池袋は、バケツをひっくりかえしたような雨だった。 昼間はカラッカラに晴れていたから、新宿を出るときの波江の「傘持っていったら」という言葉を一笑に留めたことを後悔する。 よりによって、池袋で。長居したくないのに。 お得意先から、ぜひ直に会って話をと頼み込まれては向かうしかない。 「ほんとやーだなぁ。池袋」 とりあえずコンビニに駆け込み、ビニール傘を買う。 コンビニのビニール傘ってなんで骨組みにビニール張っただけでデザイン性の欠片もないのに普通に高いの?絶対ぼったくりなんだけど。池袋であんまりお金使いたくないんだけど。という言葉はまあ、俺も大人だし?メガネで小太りの店員を睨み付ける程度に留める。 安っぽいビニール傘を買ってコンビニを出ると濡れた金髪が道路標識を片手に待ち構えていた。 「わお、シズちゃん。いつもストーキングごくろうさま」 「誰がストーカーだ!死ね臨也あああああ!」 振り回される標識を躱す。シズちゃんって大振りで何も考えないから避けるのはすんごく簡単。ただ、当たったらすんごく痛いってだけで。 飛び乗ったガードレールの上でバランスをとる。シズちゃんはハァハァと荒い息をして標識を振り回す。 「じゃあ何で俺が池袋に来ると必ずシズちゃんと会うの?」 「知るっかあああああ!」 シズちゃんは標識を投げた。今まで標識は投げられた事ないから、うん、ちょっと予想外。投てきするみたいに投げられたそれは予想外でも簡単に避けられたんだけど。俺は濡れたガードレールから滑って落っこちた。 「いったあ…あーもー、濡れたー」 「ははは、無様だな臨也クンよぉ」 乾いたシズちゃんの笑いにいらっときた。その瞬間復讐とばかりににビニール傘を投げていた。投げてからしまったと思ったけど、もう遅い。ナイフも刺さらない人間がビニール傘でどうにかなるわけがない。 「シズちゃんとか死ねっ」 シズちゃんは簡単にそれを受けとめてニヤニヤ気持ち悪く笑いながらビニール傘をばきっとへし折った。 「あーー!!」 「な、なんだよ…」 俺の反応があまりにもでかかったからか、シズちゃんはびっくりしてビニール傘をへし折ったまま固まった。そんなシズちゃんを見て、俺はビニール傘を役に立てる方法を思いついた。こけた体制から顔を押さえてうずくまる。 「シズちゃん…最低…あり得ない…」 「な、なんなんだよ、ホラ、これでいんだろが」 シズちゃんは傘をさっき折ったのと逆方向にへし折ってビニール傘を俺に渡す。その頃には俺のうそ泣きは完成していた。顔を上げた俺の涙目にシズちゃんはぎょっとした。ざまあみろ。ビニール傘の恨みだよ。 「ふっ…シズちゃんが…シズちゃんがぁ…」 「あ゛ー!泣くな!傘、元どおりにしてやったから、な!…手前ら、見てんじゃねぇよ!あ゛ーもう、くそ臨也!」 シズちゃんは往来が気になったのか俺の手を引いて高架下の小さなトンネルにひっぱりこんだ。俺はシズちゃんの反応が楽しくなって、本格的にうそ泣きをする事にした。シズちゃんは焦る焦る、本当にオロオロしてて、俺は笑いを必死にこらえた。 「臨也、オラ、傘。だから泣くんじゃねぇって」 チラと。シズちゃんいわく「元どおりになった」傘を見たが、どこからどう見ても二回へし折られた傘だった。 「全然元どおりじゃなーい…っうわーん、シズちゃんのバカァ」 「あ゛ー!泣くなって!…同じの買ってきてやるから、待ってろ!」 シズちゃんは変なところで優しいと思う。例えば、普段は乱暴で手が付けられなくても、相手が泣いたらきっと今みたいにオロオロしっぱなしだと思う。あ、仕事とか吹っかけられたケンカとかは別だと思うけど。あと、捨て犬とか捨て猫とかとやたら仲が良い。きもい。それにそれに、ロリコン。なんていうか、こうやってシズちゃんの特徴をあげていくと、シズちゃんって昔の少女漫画の相手役として出てきそうな感じだと気付いた。 シズちゃんの優しさにちょっぴり罪悪感は湧いたけど、それよりもシズちゃんをからかうのが楽しくて俺は演技に演技を重ねた。 「…シズちゃん…一緒にいこー?」 俺は何人も虜にしてきた上目遣いで、何人も骨抜きにしてきた甘えた声を出してみた。 シズちゃんならきめぇきめぇ、死ね、くそ臨也くらい言うかと思ってたけどシズちゃんは暴言を吐くどころか頬っぺたをちょっぴり赤らめさえした。うわ、きめぇきめぇ。