「俺は、手前が嫌いだ」

苦しげに吐き出された声に対する答えは既に決まっている。おそらく雛形であろう言葉を口にすれば、彼はまるでもぎ取らんとするかのように掴んだ両肩を、解放してくれるのだろうか。

「俺も、シズちゃんが嫌いだよ」

痛いくらいに捕まれた肩。そこに籠められた力は俺の言葉を聞くと同時に少しずつ、少しずつゆるんでいった。インナーを捲れば赤く鬱血してしまった皮膚が顔を出すだろう。きわめて一般的で普遍的な俺の肌は特異体質の彼とは違って簡単に痕を残すのだ。
それはとても羨ましいことなのに、彼はいつも、俺の体に刻まれた傷痕を悲痛を湛えた瞳で、ただ、眺める。

「……手前が、嫌いだ。嫌いなんだ」

まるでうわごとのように嫌いだ嫌いだと繰り返し、彼は俺を引き寄せ、鬱血の隠れる肩口に顔を埋めた。

「嫌いだ」

手前の好きな所なんざひとつだって存在しねえ
手前の快楽の為だけに平気で人を騙す
手前の快楽の為だけに関係ねえ奴を巻き込む
他人が泣いてる横で手前は嗤う
本当にどうしようもねえ
最低の糞野郎―――

「……嫌いだ」

傷んだ金髪が俺の首を撫でる。肩口に埋まっていた頭がするすると離れてゆき、大きな窓から差し込む夕焼けが隠されていた表情を晒した。
実にいい表情だ、と思う。葛藤している人間の顔というものは実に素晴らしい。未来を決定する道がいくつも伸びていて、ちらりとそれらの入り口を眺めてはあれでもないこれでもないと逡巡している、人間の顔。

「そう」

無様な顔を眺めながら、俺は抑揚のない声で返した。自分でもおどろくほどに感情のこもっていない声だった。
嫌いだと言われても心が痛む事はない。「殺す」「死ね」「嫌いだ」今まで何度となく言われ続けてきた言葉だし、今更気に留めるなんて馬鹿らしい。それに俺だって彼を殺したい、死ねばいい、嫌いだと思っているし、時には口にだって出す。
そう、嫌いだ。お互いが、お互いの事を死ぬほど嫌いなのだ。
それなのに、俺たちはこうして、俺の部屋で、こんなに近くにいる。


俺と彼がこういう関係になったのは、いつだろうか。
たぶん、セックスだとかそういう事に興味があった高校の時。
合わない性格の代わりとでも言わんばかりに体の相性だけは最高で、学校も行かずに一日中セックスに没頭した日だってあった。それでも俺は心底彼が嫌いだったし、彼だって殺したい位に俺が嫌いだったはずだ。
俺たちにとってセックスというものは、ただの性欲処理に過ぎなかった。嫌いだと口にしながら体を重ねる理由、それがただの性欲で片付けられるならよかったのに。

いつからだろうか、それだけでは納得がいかなくなってしまった。たぶん、気付かないふりをしていただけで、ずっと前から。

セックスだけの関係ならまだよかった。キスしたり抱き締めたりするのは、違う。果てには、あいつの為に何かしてやりたいだとか、そんな感情はけして「性欲」の一言で掃き棄てられるものじゃない。俺たちのこれはどろどろと渦巻く、禍々しくて汚らしくて厭らしい感情だ。

じゃあ、これは、何だ。

そんな事を少しでも考えてしまった暁には、あたり一面が泥海になるのだろう。俺はそれを知っているからこそ、気付かないふりを続けて思考を停止した。考える葦でなくなってしまった俺は一体何なのだろうなんて、答えの出ない自己問答をする程、俺は馬鹿ではない。

俺は、彼とは違う。
そして彼は、俺とは違う。
人間でもないくせに、考える。

俺に対する感情は何か。考えるほどに自らの足が泥に呑み込まれていくのを知らないのだろうか。感情の名前を、彼はひたすらに考える。


「嫌い、なのに」

ぽつりと呟かれた言葉に、俺は静かに目を伏せる。「馬鹿だなあ」心中で呟きながら。

天に届かんばかりに伸びたビルに遮られ、窓から差し込んでいた陽光が途切れて明かりの点いていない部屋は陰った。
依然として口をつぐんだままの彼に、泥海に溺れていく彼に、俺は蜘蛛の糸を垂らしてやった。

「嫌いなんだろ」

答えなんて存在しない、思考を止めるのが賢明なのだと、はやく、気が付けばいい。


「君は、俺が嫌いなんだろ」

彼は静かにゆっくりと頷いた。

「俺も、君が嫌いだ。そんなことは分かってるだろ」

「分かってる」絞りだすように出された声はすこし擦れていた。

「俺たちが体を合わせる理由は、性欲だろ」

「そうだ」、それしかねえ。彼はまるで自分に言い聞かせるように呟いた。俺は満足気に頷いて続ける。

「ほかは全部、気まぐれだろ」

彼は、しばらくの沈黙の後に、俺を見た。訝しげな目だった。「気まぐれ」まるでその単語を知らないかのように、繰り返す。「……気まぐれ、だけ、か?」

「……君は、俺が、嫌いなんだろ」

ほんの数秒前と一語一句変わらない問いにもかかわらず、彼は逡巡するように目を逸らした。

「君は、」

俺が嫌いなんだろ。繰り返す俺の言葉を遮るかのように、彼は口を開いた。反射的に口をつぐむが、彼は口を開いたままでいっこうに言葉を発そうとはしない。

ビルを通り過ぎた陽光が再び部屋を染めた。目を通さなくてはならない書類も、テーブルの上の灰皿も、着信を示すランプが点滅する携帯電話も、すべてがオレンジ色に染まる。

痺れをきらした俺が言葉を続けようと息を吸うと、彼はようやく、開いたままの口から言葉をこぼした。そう、こぼした、といったほうが正しい。それは俺に向けられた言葉ではない。答えのない、自己問答なのだ。

「嫌い……なのによ」



苦しげに吐き出された声に対する答えは既に決まっている。分かっている。俺も、きっと、彼も。そう、答えは簡単なのだ。しかし俺も、きっと彼も、言葉にすることはないだろう。考える事を止めて、ずるずるとこんな関係を続けていくのだろう。たぶん、ずっと。










I KNOW HATE


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