どうしてあいつはこんなに色気があるんだろう。 追い詰めて手を捻り上げると、少し眉をひそめて上目遣いで見上げる潤んだ瞳が俺を映す。俺は思わず動きを停止した。その隙に臨也は俺の脇を擦り抜けてどこかへ駆けていく。 先週の喧嘩、もとい、おいかけっこの、このシーンだけが脳内で何度も何度も再生される。 なんなんだろう。この映像が再生される度に、なんでこんなに心臓がバクバクと煩くなるんだろう。なんで熱がに集まるんだろうか。その答えは案外早くにたしかな形をもって出た。ついでにいうと、出なくてよかったものも、出た。 夢精。 …最悪だ。 臨也が、俺の上で喘いで、俺の上で吐精して、例の、あの表情。 そんな夢を見て、朝起きたら股間にいやな感じがした。 俺は一体全体どうしたんだろう。大嫌いな男に欲情するなんて。 真剣に悩んだ俺は、人に相談する事にした。 「珍しいね、最近は来ることも少なかったのに」 「…いや、ケガとかそういうんじゃ無いんだけどな」 「…?君が精神的に病気なのかい?」 新羅の所へ行くと、丁度セルティは仕事で出ていた。好都合だ。俺はこの際新羅にすべてを話すことにした 。新羅は、『闇』ではあれど、かなり優秀な医者だし俺の事も臨也の事もよく知っている。俺は自分の中で到底この問題が解決できそうに無いので、新羅にすべてを話すことにした。 「それは…なんというか、まさに驚天動地、だね」 「…ああ、一番びっくりしてんのは俺だ」 ひととおり話し終わると、新羅はふぅ、とひとつ大きなため息をついた。頬杖をついていた腕を天にのばす。 「君たちは本当にお互いを嫌いあっている、不倶戴天の間柄とばかり思っていたけど」 「いや、勘違いしてくれるな。俺は現在進行形であのノミ蟲が大嫌いだ。アイツを殺したいとも思っている、それは確かなんだ」 「でも静雄、臨也に欲情してるんだろう?」 「それは…」 ストレートに、真実をさらっと言ってのける新羅に思わず口ごもる。そう、それも確かな事だ。確実に俺はアイツが大嫌いで殺したい、なのに、アイツを俺の上で喘がせたいとも思っている。別に、身体を開いて屈辱を味あわせたい、とかそういうわけじゃないから酷く矛盾している。もう訳がわからない。思わず頭を抱えるとピンポン、と気の抜けるほど軽快なチャイムが鳴った。 「あれ、誰かなあ。ちょっとごめんね、静雄」 「あーいや、いきなり押し掛けたのはこっちだし、気にすんな」 新羅はバタバタとスリッパの音を響かせて玄関へ駆けていく。…別に、新羅には全くもって欲を感じないので、ゲイになったわけではないと信じたい。先ほど新羅が吐き出したものより幾倍かの大きさのため息をついて、椅子の背もたれに思い切り身体を預けると、ガチャと扉の開く音がして、今一番会いたくない人間と目が合った。 「わ、シズちゃんじゃん」 俺は思わず、体重移動を誤ってそのまま後ろに倒れた。 おい、新羅。無言で睨むと顔の前で両手を合わせられる。ああ手前、後で絶対殴るからな。 臨也は我が物顔でソファーに腰掛け、新羅にはい、と手を差し出す。差し出された手は少し擦り剥けて血が出ていた。こいつ、こんなんで闇医者にくるのか。 「シズちゃん、悪いねぇ。今日は一時休戦で頼むよ」 にこりと悪戯に笑む臨也。俺は不覚にも頬に熱が集まるのを感じ、何か事を起こしてしまう前に早くこの場から去ることにした。 「……新羅、俺帰るわ」 「バイバーイ」 「う、静雄ごめん」 臨也の笑い声と新羅の苦い声をうっすらと聞きながら、リビングのドアを閉め、エレベーターで階下に降りると、俺は駐車場にゆっくりと座り込んだ。臨也の声だけが耳に付いて離れない。 タバコをくわえてみても落ち着かず、ただニコチンが肺を満たすだけだった。 臨也の顔見ただけで、すげえ心臓がバクバクいってうっさかった。ああもう、俺はどうしよう。 突然響いたブォォ、と言う音に後ろを振り返るとエレベーターの階数表示がどんどん変化している。まさか。 チン、音がしてエレベーターのドアが開く。 逃げようとしても時は既に遅く、臨也がフンフン鼻歌を歌いながらエレベーターから出てきた。心臓がまた忙しなく跳ねだす。 「あ、シズちゃん」 俺の気も知らないで、こいつは何時もどおりに微笑む。 俺だけが振り回されていることにイライラを感じたのも束の間、気付けば俺は臨也の肩を押して思い切り奴を駐車場の壁に押しつけていた。臨也が小さくうっ、とうめき声を漏らす。 「いっ、たあ。なにすんのさ…」 臨也が痛みに眉をひそめる。 あ、やべえ。その表情だ、もうたまらねぇ。俺は無理矢理臨也の両手をひと纏めにして壁に縫い付けた。 「…え、なにこの状況」 「うっせぇ」 よく回る赤い舌ののぞく、小さな口に自分のそれを押しつける。がちん、と歯のあたる音がした。キスってこんな感じなんだろうか。したことが無いのでよくわからない。 昔金曜の夜にテレビでやっていた洋画で見たように舌を入れてみると、臨也の表情はさらに色気を増した。口からは鼻から抜けたような声が溢れ出る。 「ふ、…ん、…っ」 臨也は抵抗もしないかわりに、自ら舌を絡めることもせず、目を閉じて、ただされるがままになっている。臨也の唇を充分というほど味わって、俺はゆっくりとそれを離した。 「………シズちゃん」 「…………悪かった」 「…あのさ、」 「悪かった」 俺は続く言葉を聞きたくなくて、なるべく臨也の顔を見ないようにしながらその場から全速力で逃げた。 一人残された彼ー折原臨也はしばらく放心したように固まっていたが、やがて唇の端に垂れたどちらのともつかない唾液を拭った。 「はー、これだから童貞はいやだねぇ。へったくそ」 ぺっ、と駐車場に唾を吐き捨てて先ほど中断された鼻歌の続きを歌いながら池袋の街へとくりだす。彼の吐いた唾液には、血が混じっていたのか少し赤みを帯びていた。 |