で持った手鏡の中で、よく知った少女が泣いている。





憂木家の当主は時比古という名の好青年だった。褐色の肌に緑の目、癖の強い黒の短髪の男だ。簡単な自己紹介と此処に来た経緯を話しながらもチラチラとその髪や目を見てしまったのを、彼はどう思ったのだろうか。くすりと笑った彼は、嘘のつけない人なんですねと言って慶次を気まずくさせた。
それにしても彼、随分と色っぽい笑い方をする。色っぽいのは笑い方ではなく、彼の持つ色彩かも知れなかったけれど。

「あ、いや、ごめん。気を悪くしないで欲しいんだけど、前に元親の……四国で見た外つ国の人間に似ててさ。」
「ええ、そうですよ。父が外つ国の者で。」
「へえ。妹さんともよく似てる」
「……妹は、貴方に何か無礼を働きませんでしたか?」
「いやぁ、とんだじゃじゃ馬だな!」
「はは。そうですね。手綱を握るのに困っています。」

柔らかな物腰の彼には、何処か謙信を思い出させる気品があった。堅苦しいのは嫌いだけれど、礼儀正しいのは別だ。人間として好感が持てる。仕草も賢そうな物言いも謙信に似ているこの男は、しかし恐らく剣の腕の方はからっきしなのだろうと思った。縹色の着物から覗く腕は細く、とても刀を振れそうには見えない。

「兄上、失礼します」

噂をすればなんとやらですね、と時比古が微笑んだ。許可の後に部屋に入ってきた由仁は先程とは違いそこそこ値も張りそうな上質なものに着替えていたが、紺鼠の着物じゃ肌と髪の色も相まって真っ黒だ。目を丸くした慶次とは反対に、時比古は眉間に皺を寄せた。

「またおまえはそんなものを着て……」
「女物は似合わないんです。」
「そんなことはないと言っているでしょう」
「いいえ。自分のことは自分がよく分かります。そんなことより兄上、お客人とのお話は済みましたか。」

ばちり。そんな音が聞こえたような気がした。由仁の強い瞳が、また慶次の視線を捉える。肌が浅黒いからかもしれない。彼女の真っ白い白目の真ん中を揺れ動く緑色の瞳は、どうも目立ってどぎまぎする。まったく心臓に悪い。

「上杉様からの文には私に彼をもてなすようにと書いてありました。」
「そうなのですか?」
「いや、俺は知らない」

当事者のはずの慶次は苦笑する。そもそも何故此処に行けと言われたのかも分からないのだ。
曖昧な答えにも時比古は頷いて、それならば後は由仁に任せましょうと言った。






殿に負けないほどの美男が殿を訪問なさっている、という噂はたった一日で城中に広がった。女中連中が背が高かっただの通り過ぎるときに挨拶をしてもらっただのと盛り上がる中、由仁は黙々と一人でおむすびをつくっている。具は梅干しと高菜。小腹が空いたとき用に残ったご飯でおむすびをつくるのは、最早習慣だった。

「ねえ、姫さま!姫さまもご覧になりました?噂の美男子!」

きゃいきゃいと喧しい女中の一人が言う。ご覧になるも何も、あの男と話したのはこの里の誰より由仁が早いはずだ。
由仁は昨日見た前田慶次の顔を思い浮かべてみた。

「あー……まあ、確かに造形は整ってるけれど、美男子って感じじゃないな。もっと、こう、荒々しい感じ」
「素敵!殿方って感じよね!!」
「殿もお美しいけれど、女性的な美しさって言うか!」
「あら、わたくしは殿の方が好みよ」
「私だって!」

由仁そっちのけで盛り上がる様子に肩を竦める。ダメだこりゃ。何を言っても聞いちゃいない。

由仁はもう一度彼の人の顔を思い浮かべてみた。すっと通った鼻筋の両側にぱっちり開いた二重。確かに美男、だとは思う。それも腹が立つほどの。薄い唇や健康的な色の肌は由仁から見てもとっても魅力的だ。癖のある明るい鳶色の髪は由仁のものとは違って絡まらずに風に靡いているし、同じ色の長い睫毛も羨ましくて堪らない。

(羨ましくて……)

羨ましくて、恨めしくて。
由仁はいつか何処かの家に嫁がなくてはならない。武家の娘に生まれた以上、それは最低限の義務である。
それなのに由仁はこんな、

(こんな……)


「由仁ちゃん」


声をかけられただけだったのに、胸の裏側を素手で撫でられたような気がして飛び上がった。勢いよく振り替えれば、渦中の人物が苦笑いを浮かべながら立っている。

「何度も声かけたのに、結び飯見ながら何考えてたの?」

厨の入り口から顔を出して、女中連中が興味津々に此方を覗いている。どうやら気付かなかったのは自分だけのようだ。それもそうかと由仁は鈍い自分にうんざりしながらおむすびを包んだ。「由仁ちゃん、昨日ぶりだね」前田慶次が馴れ馴れしく話しかけてくる。

