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パシン、と乾いた音が小さな部屋の中で、響いた。

男が差し出した逞しい手を、女の白く細い手が払いのけて。

「私は貴方にこころを開くつもりはない」、深く暗い眼をして言った。






天気のいいお昼時。私には眩し過ぎる光が、手元にある生け花を照らす。

それらを一つ、また一つと花瓶に差し、手鋏で整えていく。誰も居ないこの空間で、鋏の音はよく聞こえていた。そう、“聞こえていた”。

庭先でひそひそと、女人の声がする。ここからではその姿は見えないが、たぶん、あちらからはこちらが聞こえるのを知っていて、わざと話しているのだろう。そう思うと、小さく息を吐いてしまった。



……“戦国一の不和夫婦”、なんて。まったく誰が最初に言い始めたのかしら。実際は、私が一方的に避けて、独り、孤立しているだけなのに。

彼女らは、長曾我部家の方の女中だろう。私の方の女中は、どうせ私が怖いからと、私の“近く”でなんか言わない。

元親様と仲が、良好じゃない。奥方様が冷たい。この縁組は失敗だった−……

そんなことばかりが、耳元に流れる。元親様を哀れに思い、私を嘲笑する声。
別にこんなことを気にしているわけじゃない。自分が勝手にやっていることなのに、何故か、動揺した。その証拠に手元が狂い、花瓶を傾けてしまった。

瞬間、ガシャンと酷く陶器が叫んだ。それが話の終わりを知らせるかのように、声は何も言わなかった。女中たちはその音を耳に収めると、そそくさとその場を去ったのだろう。



……どうせ私は、誰にもこころから思われていないんだ。昔も、今も、そしてその先も。

政略結婚なんて、この時代では普通。そんなことはわかっている。けど、私が選ぶ時間さえも与えず、勝手に決まって、勝手に準備が行われ、あっという間にこの四国の地。

昔からそうだった。父上と母上は私には何も予告せず、勝手に物事を決めてしまう。

そしてそれにはなにも逆らえない。逆らえる余地すら与えてくれなかった。

だから、私は小さいころから、人は信じられなかった。表では褒めても、裏では何を思っているのか。どうせ今の女中みたいに、父上も母上も私を思っていないんだ。



遠くからドタドタと、少し乱暴な足音が聞こえてきた。……嗚呼、また元親様だろう。

元親様は、最初に会った時に私が冷たい態度をとったのに、優しく接してくれる。“鬼ヶ島の鬼”という異名が、嘘みたいに。

けど元親様だって、こころでは私のことを愛想のない女とか、面白くないとか思っているに違いない。いや、もしかしたら、私に優しく接して、私の家の事や動きを聞き出そうとしているのでは。そして私の家を潰し、治めている領地を奪う。そうだったら、鬼という異名にも納得がいく。

そんなことを考えているうちに足音はどんどん大きくなり、最高潮に大きさが達したその時、ふすまが勢いよく開けられた。

「……元親様、そのように勢いよく開けられてはふすまが壊れますし、入られる前には一度声をかけてください」

庭の方を向いたまま言う。まったく、いつも慌ただしく入ってくるお方だ。毎回注意しているのに、直そうとしない。

……?いつもなら、「まあなまえ、そんな堅いこと言うなって」とか言うのに。

「どうかなさいましたか、元親さ……っ!?」

体が前のめりになり、何か温かいものに支えられた。それはぎゅぅ、と締め付けられるほどではないものの、力強く私の体を支える。いや、こ、これは……

「な、何をなさるのです!いきなり!」

元親様が私を、抱きしめているのだ。逞しく鍛え上げてある腕は、そう簡単に私を放そうとはしない。それはわかっているのに、驚きを声に出してしまった。

ただ元親様は何も言わない。私の目線は元親様の着物で覆われ、体は彼の腕で固定されているため見上げることもできない。



「すまねぇ」

その言葉で私は、解放された。彼の顔は、心配の色を表している。

「あ、あの……?」

いきなり何か。まさか、先ほど私が思っていたことが当たったとか?

「あんたんことを、うちのやつが悪く言っていたろ?それで傷ついていないか、心配で……」

「あ……」

元親様も、近くにいたのか。その時聞いた女中の声と、私が割った花瓶の音を聞きつけたのか。割れた花瓶の残骸と濡れた床、無造作に散らばった花を横目で見ながら思った。

「いえ、怪我はしていないですし、大丈夫ですよ」

「……俺が言いたいのは、“こころ”、の方だ」

「………」

少しごまかしてみたが、駄目だった。わかっていたことだが……



だけど、貴方に私の何がわかるの?私と違い明るくて、気さくで、素直で。部下に信頼されている私と正反対な貴方が、心配したってただの同情じゃない。情を知っても、それを“こころ”から知ることはできない。

黙っていた私を視た元親様は、口を開いた。

「俺があんたんことをわかるはずがない、て眼だな。でも……、俺もそうだった」

「は……?」

「小せぇ頃、俺の周りは厳しかった。長曾我部家の跡取りがなんでこんなことができないんだとか、そんなことでうじうじするな、そんな言葉ばかりだった。」

「……」

「俺は五月蝿く言われるのが嫌で、部屋に閉じこもっていた。その時の俺を、“姫若子”と一部から嘲笑された。それを聞いて、誰も“俺”を視ていねぇと思った」

がしがしと頭をかく元親様の顔は真剣そのもの。それは今の話を嘘じゃないと物語っている。けど信じられない。太陽のような方が、昔は今の私と似ているなんて。

「けどな、」

元親様の手が私の髪に伸び、優しく透く。
「大人になって、俺が城主になった時、気づいたんだ。本当は、皆、俺のことを思って五月蝿く言っていたんだと」

まあ、俺を嘲笑したやつらは別だけどな。と、苦笑しながら付け加えた。

「最初顔を見合せた時にわかってたんだ、なまえ。あんたが昔の俺と同じように、人を信じられねぇ、て。周りが厳しく。だろ?」

「……はい」

「跡取りや人の好みとかがあるかもしれねぇ。この時代だから、尚更。けどな。皆がみんな、なまえのことをこころから嫌ってたわけじゃねぇと思うぞ?」

「でも……」

「一回でも、ちゃんと話し合ったことあるか?」

その言葉で、私は黙ることしかできない。何も言えないからだ。

私はいつもいろいろなことを勝手に決められていた。だけどその“理由”なんて、知らなかった。いや、自分は思われていないとずっと考えていたから、知ろうともしなかったんだ。




「けど、大丈夫だ」

「え……きゃっ!」

再び、元親様の腕の中に閉じ込められた。何だか安心するような、心地よさ。

「俺がなまえの傍にいる。今までは見ていただけだが、俺がなまえのこころを少しずつ癒してやる。……覚悟しとけよ?」




秘色



(その悲しみは、幻想にすぎなかったのかもしれない)




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