「――慎重に、ですか」
『くれぐれも頼む。金はいつものようにしておく』
「……ええ、もちろん。ご希望の通りに――」

回線の向こうの依頼主は念を押すかのように、『どれだけ時間がかかってもいいから慎重に店の情報を集めろ』と最後にもう一度言い残して電話を切った。
真っ暗の小さな液晶に映った自分の顔はなにか釈然としないような、そんな顔をしている。それなりに情報屋としての仕事を経験してきた俺だが、今回のは非常に珍しい話だ。
情報を集めろ。
それだけの依頼、期限無し。
店の情報を集めろと言われても、サイケデリック・ドリームス自体は何の変哲もないただの店に過ぎないのだ。情報といっても芳ばしい物は何一つないし、無期限だと言われても、正直あの店にこれ以上調べられるような所はなかった。
それに、当然のことだが、時間がかかれば金もかかる。
俺の依頼料は良心の欠片もないどころか、ぼったくりに近い額だ。もちろん金に見合うだけの仕事はするつもりだが、いかんせん、ただのデリバリーホストクラブにはつりあわなさすぎる。

「怪しすぎるわ」

俺の心中を代弁するかのように、書類の整理を終わらせた波江さんが呟いた。
金はきちんと振り込まれている。確認もしたし、一部は手元にある。楽な仕事で万々歳と喜ぶよりもむしろますますもって怪しいのだが、

「そうだね。確かに怪しい。でもさぁ、波江さん。あの店がどんなに鋭い爪を隠し持っていたとしても、危険な仕事ならそれはそれで、愉しみじゃないか!」

何かある。確実だ。
確実に、あの店には俺の知らない何かがある。ふつふつと沸き上がるよう高揚に逆らわず、俺は椅子に座ったまま地面を蹴った。クルクルと、視界が目まぐるしく変わる。
絶対零度の瞳で口を「目障りよ」の形に動かす波江さん、冬空の下の新宿の街と俺の愛する人間達、ビビットなピンクの文字を表示するパソコン、資料を綴じた――もはや「情報」とは呼べない位に、内容も量も薄っぺらいファイル。しかしこの紙数枚には何か、とんでもない火種が燻っているかもしれない。いや、きっとこれは今にも爆発しそうな火薬庫だ。そうに違いない。こうなったら徹底的に調べない訳にはいかないじゃないか。
俺はキャスターの力を借りてパソコンデスクへと滑り、ちょうど24時間ぶりにメールフォームと書かれたリンクをクリックした。












予約の時間まで、あと5時間弱。

仕事で訪れた池袋から帰る途中、駅に向かった俺の視界に飛び込んできたのは昨日ぶりの傷んだ金髪だった。
ただし、白いスーツにピンクのシャツなどという奇抜な格好ではなく、見慣れたモノクロのバーテン服を纏っている、金髪。デリ雄がシズちゃんと別の人間だとするなら一週間ぶりなのだが、無造作ヘアーという名のただの寝癖の一房に至るまで、デリ雄と、この平和島静雄はまったくもって同じだった。

「昨日ぶりだね、シズちゃ」
「ッいざ、どっから湧いてきやがった!!!」

そして、会話ができないのも同じ。
彼が振り向きざま、なけなしの言葉と共に飛ばしたのはむしりとられた壁の塊(不思議な表現だが、おそらく正しい)だった。あいにく俺はコンクリートのキャッチボールはできそうにない。髪の毛を掠めた、かつて壁だった塊が巻き起こした風を全身に感じながら、俺は昨日のデリ雄との会話を思い出していた。デリ雄は意味のわからないことしか言わないし、シズちゃんはバカの一つ覚えみたいに死ねしか言わない。どっちも最悪だ、吐いたため息は獣じみた咆哮にかき消された。

「池袋に来るんじゃねえって言ってんだろうが、死ね臨也ァアアア!!」

いつのまにか、地面にしっかりと根をはっていたはずの標識が自由になっていた。ドゴォ、という夕暮れの街に不自然な轟音と土煙を上げて、「止まれ」の文字が視界を横切っていく。
むしろお前が止まれよと心中でごちながら、コートについた土埃をはらった。

「毎度、手厚い歓迎ありがとう」

袖口に仕込んだ隠しポケットからナイフを手のひらに滑らせ、柄を軽く握って構える。
色々と投げつけて少しはスッキリしたのか、それとも疲れたのか、シズちゃんは意味もなく叫ぶのをやめてハァハァと肩で息をしていた。

