「シーズーオさんっ」 ぼふ。 軽快な声のあとに背中に軽い衝撃。抱きつかれた体を見ることをしなくても、その主の見当はつく。 ああ、またマイルか。 俺の最も嫌いな男の妹、舞流。兄がいくら性格がひんまがっていようと、理屈を捏ねて捏ねて捏ねて捏ねまくって人を弄ぶような奴だろうと、妹に罪はない。 臨也とは違い感情に素直な…いや、臨也も素直と言えば素直なのだが、まっすぐと言うわけではなく、無邪気なようで邪気に溢れた、素直に素直と言えない素直さなので、そんな臨也とは違う素直さを持つ舞流の事を嫌いにはなれず、慣れた過度なスキンシップにもたいして驚きはしなくなってきた。 「なんだマイル。幽なら…」 もう幾度目かの体当たり、兼、抱きつき攻撃に慣れた手つきで背中に手を回し、襟首をヒョイと持ち上げるとー…そこに居たのはマイルではなく、その兄の、俺の最も嫌いな、性格がひんまがっている、理屈を捏ねて捏ねて捏ねて捏ねまくって人を弄ぶような、無邪気で邪気に溢れた男、折原臨也本人だった。 「わーいだーまされたっ!…っていうか、今背中に思いっきりナイフ刺したんだけどなぁ、ひょっとして無傷?」 はい、思考停止。 そういや、ぶらさげた腕がいつもより少し増した重みを、背中がちくっと痛みを伝えていた気がする。俺は思いっきりー…黒くてカサカサと動き回る虫が手に乗っているのを見つけた女のように、掴んだ襟首を思いっきり放り投げた。 「い、臨也ああああああ!」 俺が放り投げることを予測していたのか、臨也は簡単に受け身をとり、コートを風に遊ばせてひらりと地上に降り立った。ああちくしょう。完璧に殺すつもりだったのに。メジャーリーガーも裸足で逃げ出すような投球、もとい投・臨也をした俺は、驚きで跳ねた心臓を落ち着かせるために肩で大きく息をした。ニヤニヤと笑う臨也を睨み付ける。 「うわ、怖い顔!全く気がつかなかったの?やっぱマイルと似てんのかなーやだなぁ」 「手前、抱き…っあーきめぇ!うわ、じんましんでてきた」 「…えー、そこまで?」 臨也が背中から俺に抱きついているところを客観的に想像すると全身があわだち、かゆくなった。もちろんそこには恋愛感情などというクソみたいなもんは微塵もなく、純粋な殺意だけがあったわけだが。かゆみに腕を掻き毟っていると、臨也が急にニヤニヤ笑いを止めたかと思えば間合いを詰めた。俺は咄嗟のことに身構える事が出来ず、手で頭を抑えたが、いつまでもナイフが肉を裂く感覚はやってこなかった。 「…えいやっ」 臨也は、真っ正面から、俺に抱きついた。 思考停止、思考停止、思考停止… 池袋はしばらく静寂に包まれた。 あの平和島静雄に、あの折原臨也が、抱きついている。 黒バイクを越える都市伝説になりかねないそれを目撃した者は写メを撮ることも忘れ、ただ口をあけて見つめる事しかできなかった。 当人も反応は同じで、俺は頭に掲げた両手のこの後の行く先もわからず、ただ目をこれでもかというくらいにかっ開いて口から意味のない言葉を発することしかできないなんとも情けない格好で固まっていたのだ。 ただ一人、沈黙が支配する空間で臨也だけは自由に動いていた。しばらく抱きついて鼻先を擦り付けてたかと思えば、バーテン服を捲り上げ、俺の腹筋を見ながらナイフを刺している。どこまで刺さるか実験ー、とでたらめな節をつけて歌を歌いながら。 「っ、だあ!!」 大声を上げて、無理矢理、固まっていた体を動かす。臨也はぴょんと後ろに飛んですかさず間合いをとった。 「…殺す、殺す、殺す、殺す。殴る蹴る潰す」 「わーシズちゃんひどい!抱き合った仲なのにぃ」 「手前が勝手に抱き…ああああああもう死ねえええ!」 沸き上がる殺気を押さえる気にもなれず、傍にあったガードレールを引っ込抜き、投げつける。躱されたそれを横目で見ながら道路標識を引っ込抜こうと力を加えると臨也が俺の横を擦り抜けた。 「 」 耳元でささやかれた言葉。通行人には聞こえなかったであろうそれをかすかに聞き取った俺は思わず力加減を誤り、勢い良く引っ込抜けた標識の反動で思い切り尻餅をついた。 「痛ってぇ、手前!」 痛みを堪えつつ振り向くと、臨也の姿は見えなくなっていた。ちくしょう。まだじんましんが出てやがる。 「シズちゃん、いいにおいだねぇ」 耳元でささやかれた臨也の声がまだ離れない。 ああ、うざってぇ。 トムさんやセルティが心配そうにどうしたのかと聞いてくる度に背中にぬくもりを感じて、俺とじんましんの闘いは続いた。 ああ、うざってぇ。 |