母は8月25日に死んだ。
父が死んでから15年経った年だった。母はつい先日、54歳の誕生日を迎えたばかりだった。50を越えた女性とは思えないほど、母は若く、美しかった。
私が今いる座敷には、母が眠る棺がある。葬儀を済まし、告別式と火葬を明日に控える今、私は異様に落ち着いた気持ちでいた。15歳になる妹は葬儀の間中泣き通しで、今は疲れて別室で眠ってしまっている。それが普通なのだろうが、私はそうはいかなかった。父も母もいない今、喪主は私なのだ。葬儀社と打ち合わせ、段取りを確認し、親族や弔問客に気を遣い、私は母の死を悲しむ暇も余裕もなかった。
そしてもう1つの原因は、ただ眠るように横たわっている母が、もう動かないことが信じられなかったことだ。今にも起き上がって、私を抱き締めてくれるような気がしていた。
コンコン、というノックとともに、咲ちゃん、と外から控えめな声が聞こえた。扉を開けると、母の姉、つまりは咲の叔母がひっそりと佇んでいた。存在感の無い叔母は、親族たちには気味悪がられていたが、母が唯一気を許していた相手であったし、気遣いのできる人だったため、咲はこの叔母のことが好きだった。
「どうしたの、叔母さん?」
「紅の持ち物なんかを処分しようと思って、貴女たちの家に行ってきたの。それで…」
叔母はそう云って言葉を区切り、黒い着物の懐から分厚い白い封筒を取り出した。
「…それは…」
「紅から、貴女への手紙」
そう云って、叔母は私の手をとってしっかりとその手紙を握らせた。そうして少し悩んだ素振りを見せた後、叔母は口を開いた。
「…その手紙の内容、私は知ってるかもしれない…勿論読んでいない。でも、紅は私には全てを話した…」
「……何のこと?」
「読んでみれば分かる。…もし咲ちゃんが、抱えきれなければ、私が力になる」
叔母はそう云って、私の手をぎゅっと握りしめた。何が書いてあるのか、何となく分かった気がした。でも私は何が何だか分からない、という表情を作った。叔母も、恐らく母も、私が感づいていたことは知らないだろう。知らない振りをしてきたのだから。
叔母が去って、私は元いた場所に戻り、再び座った。手の中の封筒を見つめ、そうして母の棺を見る。
お母さん、と心の中で呼び掛けた。
――お母さん、ずっと秘密にしていたこと、やっと教えてくれるのね…――