「うわっ」

俺を見たデリ雄の第一声はこれだった。客の顔を見てその反応っていうのはプロとしてどうなの。
眉を寄せつつジロリと睨んでやれば、デリ雄は何か変なものを見るような目を隠そうともせず、恐る恐る俺に尋ねた。

「……プレイ後っすか?」











「痛ー!!痛え、なにするんすか!」
「何がプレイだよ、お前が……いや、お前じゃないけど…」

ピンクの靴下を踏みつけると、デリ雄は飛び跳ねて悶えた。小指を狙ったからかなり痛いだろう。だけどな、俺はそんなの比じゃないくらいに痛いんだよ。
つい数時間前に同じ顔をした奴にガードレールをぶちあてられてきた俺の顔は、新羅に応急措置をしてもらったとは言え、なかなかのものだった。
「ププッ男前になったんじゃなアアアイタタタ!ゴメン冗談です」闇医者は半泣きになりながら全治何週間って言ってたっけ。右側の頬はまるでひどい虫歯でもできたかのように腫れあがってしまっている。取り引きをするはずだった四木さんはベッタリと湿布の貼られた俺の頬を一瞥したあと、次の約束だけを取り付けて俺を帰してくれた。いつものポーカーフェイスが少しだけ陰って見えた気もするが、気のせいだったかもしれない。書類だけを渡してご厚意はありがたく受け取ったものの、この顔を衆人に晒して家に帰るのに少しばかり抵抗のあった俺は、どうせまた来なきゃいけないんだからとデリ雄との予約を入れた池袋のホテルに直行した。
特にすることもなくベッドで携帯を弄りながら待つこと3時間弱、平和島静雄への殺意を増幅させたところでようやく現れたコイツが、あの発言だ。小指を踏むくらいはしてもいいだろう。

「な、なんか不機嫌っすね!」

びくびくと震えながら柱の陰に身を隠すデリ雄に、小指だけではなんとなく物足りなさを感じ、ついナイフまでも取り出している事に気が付く。パチンと音を立てて刃先をしまえば、チラチラとこちらを伺いながらそろりと右足を出し、ゆっくりと柱から出てきた。
その図体でやられても気持ち悪いだけなんだよと罵ってやりたい。そんな気分だが、あくまでこいつはデリ雄であって、シズちゃんじゃない。
そうだ。同じ顔をしていたからつい殺意のままに行動してしまったが、こいつは平和島静雄とは別の人間。……と思うことにしたんだった。

「……つい。ごめんごめん」
「軽っ。つい、でそんなモン向けないで下さいよー」

困ったなぁとたいして困っていない風に笑って金色の頭をかきながら、デリ雄が柱から姿を現す。その身にまとっていたものは前回と全く同じ、白いスーツにどぎついピンクのシャツ。
目によいとは言えそうにない配色に痛む目を軽く押さえながらソファーに座る。と、デリ雄も俺に倣うように、どっこいしょとなんとも気の抜ける掛け声をかけつつ俺の横に腰掛けた。横といっても、俺とデリ雄との間には拳ひとつぶんにも満たない位の空間しかない。やたらと近い。しかも、その至近距離でこちらをじいっと見つめてくる。

「……なに?」

訝しげに顔を歪めた俺を映す、シャツと同じピンク(一体どういった目的でそんな奇抜な色のカラコンを入れているのかは果てしなく謎)の瞳、その突き刺すような視線にいたたまれなくなり問い掛けてみれば、デリ雄は気まずそうに頬を掻きながら、あー、と言葉を濁す。

「言いたいことがあるなら言えば」
「いやぁ、なんつーか、その」
「なんだよ」
「えーと、」

ピンクの目玉を右に左にと動かしたり首の後ろを掻いたりしながらゴニョゴニョと言葉にならない声を漏らしていたデリ雄だったが、俺が手のひらにナイフを滑らせたのを見てバタバタと手を振りながら「今言います、今!」と繰り返した。
胸に手を当てながらフゥと深呼吸をする。芝居のようにすら見えるわざとらしい動作の後、デリ雄はゆっくりと口を開いた。

「……何も、しないんすか?」
「……何も、って」

「何も」、というのは、おそらくアレの事だろう。
アレはアレだ。口に出すのもおぞましく想像することを想像するだけでも吐き気がせりあがってくるが、デリホスを呼ぶ奴の目的は、挿れる挿れないはさておき、ああいう行為に及ぶという事であって。
大体の検討はついていたが一応問い返してみると、いつもより幾分か垂れ下がったデリ雄の眉は困っているようにも見えた。

「……そのー、俺は、なんつーか……」

その…だの、あの…だのと言葉を濁しながらだんだんと窄まっていく口が再びゴニョゴニョと呪文を唱える。
てっきりそういう事は慣れてしまっていると思っていたから、恥ずかしがるような神経があった事に少し驚いた。それどころかいくら待っても「あの」「その」「えっと」「俺」以外言いそうにないので、この辺りでデリ雄の言いたかったであろう問いの返事をしてやることにする。

「生憎、俺はする気なんか全くないよ。あ、君から何かしたら殺す」
「殺っ……!?」

大げさに俺との距離をあけるように仰け反るデリ雄。眉を寄せ、大口を開けて目を見開く。
バカみたいな顔、だ。でも、シズちゃんの顔。

あの仏頂面がこんなにたくさんの表情に変わるなんて知らなかった。見せないだけで、シズちゃんにも、きっとこんな顔があるんだ。
ふっ、と思わず吹き出してしまった俺をデリ雄が不審そうな目で見上げる。くるくると入れ変わる、無様で間抜けな表情がおもしろくて、堪え切れず声を上げて笑う。

