静雄バーテン時代










入り口の鈴がカランカランと鳴り、マスターがいらっしゃい、と言った。誰か客がきたのだろう。俺は顔を上げず、グラスを磨いていた。うっかりと力を込めて割ってしまわないよう全神経を注いでいたのだが。


「うっわ、本当にバーテンとかやってるんだあ〜」


のんびりと間延びした声に、思わず力加減を誤って、手のなかのガラスはパリン、と儚い音を立てて砕けた。


「い…ざや」

「シズちゃん久しぶり。それ、弟くんから貰ったんだって、ねえ?良かったねえ」


臨也はにやりと笑って俺の前のテーブルに腰掛けた。俺は粉々になったグラスを片付けながら、ふつふつと沸き上がる怒りを必死で抑えて、「外、出ろ」とだけ言った。


「ハッ、何それ?俺は酒飲みに来たんだけど」

「帰れ」

「やだなぁ。俺はお客様だよ?」

「死ね」

「ひどいなぁー。オススメくださいよバーテンさん」

「黙れ」

「…ふうん。あーあ、俺怒っちゃったなあ。明日くらいにも怖ぁーいオニーサンがたくさんここで暴れちゃうかもしれないね」


いつまでも相手にしない俺にいい加減腹が立ったのか、臨也はテーブルに頬杖をついてにこりとしながら物騒な事を口にする。


「ねえ、どうする?」


挑戦的な赤い瞳が俺を映す。俺は仕方なくシェーカーにジンとペルノーとウイスキーを入れて振った。
臨也が「わー本格的ぃ」などと言いながら手を叩いて喜んでいるのを横目で見て、俺はこみあげてくる笑いを必死で堪える。いつまでも余裕でいられると思うなよ。


「…飲んだら帰れよ」


グラスにシェイクしたカクテルを注いで差し出す。臨也はグラスを持って、上から見たり下から見たりとまるで小学生が何かの観察をするように熱心に、いろんな角度からそれを眺めた。


「これなあに?」

「アースクエイク」

「俺あんまカクテル詳しくないんだけどなあー。説明してくださいよバーテンさん」


ここで言わないのもアリかとも思ったが、後ろから心配そうに見てくるマスターの視線を感じて一応の説明はしてやる。


「アルコール高え奴」

「ふうん、どれくらい?」

「40度くらい」


ずいぶんな数字を告げると臨也は一瞬目を丸くした。ザマアミロ、と心中で笑っていると、臨也はいきなり腹を抱えて笑いだした。
とうとう本格的におかしくなりやがったか。臨也はばかでかい声でアハハハハハと笑い続けたが、ふいにその笑いを止めて俺を睨み付けた。


「何それ死ねと?」

「そぉだなあ死んでくれよ臨也くん」

低い声で囁いて挑発するように前のめりになる臨也に、口角だけで笑いながら俺も身を乗り出す。お互いの額を合わせながら睨み合い、しばらくごりごりと音がするほどに額をすり合わせていたが、急に臨也が「飽きた」と言って頭を引いたせいで、俺は危うくテーブルに頭をぶつけそうになった。が、寸での所で縁を掴み、事無きを得る。


「まあいいや。…俺さあ、お酒結構強いんだよねー。うーんハーブ?良い香りー」


臨也はグラスを優雅に揺らせたかと思えば、勢い良く傾けてアースクエイクを一気に半分位まで減らした。俺は臨也の思いもよらない行動に間抜けにも口をあんぐりと開けてしまった。

…嘘だろ。
それはアルコールがバカみたいに高い酒で…そんなに、一気に飲んだら。


「…お前、んな一気に飲んだら」


もう一度グラスを傾けようとするそのやけに白い手首を掴むと、臨也は一瞬驚いたようにビクッと身体を震わせたが、すぐにいつものように小憎たらしい笑みを顔面にはっつけた。


「心配してくれてるの?」


あはは、と笑い、量としては少しだが再びグラスを傾けてカクテルを口に含む。あり得ない。俺は驚きのあまりに言葉を失っていたが、臨也が「え、何でそこで黙るの」と焦ったように言うので、誤解されたら最悪だと無理やり言葉を絞りだした。


「…んな訳、あるか。死ね、死ねノミ蟲」

「わあ、冷たいね!」


あははと楽しそうに笑うこいつは高校時代と何ら変わらない。

そういえば、このクソノミ蟲と会うのも久しぶりだな。
卒業と同時に就職した俺は就職先で次々と問題を起こし、職を転々としたが、幽の協力もありようやくここで1ヶ月続いている。マスターもいい人だし、あと1ヶ月、何事もなければ正社員にしてくれるらしい。
一方の臨也は池袋の裏側でたくさんの人脈を築いているらしい。詳しくは知らないがヤクザとつるんで何かやっているらしい。まったく危ない奴だ。

そんなふうに懐古したりしていると、臨也がちょいちょいと俺の手をつついて「ヒマ」と言った。

テーブルに乗ったグラスを見れば、カクテルはあと一口くらいを残して無くなっていた。恐るべきハイペースだ。


「…そこにトイレあるからここで吐くなよ」


一応声をかけてやるが、臨也はけろりとした顔で首をかしげる。


「酔ってないよ?」

「じゃあ早く飲めよ」

「だってコレ全部飲んだら帰らないといけないんでしょ?」


まだシズちゃんとお喋りしたいなあ。酒のせいかもしれないが少し頬を染めながら甘ったるい声でそう言った臨也に、飲んでもいないのに地震があったかのような衝撃が走った。




「…気持ちわりい」

「ハァ?何それ。普通コレときめくとこだから」





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