「う るっせえ、死ね」

ナイフを構えたまま、平和島静雄を注視してみる。
ますますもって似ている。似ている、どころでは済まされないほど似ている。
言動や行動は全然違うが、外見はまったく同じだ。
二重人格か、それとも俺を騙そうとしているのか、それとも……ドッペルゲンガーか。
あり得ない事に近いということは分かっていても、俺は未だドッペルゲンガー説を捨て切れずにいた。この池袋にはデュラハンだっているのだ。ドッペルゲンガーの存在を信じない理由にはならない。
それに、二重人格も演技もいまいち面白みに欠ける。ドッペルゲンガーなら、もしかしたら平和島静雄を簡単に殺せるかもしれないのだ。

かまをかけてみるか。
何のことはない、ただの思い付き。昨日のデリ雄くんは完璧に演技をやり遂げたが、シズちゃんはどうなのか。

「つれないなぁ。一晩を共にした仲じゃない」

わざとらしく肩の辺りで両手をひろげ、首をかしげてみせる。
シズちゃんは俺の言葉を咀嚼している様子も見せず、ただ長い――時間にして、湯を入れたカップラーメンが出来上がり、伸びてまずくなるほどの長すぎる間をとってからようやく口をゆっくりと開いた。

「……あァん?誰が」

これだけの時間を使っておいて、生成されたのはその一言だけだった。あんまりにも時間をかけるから余程面白い言い訳を考えてくれているのかと思ったのに。肩透かしをくらいながらも、俺は彼の観察を続けた。嘘をついていないか、演技をしているか。シズちゃんを注意深く見つめる。
特に不審な点は見当たらない。もしデリ雄として昨日の記憶があるのなら、少しは反応するかと思ったのに、汗の一つも垂らしてくれない。

そう、俺は嘘を吐いていない。あの後俺は結局、デリ雄と一緒に朝日を拝むことになってしまった。
……とは言っても、朝を迎えるまで、いかがわしい事どころかロマンスの欠片も生み出すことはなく、勘違いしたデリ雄が暴走しだすのを俺が必死で止めていたに過ぎなかったのだが。

「誰が、誰とだ」

記憶の中の俺が、ガクガクの足とフラフラの体で「お客さんに楽しい夢をお届けするんだ」とか何とか言いながらソファーを持ち上げようとするデリ雄をどうにか止めようと四苦八苦しだした所で、今眼前にいる、デリ雄と同じ顔のシズちゃんが急かすように繰り返した。

「ああ、君と、俺がだよ」
「あ?」

俺の言葉を聞くやいなや、シズちゃんはサングラスの奥の眉をこれでもかといわんばかりに寄せて、口をぽっかりと開けた。
とんだ間抜け面だ。盛大に笑ってやろうと思ったら、それよりも先にハッハッハと小気味の良い笑いが響いた。

「ハッ、手前、これ以上頭イカれたら死ぬんじゃねえのか」
「うーん、もしもこの現象を俺の脳の側頭頭頂接合部に問題があるということで説明するとしたら、俺自信のボディーイメージはシズちゃん、なんてことになっちゃうからなぁ。それは確かにヤバイかも」

ドッペルゲンガーは脳の異常という説もあるが、あくまでそれは「自分が自分のドッペルゲンガーを見た場合」という大前提で成り立つものであり、今回の場合は俺という第三者が平和島静雄のドッペルを見ている訳だから、説明がつかないのだ。

「何言ってるのかわかんねえけどよお。妄想もそこまでいくとビョーキの域だぜ、そのまま死んでくれ」


…まあ、当然といえば当然なのだがこいつにそんな専門的でオカルトじみた話が通じるはずもない。シズちゃんはいつもの笑みを浮かべていつものように武器になるものを探し、いつものように器物を損壊してその手におさめ、ただのガードレールを殺傷能力に特化した凶器へと変えた。


5時間後、たとえばこいつらが本当にドッペルゲンガーだったとして、予約どおりにホテルに来たデリ雄の目の前にシズちゃんを突き出してやったとしたらどうなるのだろう。
俺にとっては、以前から知っている平和島静雄がオリジナルで、デリホスのあいつがドッペルゲンガーだが、デリ雄から見れば自分こそがオリジナルでシズちゃんがドッペルゲンガーということになる。もしオカルトじみた「ドッペルゲンガーに会うと死ぬ」という噂が本当だとしたら、はたしてどちらも死ぬのか、どちらか一方が死ぬのだろうか。
出会い頭に消えるのではなく、「本物」のアイデンティティーをかけてお互いが殺しあうのなら、死ぬのはデリ雄だ。コンマ数秒で答えが出た。多分、などと言葉を濁すまでも、考えるまでもない。あいつはただのデリホスで、こいつはただの怪物。
だが、どんなにババロアみたいな脳ミソを持っていても、屈強な筋肉を持っていても、もしも俺がオリジナルだと思っている平和島静雄がドッペルだった場合、ただの怪物は簡単に死ぬ。

やっぱりただの二重人格だとは思いたくない。

「死ぬのはシズちゃんかもね」

平和島静雄を簡単に殺すことができる。最高の爆弾、最高の情報じゃないか。


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