死んじゃえシズちゃん。 「あーもう、ほら、走るぞ」 「…俺、さっき足挫いたから痛くて走れないや…シズちゃん、おんぶ」 さすがにおんぶには嫌悪感があるのか、シズちゃんがうっと声を上げてみじろぐ。 うーん、まだ駄目か。俺はだめ押しに、ぺたりと地面に座り込んで、手をばんざいしながら首をかしげる。 「シズちゃん、おんぶ」 シズちゃんはしばらく黙ったあと、オラ乗れよと言いながらしゃがんで背を向けた。シズちゃんって、意外とちょろいなぁ。こんなんじゃ悪い奴にだまされるよ。 「ありがとーシズちゃん」 「くそ、くそ…っ」 通行人が気味が悪そうに見てくる。俺はぶつくさぶつくさ言いながら歩くシズちゃんの背中でにこりと笑ってギャラリーに手を振ってみた。 しばらく雨に打たれてさっきのコンビニにつくと、シズちゃんは約束どおりビニール傘を買ってくれた。 「オラ、これで満足かよ」 「うん、シズちゃんありがとー」 「ったく、何でこんな高ぇんだビニールのくせによぉ」 シズちゃんが俺と同じような事を呟くからなんだかおかしくて笑ってしまった。それが癇に触ったのかシズちゃんは何も言わずにポケットに手を突っ込んでコンビニを出ると雨に濡れながら歩きだす。 「…シズちゃん!」 「あ゛?何だよまだなんかあんのかァ?」 「別にないけど…傘は?」 「もうこんだけ濡れたら関係ねーだろ」 そういってまた背を向けたバーテン服は確かにびちょびちょだった。白いカッターシャツは肌が透けて、跳ねぎみの傷んだ金髪はしっとりと濡れて落ち着いていた。 俺はシズちゃんに駆け寄ってさっきシズちゃんに買ってもらった傘をさしてあげた。 「…どういうつもりだ」 「…別に」 俺より背の高いシズちゃんに合わせて傘を上げるのは意外と難しくて、四苦八苦していたらシズちゃんはそれに気付いたのか、貸せよとぶっきらぼうに言って傘を持ってくれた。 「ありがとー。なんか今日、シズちゃんにいっぱいありがとーって言ってるね」 「何度も言うとありがたみがねぇな」 「なにそれ!失礼ー」 あははと笑いあって、ふと周りをみて見ると、どうやらシズちゃんは駅に向かって歩いているようだ。俺を送ってくれるつもりなんだろう。俺はびちょびちょに濡れたジャンパーをつまんでシズちゃんの腕を引っ張る。 「?」 「シズちゃん、俺さっきのでびちょびちょ」 「、で?」 「シャワー貸して?」 シズちゃんは急に立ち止まる。俺の言葉の意味を探ろうとしてるのか、眉間に深い皺を刻む。普段使わない頭を使うと人はこんな顔になるんだ。 「別に変な意味じゃないよ」 助け船を出してやってもシズちゃんの眉間の皺は消えない。あまつさえ、俺から目を逸らした。 「…じゃあ、変な意味で」 もちろん、言うだけだけどね。試しに言ってみるとシズちゃんは前より深く深く眉間に皺を刻んだ。じゃあどう言えばいいのさ。 沈黙が支配する中で、パタパタとビニール傘に雨が当たる音だけが響く。シズちゃんの右肩ははみ出していた。そういう、ちょっとしたところで優しいの、シズちゃん。そんな感じで別の事を考えていると、ようやくシズちゃんが口を開いた。 「手前、そんな事誰にでも言うのか」 シズちゃんは珍しく、ゆっくりと喋った。考えながら一語一語を絞りだしてるようだった。 そんなシズちゃんが気持ち悪くて、俺も考えながら喋ってみる。お互い相手の次言うことを読み合いながら喋ってるみたいで、シズちゃんと話してるのに何だかおかしな感じがした。 「…シズちゃんだけだよって言ったら、どうする?」 別に、シズちゃんにこだわらなくてもシャワーを借りるとこなんて池袋にもいっぱいあるのに。そう思っていても口から勝手に出るのはシズちゃんを誘う言葉だった。 「…シャワー、貸してやるよ」 別にシズちゃんじゃなくても良かったんだけどな。たまたまだよ。たまたまだから、思い上がらないで。なんて言おうとしたのに、またしても口からは勝手に「ありがとう」なんて言葉が出てきてどうしようかと思ったけど、シズちゃんの深いふかーい眉間の皺は無くなってたし、まあいいか、なんて。 そっか、きっとこのどしゃ降りの雨のせいだ。雨のせいで言おうとしてる言葉はかき消されちゃってるんだ。 そう無理に自分を納得させて、シズちゃんの家に向かう。だってそうでもしないと、これからシズちゃんの家で俺はどんな顔したらいいかわかんないし。 |