中学時代 「涙止める薬作って」 開口一番、インターホン越しの臨也は不機嫌そうに言い放った。 不幸中の幸いとでも言おうか、セルティは先日から首を探す目的で池袋から他県へと足を伸ばしている。優しい彼女は言葉にこそしないが、どうやら臨也のことを快く思っていないらしい。彼女は理由も無しに人を嫌うような人間では―いや、「人間」ではないのだが、ともかく、セルティがそのように思ってしまう原因は臨也にあった。 臨也はあからさまにセルティを嫌っている。 新羅の家で臨也と二人で話している時にセルティが帰ってきたりすると、それはもう悪魔のような形相でセルティをにらみつける。なぜかは知らないが、とにかく、臨也とセルティの関係は良好とは言い難い。 この訪問は、わざわざセルティの留守をねらったものなのか、はたまた、偶然のものなのか。 いずれにせよセルティが居ないときでよかった、と新羅は内心で大きなため息を吐いた。 机に伏せておいた読みかけの本にしおりを挟んで、玄関を開けてやろうと重い腰をあげる。すると、瞳は本来あるべきガラス張りの壁ではなく、黒い学ランを映した。 「…臨也」 鍵などは渡していないはずなのだが、器用なことに、音もたてずにここまで上がり込んできたらしい。 「作って、薬」 日曜日であるにもかかわらず制服を着こんだ臨也は壊れたラジオのように「薬」と繰り返した。 まるで非合法なソレの中毒にでもなったかのようだったが、瞳の焦点はきっちりと新羅を捉えており、真一文字に結ばれた唇からは堅い意志が見てとれる。依然としてその言葉の意味はまったくわからないままではあるのだが、そちらのほうは大丈夫らしい。 「あー……うん、残念だけど、僕は医者なんだよね。処方こそすれ、開発するのは僕の生業のうちじゃない」 残念だけど。 そう繰り返すが、臨也は納得がいかないと言わんばかりに眉をしかめて食い下がる。 「そんなこと言われても困る」 「…困るのは僕だよ…」 頑として聞き入れようとしない様子の臨也にとりあえず、とソファーをすすめ、冷蔵庫から紅茶のペットボトルを出す。 はあ。新羅は臨也が訪問してからもう幾度目かのため息を吐いた。憂鬱な気持ちとは裏腹に、飴色の液体はちゃぷちゃぷと陽気な音を立ててガラスのコップを満たしていく。 「はい」 テーブルに二人分のコップを置くと、臨也はコースターの上に乗った、水滴のついたそれをまるで観察するように凝視した。 なんともいえない気まずさに耐え兼ねた新羅が「どうぞ」と紅茶をすすめても、臨也はそれを口に含もうとはせず、その代わりに口を開いて「薬、作って」と繰り返した。 「……えーと、なんの薬だっけ?」 「涙が止まる薬」 「……涙が出るなら、ドライアイ、涙嚢炎、結膜炎、角膜炎、鼻涙管狭窄、シェーグレン症候群、アレルギー…なんかが考えられるけど。症状は?」 「…新羅にしてはつまんない冗談だね」 臨也は呆れたというふうにすこし目を伏せながら、ようやく紅茶のコップに手を伸ばし、やたらと甘いそれを味わうようにゆっくりと口に含んだ。 よほど喉がかわいていたのだろうか、二口、三口とつづけて嚥下する。なまじろい喉をふるわせ、その喉を潤した臨也はあと一口ほどを残したコップを静かにコースターに載せ、一呼吸置いてから再び口を開いた。 「……そのままの意味だよ。涙止めて」 「泣いてないじゃないか」 「今日は大丈夫なの」 「どうして?」 「…いない、からだよ」 「誰が?」 「……」 どこか寂しげな表情の臨也はわからないかな、とぼやき、僅かばかり残した紅茶を飲み干した。 電波なやつだとは思っていたが、ここまでわけのわからないことを言いだすなんて。 つきあっていられない。 そうごちて立ち上がろうとした新羅の白衣のすそを臨也が掴んだ。 「ちょっと、どこいくの。まだ話の途中なんだけど」 眉を寄せ、辛そうに顔をしかめた臨也は、プライドを守ろうとするかのように必死な眼差しで「逃げるの」と続けた。 どうしたものかと考えを巡らせる。もはやヒステリー状態に近いの臨也を相手するなんてご免蒙りたい。奴はただでさえ饒舌なのだ。それでいて、黙れと言われて黙るような素直な奴でもない。 ああ、面倒くさいことこの上ない。 新羅は試行錯誤の末、わずかに上気した臨也の両頬に手を添えた。 「……し、」 そして、臨也が何か言う前に、 「……、ん……ッ、や、嫌だ!」 臨也は驚きに目を丸くし、白衣を纏った胸板を思い切り突き放した。 荒い息が部屋に響く。その赤い目に透明の膜を湛えていた臨也は感触を消すかのように、唇をぐいと拭った。 「……時間が経てば忘れるよ」 人間はくだらない事は忘れるようにできてるしね。 そう続くはずだった新羅の言葉をみなまで聞かず、臨也は顔を真っ赤にして激昂し、いきおいよくソファーから立ち上がった。振動でテーブルの上のコップが倒れる。 「……く、そ…ッ…どれだけ俺を……!」 それだけ言い残し、臨也は足音を響かせて玄関へ走っていく。 バタン、大きな音を立ててドアが閉まると、あとは、ただ静寂が部屋を包むだけだった。ソファーから立ち上がった新羅は机の引き出しからカルテを取り出し、ボールペンをノックする。 「……さて」 俗に言う、「日にち薬」が本当に効くのかどうか、確かめさせてもらおうじゃないか。 とりあえず、明日、学校で。 こっそり某様へ |