「……前田様は、」
「慶次」
「はい……?」
「慶次って呼んでよ。慶ちゃんでもいいけど。」

にっこりと綻んだ甘いかんばせは、非の打ち所がない好青年だ。酷く心が痛むのは由仁の自分勝手な劣等感が原因だと分かっていたから、細く息をして痛みを逃がしながら「慶次様、」声を紡いだ。

「ただの慶次がいいなぁ、俺。」
「……それは出来かねます。一応嫁入り前、ですので」
「え!由仁ちゃん結婚するの!?」
「いえ。今のところお相手はいませんが。というか、こんなのと結婚したいと思う奇特な殿方などそういらっしゃらないでしょう。」
「へっ?」

実は婚姻の話はそれなりに来ているのだ。昔からいい鉄が採れ、里のほとんどの者が刀鍛冶である憂木の地では、定期的に上杉に武器を納めることで免税領となっているのだが、その特異性は他家からすればやはり喉から手が出るほど欲しいものらしい。上杉家そのものと繋がることなどなかなかできないが、上杉家に重用されている家と繋がりができればそれも夢ではない。きっとそんな理由から、本来であれば由仁は引く手数多というやつなのだ。
しかしどの家もこっそり由仁を見に来ては、婚姻の話をうやむやにして流した。それに気付いたのは由仁が十四のときだったか。初めは流石に腹が立ったし落ち込みもしたが、十六を過ぎる頃にはもうそういうものなのだと諦めもついた。醜女より美女。殿方というのは例え家柄が良くとも、激しく見目の悪いものは隣に置きたくないものなのだ、と。

どうしようもない事実に気付いてしまってから、由仁は自ら里の入り口で見張りをするようになった。偵察に来た他国、もしくは他家の使者の前には積極的に飛び出して、残酷な現実を突き付けて早めにお帰りいただくのだ。その方が、相手方にとっても由仁にとっても痛みが少ないから。

色々な言葉が頭の中をぐるぐると回ったが、どれも他人に聞かせられるようなものではなかった。俯いて唇を噛んだ由仁の癖の強い黒髪を一束指に絡ませて、前田慶次が優しく引っ張る。上を向かされた由仁の前で彼は優しくその若布のような髪の毛に口を寄せたものだから、心の臓が止まるかと思った。
そのままの状態ですうっと息を吸って、羨ましいほど大きな目を細めた彼が言う。

「他のやつはどうか知らないけどさ。俺は、由仁ちゃん可愛いと思うけどなぁ。」
「……前田様は、」
「慶次。」
「…………慶次様は、女性にモテそうですね」
「えっ俺?ないない!聞いたことないかな?俺、風来坊って有名なんだ。そんな男に心を寄せてくれる人なんて、それこそ稀だろ!」
「好い人はいらっしゃらないのですか」
「いないよ」
「へえ……」

廊下の方に目をやれば、全然隠れられていない女中らが拳を握っていた。呆れて声も出ないが、まあ他国の主になるかもしれない美丈夫がいればこういった反応をとるのが正しい女子なのだろう。

「……意外です。女遊び激しそう」
「ひどいなぁ由仁ちゃん。俺、結構一途な方だと思うんだけど。」

視界の隅で女中達が静かに喜びの声を上げた。

「そんなことより由仁ちゃん」
「はい、なんでしょう」
「喋りやすいように喋ってくれればいいよ。俺は気にしない。」
「……、」
「無理しないでよ。な?」

由仁は確信した。この男、間違いなくモテる。これがモテないなら由仁など結婚どころか異性の前に姿を見せることすら許されないだろう。世の中というのは不平等なものだ。分かってはいたけれど。

「……貴方変わった人だ」
「はは!よく言われるよ!戦国一の傾き者ってね!」
「私、すごく口が悪いんだけど」
「それが由仁ちゃんなら、それで構わないよ。」

至近距離で炸裂した向日葵のような笑顔に色々と何かが破裂しそうだ。それからいい加減に髪の毛を離して欲しい。まめが潰れて固くなった手の長い指に包まれていると、くるくる好き放題に跳ねる己の髪の毛がみすぼらしく見えてたまらないのだ。少しもときめかなかったかと言われれば、まあ、多少はと答えざるを得ないのだが。