「はははっ、君ってやっぱりおもしろいね……」

見てて飽きないよ。
そう言いつつ、笑いすぎて涙の滲んだ目を擦ると、クリアになった視界にはポカーンと口を開けたデリ雄がいた。
そのアホ面が、どんどん奴のシャツの色に近づいていっている気がする。いや、気のせいかもしれない。もう一度目をこすろうと手をあげると、その手首をガッシリ捕まれた。

「折原さんって、笑うと可愛いっすね!」
「、は?」

……もちろんリップサービスなんだろうが、まさかあの声あの顔でこんな気持ち悪いセリフを吐かれるとは予想外で、背筋に冷たいものが走りぬけぶわわっと全身にトリハダがたち、嫌悪感に顔がひきつった。

「何言ってるの頭大丈夫」
「ダイジョーブっす!ほら、折原さんいつも俺と喋ってる時眉間にシワ寄せてっから、その分今みてえな笑顔が輝く的な」

が、しかし。
続けられていく言葉を聞くうちに俺を内側から支配したのはまた別のものだった。"折原さん"。聞き慣れていない呼称ではないし、むしろそれが一般的であることはよくわかっていたけれど――ジクジクと燻るようにして違和感が広がっていく。
あいつの顔で、あいつの口で折原さんと呼ばれると、何となく気分が悪くなった。とくに理由などない。ただ腹の奥のほうがムカムカする気がした。

「……折原さん、ねえ…」

思わず漏れ出た呟きを拾い、デリ雄が少しばかり慌てながら「名前の方が良い感じすか」と問う。

「……いや、そういう訳じゃないけど……」

例えば若者敬語くずれのしゃべり方だったり、それでいいのかと思うほどに砕けてはいるがどこか壁越しに接されるのは今までだって変わらなかった、けど。
そのまま黙ってしまった俺と、そんな俺に対し何と言葉をかけていいのか悩み同じく口をつぐむデリ雄の間に、気まずい沈黙が流れる。

「あーー……すんません、俺、折原さんの下の名前読めねえんすよ。教えて下さい!」

沈黙を破ったのは渇いた手のひらが合わさる音だった。ぱんっと眼前で手を合わせる、デリ雄。その顔は、やっぱり平和島静雄と全く同じものだ。それなのに、あいつと同じかたちの唇は俺の名前を知らないと告げる。
当然と言えば当然だが、メールフォームにフリガナを書く欄なんかなかったから、漢字で書かれた「臨也」を読むことは平和島静雄でもなければ俺の知り合いでもないコイツには不可能に近い。しかし今更平和島静雄の顔を前にして改めて自己紹介するのも何だかおかしな話だ。

「……イザヤ」

名前を告げるだけに留めると、デリ雄はまるで何かを確かめるように何度も「イザヤさん」と繰り返した。

「イザヤ、さん……臨也さん、っすか。あー、なんか言われてみればそんな雰囲気っすね」
「適当な事言うね、君」
「いや、適当じゃないっすよ!臨也さん!うん。臨也さんっすよ。折原さんじゃなく……臨也、さん……、っつうか、」

なにかを考えるように顎に手を添え、首をかしげる。ウンウンという唸り声の後、デリ雄の口から出てきたのは聞き慣れた言葉だった。

「……臨也、?」

聞き慣れた言葉で、聞き慣れた、いつもの、すこしかすれた低音。
耳にするりと滑り入り、すとんと落ち着いたそれは、まごうことなき平和島静雄のものだった。

「…………は」

開いた口からは感嘆詞のひとつさえ出ない。デリ雄の後ろにあるドレッサーに映った俺はひどい顔をしていた。

「……あ、……な、なんかすんません。いやー自分的に、なんつーか、しっくりくるっつーか、こう…ビシッとはまるっつうか……」

照れたように笑うこいつに、ノミ蟲と呼ばせてみたら今度は何と言うのだろう。
一瞬考えたがやめておいた。どうせまたおかしな性癖を持っている思われ「サイケデリック・ドリームスは〜」とお決まりのセリフを吐きながら暴走するのがオチだ。暴走したデリ雄を止めるのは大変だった。
前回の事を思い出し苦い表情を作った俺をどう思ったのか、デリ雄はすんませんと繰り返し拝むように手を合わせた。

「うーん、やっぱり臨也さんって呼ばせてもらっていいすか」
「……別にいいんじゃない、君の好きに呼べば」
「あー…いや、俺調子のっちまいそうですし。……あ、そうだ」

調子に乗るって、何が。
そう口を挟む間もなく、デリ雄は何かを思い出したようにポンと拳を叩いたかと思えば、ごそごそとスーツのポケットを漁りだす。はじめは胸ポケットだったが、そこに目当てのものはなかったらしく次はジャケット、次はズボンとポケットを次々と漁っていき、最終的には尻のポケットから、銀色の小さなケースがその姿を現した。

「前の時渡すの忘れてて」

サイズは違えど、色といい質感といい、どことなくシズちゃんの携帯灰皿と似ている気がする。デリ雄はそのケースを開け、タバコの吸殻ではなく、長方形の紙を取り出して俺に差し出した。

「名刺っす。お前とか君とかじゃなく、ちゃんと名前で呼んでください」

細く長い、節ばった指に挟まれたぺらい紙。そこにゴシック体で印刷された文字を、目が、追う…………嘘だろ。

思わずひったくるように引き抜いて、真ん中に印刷された二文字の漢字を目に付きそうなくらいに近付けてみたり、離してみたり、紙をぐるりとひっくり返してみたが、そこに刷り込まれた文字は変わらない。
見間違い、なんかじゃなかった。

「……静雄」
「っす!」


お前はいったいどこまであいつになれば気が済むんだよ。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -