ピルルル、という電子音がボロいアパートに鳴り響く。特に設定を変えていないので、この携帯を購入した約一年ほど前から、ピルルルという電子音は俺にとってイコール着信音なのである。

…電話、か。…え、今何時だ…?

あまり働こうとしない寝起きの頭をゆっくりと回転させる。携帯があるから必要ない、という理由でこの部屋には時計がない。だから正確な時間は着信を訴える携帯を見るでもしないと分からないが、雨戸を閉めるという習慣は無いにもかかわらず部屋の中はほぼ完璧な闇だ。まだ深夜なのだろう。1時辺りに寝たから、2〜4時位ではなかろうか。

って事は…仕事じゃねえし…まあ、いいか…

そうして意識を手放す。しかし着信音は鳴り止まず、余りの鬱陶しさに充電器をぶっ刺していた携帯を掴んで放り投げた。カチャン、と無機質な音が響いてそれは大人しくはなったが、おそらく買い替えるか修理が必要だろう。まあいいや、今の俺にとっては睡眠が大事なのだから。俺は寝返りをうって、枕に顔を埋めた。



ピンポン、しばらくすると先ほどとはまた違う電子音が響いた。間違いなくインターホンだ。来客を告げるそれがピンポン、ピンポンと一定のリズムで押される。睡眠を妨害された事に沸々と怒りが沸き上がる。このまま無視をするか、来客の相手に一発食らわせるか。ピンポン、ピンポン、未だ鳴り止まないそれにいい加減我慢できなくなった俺は後者、来客相手に一発食らわせてやろうとドアを開けた。


「やっほう、シズちゃん。この時間ってこんばんはの方が良いのかな、それともおはよう?俺的には4時から早朝で、それに伴う挨拶はおはようだと認識してるんだけど今何時だっけ、3時52分?53分?あっは、微妙だよねー。ああ君は寝てたみたいだからおはようが正しいのかな、よし改めて言おうっと、おはようシズちゃん」


ああ、一発で済みそうにない。
俺はこれから起こるであろうめんどくさい事に頭を痛めつつ思い切りドアを閉めたのだが、来訪者ー臨也の足がスライドし、それがつっかえることによりドアは閉まらなかった。


「ひどいなあ…挨拶無しでドア閉めるとか…今すごい傷ついた。俺の心砕けそう、ガラスのハートがパリンって」

「…相手が手前だからだよ、手前の…「わーシズちゃん声えろーい!寝起きの声ってえろーい」


きゃっきゃと騒ぐ臨也に、だんだんと覚めてきた俺の頭は今が深夜である事を思い出させ、何をどうしても引かないであろう臨也とこのまま玄関で争っていては隣近所に迷惑がかかる、という結論に至った。
仕方なくドアを閉めるために入れていた力を抜き、臨也のやけに細っこい腕を引いて部屋の中へ招き入れる。


「きゃー乱暴はやめてー」

「何がきゃーだよ気色わりい」


すっかり目が覚めてしまったため、サイドテーブルからタバコをひっつかんでくわえる。臨也はニヤニヤと笑いながら俺に近づいてきた。


「シズちゃん、今日何の日か知ってる?」

「あ?…日曜?」

「あーもーバカバカほんとバカ。今日、2月14日(日)、何の日でしょうか」

「えー…と、ああ、あれか、チョコの日」


記憶の片隅から引っ張りだしたそのイベントは、俺にはほとんど無縁だったのだが、弟ー幽が毎年たくさんの菓子を段ボール数箱分ほど貰ってくるため、家族全員で早く食べなければいけない生チョコやらクレープやらを消費していたイベントだ。はっきりいうとありがた迷惑で、あげる方は自分の渾身の作品が幽の手に渡る、という事しか考えていないのだろうが、生菓子をいくら渡されても幽の腹に入るのはほんの数個で、あとは両親や俺や近所の人に行き渡っているということも考えてほしい。
まあとにかく、平和島家にとってはさながら戦争のようなその日は「チョコレートの日」であり、幽が大量に菓子を持って帰ってくる日なのだ。こうやって幽も俺も一人暮らしをするようになってからはそんな事も無くなりすっかり忘れかけていたが、子供の時の記憶というのは案外残るもので、2月14日と聞いて胃が重くなりそうな甘ったるい菓子の味まで思い出した。


「なにそのチョコの日って」

「幽が…大量に貰って帰って来てたんだよ」

「ふうん、シズちゃんは」

「別に、手前に関係ねえだろが」

「あっ、貰えなかったんだ」

「うっせえ、…俺の安眠を妨害しやがって…手前マジ殺す」


ふかしていたタバコを灰皿でつぶし、拳をつくると臨也は慌てたようにタンマ!と叫んで俺にラッピングされた箱を手渡した。反射でか、思わず差し出されたそれを手に取ってしまう。


「落としたら勿体ないしね」

「…んだこれ」

「チョコレート」

「…は?」

「チョコレート」

「……チョコレート?」

「うん、チョコレート。食べてみる?」


先ほど臨也自身が手渡したにもかかわらず、俺の手から、どうやらチョコレートが入っているらしい箱を掠め取り、綺麗に巻かれたリボンを解いて、包装紙をビリビリと破き中身を取り出す。幽が貰ってきていた中にもいくつかあった、生チョコというやつによく似ていた。


「はい」


その中の一つを、おそらく箱に同梱されていたであろう楊枝で差し、俺に突き出す。


「…いや、……え?」

「食べないなら俺が食べるけど」

「…つうか、何でお前が俺に」

「あー勘違いしないで、別にシズちゃんにあげようと思って買ったんじゃないから。たまたま安かったから買っただけだし、落としたら勿体ないから今食べるだけなの。で、俺一人じゃ食べきれそうにないからシズちゃんに恵んであげようとしてるだけだから。わかった?食べるの、食べないの?」


ぺらぺらとよくもまあそんなに舌が回るもんだ。
生チョコを眼前に突き付けられたため、カカオの匂いが鼻孔をくすぐる。食欲を誘うその香に俺は思わず口から「食べる」という言葉を発していた。臨也はどこか満足そうに頷いて、生チョコを俺の口元へ運ぶ。


「じゃあ口あけて、はいあーん」



ぽとり、と俺の口の中に落とされた生チョコはすぐに溶けたが、楊枝を持ったままそっぽを向く臨也の頬の赤みはしばらく引かなかった。









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