慶次はなかなか離してくれなかったから、由仁もお返しとばかりに彼の広い背に流れる茶色を一房つまんだ。緩やかに波打つそれは由仁のものとは違い、指通りがよくしなやかだ。どんなお手入れをしているのだろうという疑問が口から出掛けて、慌てて引っ込めた。これで「お手入れ?なにそれ」みたいな顔をされたら流石に居たたまれない。
口を聞く代わりにもう一房摘まんで梳いてみると、腹の底がチリッと痺れた。よく知ったこの感情は嫉妬心だ。羨ましい羨ましいと泣く心の中の幼い自分を黙殺すると、由仁はつまんだ髪の毛を思いきり引っ張った。

「いでででででででで、ちょ、なにすんの!」
「腹が立った」
「何で!?」
「何でも。」

おむすびと漬け物を包んだ風呂敷を肩にかけ、前田慶次に背を向ける。「あれっ由仁ちゃん?」姫と呼ぶなと言った由仁の言葉を律儀に守っている彼の呼び方が、くすぐったくてたまらない。逃げるように足を早めたけれど、彼はその長い足で以て悠々とついてくる。

「どこ行くの?」
「見回り」
「俺も行っていい?」
「お好きにどうぞ」

前田慶次は嬉しそうに笑った。






この里は昔から製鉄が盛んだったから、畑仕事は自分達が食べていけるだけしかしていない。他の土地よりもずっと少ない畑で作業をするのは子供と年寄りだ。由仁は畑と畑の間の足場の悪い畦道を、慣れた様子ですたすたと歩いた。

「あ!ひぃさまだ!」
「ひぃさま?」
「ひーさま!!」
「お疲れさま、おまえたち」

わらわらと集まってくる子供らの内一番早く由仁のもとまで来た子を抱き上げてぐるりと回してやれば、ずるいずるいと他の子も口々にわめきだす。

「畑はどう?」
「へーきだよー」
「今年はわるくないって、じいちゃんが」
「そう」
「でもねー、そうごろうのじいちゃんぐわいわるいんだってー」
「ぐわい、じゃなくてぐあい、な。惣五、本当?」
「うん」
「そっか」

ちいちいぱあぱあ喚き立てる様はいつ見ても小鳥のようだ。後でお見舞いに行こうかと考えながら少し離れたところから近づいてこない前田慶次を振り向けば、彼は吃驚するほど優しげな目で笑っていた。

「……なに」
「いやぁ、由仁ちゃんいい子だなって」
「急に何言ってるの」
「こどもに好かれてるやつに悪いやつはいないさ。なあおまえら、由仁ちゃん好きか?」
「うん!」
「ひぃさますっごくやさしいんだよ!」
「かくれんぼもおにごともつきあってくれるもん」

そうかそうかとまるで自分のことのように嬉しそうに笑った慶次は相変わらず眩しくて、由仁は地面を睨み付けた。しかしこのとき本当に由仁がしなくてはならなかったのは、最近色恋に興味が出てきた年頃のお涼の口を塞ぐことだったろう。「おにいさん、」耳年増なおませさんの愛らしい声。あっと思って顔をあげた時にはもう、既にお涼は口を開いていた。

「おにいさん、ひぃさまのおむこさん?」
「お涼ちゃん!!!」

ぱちくり。前田慶次が、たっぷりとした長い睫毛を瞬かせた。耳の後ろ辺りがカァァと熱くなる感覚があって思わず大声を出せば、頭ひとつふたつ低いところから何対ものくりくりした目に見上げられて思わずたじろぐ。

「あはははは!お婿さん、お婿さんね!」

前田慶次は豪快に笑うと、しゃがみこんでお涼と目を合わせた。にこにこにこにこ整った顔をゆるっゆるに緩ませて、彼は言う。

「そーだよぉ、俺は由仁ちゃんのおむ、」
「慶次様!!出鱈目言うのやめてください!こどもが信じたらどうするんですか!!」
「あははははははは」

爽やかにとんでもないことを言い出したこの男、やはり連れてくるべきではなかったかもしれない。でも上杉様直々に由仁がもてなせと言われてしまったし、あの状況では連れてくるしかなかった。
帰れ!と言うことも笑顔で冗談を許容することも出来ずそれ以上は閉口してしまった由仁をまた不可解なほどに優しげな目で見て、前田慶次が笑う。

「由仁ちゃん真っ赤。可愛いね」
「死ね」

だいたい由仁の浅黒い肌でも分かるほど赤面するはずがないだろう。そう思ったのに、わらわらと足元に集る子供らに言われる。「ひぃさま、まっか!」「野イチゴみたい!」もうやだやってらんない、と由仁が走り出すのが先だったか、それとも前田慶次の笑い声が響くのが先だったか。

「女の子が『死ね』はないんじゃない!?」




頼むから、女の子なんて呼ばないで欲しかった。





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