無機質な機械音が来客を告げ、覗いたモニターに彼が映って、そうか今日は土曜日だと思い出す。

こんな仕事をやっているからか曜日感覚は無いに等しい。日付ははっきり分かるんだけどなあと心中で呟きながらロックを解除し、そのまま玄関へ歩く。鍵を回して数分と経たない間にガチャリと扉が開き、眼前に現れたのは染めて大分日の経った金髪。俯いた彼のすこし荒い呼吸からむわっと酒の臭いがかおった。

「……ひどいにお、い…っと」

言い終わる前に、もたれかかるようにして倒れる細長い体を足を踏ん張ってどうにか受け止める。俺より一回りも二回りも大きな体は上背の割には大分軽かったが、彼みたいな膂力もなく、いたって普通の力しかない俺にはこうして支えてやるのでやっとだった。

「もう、ちゃんと立って」
「るせー、響くんだよ」
「わかったから、そこのソファーまで」

だらりと垂れ下がった腕をとって肩に回してやると、ふらふらと頼りなさげではあるが、どうにか自分の足で立たせる事に成功した。
大の男が二人してなにをやっているんだろう。一人ごちながら、そのままゆっくり、二人三脚のように歩いてソファーへと向かう。

「今日はどれだけ飲んだの?」
「たしか………………、つうか、そんなもん一々覚えちゃいねーよ、」

眉をきつく寄せ、覚束ない足取りで歩きながら言った「大量だ、大量」の言葉を裏付けるように、ようやくソファーにたどり着いた後の彼はひどいものだった。
いつもはもうすこしちゃんと歩けるし、ソファーに座れるくらいの筋力は残っているようだが今日は違った。俺の肩から離れると、そのまま体重の全てをソファーに移動させ、背もたれや肘置にぶつかったかと思えば、無駄に長い手足がはみ出るのを気にするように丸まる。
そんな様子を見てため息をつきながら向かい側のソファーに腰掛けると、程なくして黒い塊からにょきりと伸びた腕が俺を呼ぶようにひらひらと上下した。なにかぼそぼそと話しているが、うまく聞き取れない。仕方なく立ち上がって、ソファーの背もたれとクッションとの間に顔を埋めた金髪の後ろ頭に耳を近付ける。

「なに?」
「…………み、ず…」
「水?」
「……水」
「はいはい、ちょっと待ってて」

こんなどうしようもない酔っぱらいを甲斐甲斐しく世話してやる自分に感動しながらソファーを立ち上がってキッチンに向かう。
はじめのうちは嫌々だったが、最近は慣れてきたのかサービス精神もかなりのレベルにまで達している。冷蔵庫のサイドポケットには木曜日につい買ってしまった100パーセントのグレープフルーツジュースまで用意してあるのだ。未開封のそれを開けようかとも考えたが、それではあまりにも「シズちゃんのために準備してある」と言わんばかりでなんだか癪なので、冷蔵庫を通りすぎて流し台へと歩を進める。あれはまた「賞味期限が切れたから」という名目を付けて渡してやろう。「君の胃袋なら大丈夫だろう?」の一言は……今日と明日は駄目。後でしっかり賞味期限を確認しておこう。
つい数分前に洗ったばかりの透明のコップを乾燥機から取り出して蛇口をひねると、大きめのコップはすぐに水道水で満たされた。すこし入れすぎてしまい、歩く度に伝わった振動で水滴が跳ねる。

「お酒つよくないのに、なんでつぶれるまで飲むのかな」

水と一緒にちょっとしたお小言を渡す。彼はのそりと起き上がり、俯いたままではあるがちゃんと体を起こして水を受け取った。礼代わりなのだろう、「おう」という言葉とともに一瞬触れた手が熱い。

「……別に、つぶれてねえけどな」

受け取ったコップを両手で抱えるように握りしめながら不貞腐れたように言う。「わかったから、早く飲みなよ」と宥めると、俯いたまま前髪の隙間から俺をちらりと見て、それから一気にコップを傾けた。透明の水は面白いほど一瞬で、シズちゃんの口の中へ吸い込まれていく。ゴクリゴクリと小気味よい音をたてて上を向いた喉仏がふるえ、コップはあっという間に空っぽになった。

「あー……やっぱ冷てぇ水に限るわ」

先ほどよりはいくらかましな声がただの水道水に対して称賛を述べる。なんとなく申し訳なくなった俺は不自然にならないよう頭の中で何度も再生してから口を開いた。

「あのー、ほら、なんだっけ。柑橘とか?グレープフルーツジュースなんかも良いって聞くけど」
「グレープフルーツ……?」
「試してみれば?今度買っておくよ。安かったら、だけどね」
「おう」

今のは完璧に自然だった。ちいさくガッツポーズをしながら賞味期限内に飲まれる事が決定したグレープフルーツジュースの値段を思い出す頃には、ようやく体を起こせるくらいの余裕が出てきた長い身体は折り曲がってソファーに座りなおしていた。手には相変わらず、受け取った時と同じようにコップを持っている。ソファーのスペースは、ちょうど一人ぶん。吸い込まれるようにそのスペースに腰を下ろすと、隣の大きな身体がもぞもぞと動いて背もたれに預けていた体重を俺の肩へ移動させる。

「……こんなになって、よくつぶれてないなんて言えるよね」
「……うるせえ」

右肩に感じる、ほどよい重さと温かさ。傷んだ金髪が数本の束になってぱさぱさと肩に流れて、長めの前髪が鼻筋の通った彼の顔を隠した。
心地は良いが、いかんせん手持ちぶさたでしようがない。
この時間なら、なにかしらの映画が放送されているはずだろうとテレビでもつけようかと思ったが、残念な事にチャンネルは立ち上がらなければ届かない距離に置かれていた。だめもとで手を伸ばしてみるものの指一本分届かない。ならばと背もたれからすこし背を離すと肩に乗った頭が不機嫌そうに唸るものだから、しかたなくチャンネルを取ることは諦める。
携帯はデスクの上で充電器に刺さっているし、書類はその隣で、ノートパソコンはその隣。すっかり手持ちぶさたになってしまった俺は何をするでもなく、ただぼうっと隣の男の手の中で空になったコップをみつめる。

「……臨也ァ」

運ぶときに零れたのだろう水滴がコップを伝って細長い指を濡らした、と同時に、濡れた指の持ち主が俺の肩に頭を預けたまま口を開いた。
ああとうとう、いつもの、あれが来る。
俺は逸る心を押さえ、できるだけ何でもないような声で「なに」の一言を絞りだした。毎週の事だが、この瞬間だけはいつも緊張で押しつぶされそうになる。

「あー……明日な、仕事休みなんだけどよ……」
「……へえ、そうなんだ」

いたって興味などないと言わんばかりの声、台詞。
本当は知っていた。毎週、日曜日の休みをとるために上司に頼み込んで無茶に仕事を詰めていることも、素面じゃ言えそうにないと、ここに来る前に飲めないお酒を無理して飲んでくることも。

「……泊まってって、いいか」

俺の肩に流れた金髪から覗く耳が、いつもまっ赤になっていることも。

仕方ないから、そう、仕方ないから、普段通りの声でお決まりの台詞を吐いて布団に入り、明日はおもいきり週末だけの恋人ごっこを楽しんでやることにしよう。









週末婚

良い夫婦の日記念


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