「あっちぃ…」

 天井を仰いで乱暴に額を拭うと、しっとりと濡れて固まった金髪を汗の玉が離れ、彼のふとい首筋をつつ、と伝った。それは僅かに窪んだ鎖骨の皿に溜まり、やがて彼に組み敷かれた俺の頬に落ちる。衝撃で形を崩した水滴は肌を滑り、シーツに小さな染みを作った。

「……ちょっと、汚い」
「ああ?テメーも汗まみれじゃねえか」



 ボロい、壁が薄い、熱がこもる。
 居住空間において、できればご遠慮願いたい三拍子。ものの見事にそれらが揃ったアパートで、俺たちはまだ太陽も高いうちから芽の出ない生殖行為に勤しんでいた。後で知った事だが、この日、東京は今夏の最高気温を記録していたらしい。まったく、無知というものは罪にさえなり得るのだと身を持って知った。

 申し訳程度に向けられた扇風機がぬるい空気をかき回す。今からセックスをしようというのに、まさか真っ昼間から窓を開ける訳にもいかず、俺たちはむしむしとした部屋で汗まみれになりながらお互いに体温を上昇させていた。
 当然のことながら、シズちゃんの家にクーラーという文明の利器は存在しない。彼の部屋にある「冷やすもの」は冷蔵庫くらいだ。一段落ついたらここに来るときに買ってきたビールでも飲もう。冷凍の方に入れておいたからキンキンに冷えているはずだ。そう心中で呟きながら、俺は傷んだ金髪をぐいと掴んで唇を重ねた。

「ん、………んん…」
「……いざや…」

 くちくち、舌が唾液を絡めて交わる音がする。いつだったか、虫歯はひとつもないのだと自慢していた彼の口内はやたらと熱かった。ねっとりとした感覚が気持ち悪い。そう、気持ち悪いはずなのに下半身が反応してしまう俺は暑さで頭がおかしくなっているのだ。そうにちがいない。

 シズちゃんの手が頬に添えられ、角度を変えるように口付けを繰り返されると、また、汗が滴った。頬を流れ、唇の端に止まる。少ししょっぱいな、と感じたのもつかの間、熱い舌が水滴を攫っていった。シズちゃんはすぐに顔をしかめて唇を離す。

「…んだ、しょっぺえ」
「君の汗だよ……暑すぎ……ほんと無理…」

 ぺたぺたと汗ばんだ厚い胸板を足で押すと、まだいくらか涼しい気がした。熱気を放出しているのだろう。お互い様だが、本当に暑苦しい。寝返りをうってみても、薄っぺらいシーツは体温を吸収した敷き布団のせいでやけに熱っぽい。俺は仕方なく冷たい場所を探してごろごろと転がった。まったく、ムードもへったくれもない。

「グダグダグダグダうるっせえなァ……やっぱりテメーん家でやれば良かったんじゃねえか…」
「この時間だと波江さんがいるんだってば。シズちゃんは俺たちの関係が第三者にばれてもいいの?俺はごめんだね。死んでもごめんだ。あーほんとあっつい、むり、もうむり死ぬ、シズちゃん俺死んじゃう」
「…とりあえず死ね」

 冷たいなあ。ぼやく俺を尻目に、すっかりやる気がそがれた様子のシズちゃんはいかにも安物なガラス張りのテーブルからタバコの箱を取って、トントンと底を叩いた。飛び出た一本を細長い指に挟み、百均で買ったであろう、ちゃちいライターで火を点ける。

「あつい。最低」
「こんなちっこいのに火が点いたところで熱くならねえよ」
「火見るだけで暑いの」

 我ながらワガママだとは思うが、俺はまだ長いそれを彼の手からもぎ取り、テーブルの上に転がっていた空き缶で思い切り押しつぶした。

「……手前、よっぽど殺されてぇらしいな」

 額に血管を浮き上がらせたシズちゃんが俺を捉えようと手を伸ばす。パワーショベルにも匹敵するそれを間一髪で交わした俺は台所へと走った。

「あっつーい!さーてビールビール!」

 割り箸やカップ麺の容器などが煩雑に積まれたシンクの隣に、独り暮らしにしてはやけに立派な冷蔵庫がある。

 まともな料理などしないシズちゃんにとってはまさに宝の持ち腐れなのだが、会社で使っていたものを買い替えた際、新しい冷蔵庫の搬入を手伝った礼としてお役ごめんとなった大型のそれを無料で貰ったらしい。自宅まで背負って帰ったというのだから、もう、笑い話である。
 そんな努力の結晶の二段目をガラリと引けば、冷たい空気がふわりと肌を撫でた。乞い願った涼しさを味わいながら製氷器の隣のビールを取り出し、プルタブに人差し指を挟む。プシュッと小気味よい音を響かせたビールは白い煙を吐き出した。よく冷えている。喉をゴクゴクとならして飲むと、体温が一気に下がった気がした。
 執念深く台所まで俺を追い掛けてきたシズちゃんがあちいあちいと呻きながら黄ばんだ壁にもたれかかる。あまりの暑さに、台所までの道のりで怒る気も失せたのだろう。

「ビールよく冷えてるよ。シズちゃんも飲む?」

 ああ君は飲めないんだっけね。
 からかうように言えば、シズちゃんは不機嫌そうに眉をひそめながらふらふらとこちらに近づいてきた。思わず身構える。

「な、なに?」
「……ちょっと口、貸せ」

 口貸せ、って。抗議の声を上げる間もなく、ビールで冷やされた俺の口内はシズちゃんの熱で溶かされていく。あつい。あつい。舌の裏側から奥歯の歯茎まで丹念に舌でなぞられ、ようやく解放された時には、冷やされたはずの俺の口腔はいつの間にか彼と同じ温度になっていた。

「あー苦ぇ。けど、まあ冷てえな」
「……俺はあついんだけど」

 せっかく冷たかったのに。ぎろりと睨み付けてやると、シズちゃんは口角を上げて笑った。

「……じゃあ、もう一回するか?」

 にやついた笑いがなんとなく上から目線なのがむかつく。俺はせめてもの腹いせとに残りのビールをあおった。

 もっとキスして、溶け合って、ビールの苦さなんかわからなくなって、境目など無いと錯覚してしまうくらいに中和したい。



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