深夜の新宿は、きらびやかな街のネオンと、マフラーを改造したバイクだか車だかの音で、お世辞にも「寝静まった夜中」とは形容しがたいものだった。

情報は鮮度が命だ。時間を選ぶなんて甘っちょろい考えじゃ情報屋はつとまらない。取引などの実際に動く仕事は、人目を避けてなのだろうか、こんな時間になることだってざらだ。仕方ない事だとはわかってはいても、終始気を張っておかねばならない状況にさすがに疲れた俺はこきこきと首を鳴らしながらマンションの自動扉を開いた。
ウィィン、機械音が響いてエントランスへの壁を取り払う。うわ、最悪。そこにはタバコを咥えたバーテンが立っていた。充満するタバコの臭いは彼が何時間もここにいた事を示している。近所迷惑だから止めてほしい。

「なにしてんの」

俺が声をかけると彼はおもむろに顔を上げ、まるでタバコの煙を吐き出すついでのように臆面もなく、「ケツ貸せ」と言った。やっぱり、最悪。

「シズちゃんさあ……最近ほんとそればっかなんだけど。そんなに俺にハマっちゃったの?」

苦笑いをこぼしながら、テンキーをプッシュしてロックを解除し、エレベーターホールへ向かう。シズちゃんはのそりとした動きでタバコを携帯灰皿に突っ込み、俺の後に続いた。

「ねえ、」
「うるせえ、やりたくなったからやるだけだ」

どうだか。シズちゃんには聞こえないようつぶやくと、静かに機械音を響かせてエレベーターが到着した。乗り込んで階数のボタンを押し、ゆっくりとドアが閉まった、その瞬間、シズちゃんはいきなり背後から俺に抱きつき、俺の耳をべろりと舐めた。

「うわっ!?ちょっ、やめてよバカじゃないの」
「ああ?どっちにしろもうすぐ着くじゃねえか」
「もうすぐ着くから止めてって言ってんの!」

とりあえずこのバカを引き離さねば。俺は手足をばたばた暴れさせた。シズちゃんは不機嫌そうにチッと舌を鳴らしたが、舌が離れたのは舌打ちのその一瞬だけで、再びざらついたそれは耳や首筋をぬるりと這った。

「大人しくしろ」
「やだ、ちょっともう!やめてって、ば!しね!この発情期!強姦魔!童貞!」
「ふざけんな童貞じゃねえよ死ねノミ蟲肉便器」
「は…はァ!?なにそれ!いくらなんでも酷くない!?…もう知らない、絶対もう二度とシズちゃんなんかとやらないもん!」
「なに寝呆けた事言ってんだ、ああ?手前の意思なんざハナっから関係ねえんだよ」
「ほんっとサイテー、信じらんない、死ねよくそ、バカ、化け物、人外」
「いーざーやーくううん?…手前いつからそんな口きくようになったんだァ?ああ?ちったあ、黙れねえのか、よっ!」
「ちょっ、がっ」

ガン、ガコン。

シズちゃんは俺の後頭部をがしりと掴んで、エレベーターのパネルに顔面を思い切りぶつけさせた。痛い。脳天に星が散り、俺の鼻は間抜けにもたらりと血を流した。それもかなり問題視すべき事ではあるが、それよりももっと大変なことが起こってしまった。

「……え」
「…あ?」

エレベーター特有の、まるで体が重くなったような錯覚が無くなったのだ。そして、先ほどまで静かに、だが確かに響いていた機械音が完璧になくなった。ごうんごうんと何かが揺れているような音だけがかえって嫌な沈黙を生む。

「ち、ちょっと……ねえ」
「…っせえな、これ押せばいいんだろ」

シズちゃんが電話のマークのついたボタンを押したが、それはシズちゃんが押した瞬間にボタンではなくただのプラスチックの破片となってぱらぱらと砕けた。

「……あー…やっちまった」
「……やっちまったじゃないよ!どうすんの、何してくれてんの!」
「やっちまったもんは仕方ねえだろ、つうか元はと言えば手前が悪ィんだからな」
「ほんっと信じらんない!エレベーターっていくらするのか知ってる?シズちゃんの薄給じゃ一生かかったって返せない額なんだからね!」

エレベーターの相場は知らないが、これだけいいマンションに住んでいると、それなりにいいエレベーターをつかっているに違いない。せめて全壊はしませんようにと願いながら、俺は頭を抱えてしゃがみこんだ。シズちゃんはそんな俺の腕を掴んで一まとめにし、無理やり立ち上がらせてエレベーターの壁に縫い付ける。インナーをぺらりとめくり、カチャカチャと音を立てて俺のベルトをいじりはじめた。

「…な、ななな、な」
「こんな手前くせぇ空間でのんびりと助けなんざ待てねえ」
「ばかばかばか、エレベーターっていうのは監視カメラがついっ、ひゃ、ん!」

ぐいっと一気にズボンと下着を引きおろされたかと思えば、シズちゃんの長い舌が外気にさらされてふるふる震えるそれをべろりと舐めた。悔しいことにシズちゃんはフェラがうまい。ぞくぞくと快感が全身を駆け抜けて、俺の背中はおもしろいくらいにびくびくと跳ねた。

「ふざけ、んあ、っ!もう、し…ッあ…やあ、あんっ…ね、ねえシズちゃん……うぅ、…ンっ、あ、ねぇ、ちょっとぉ…やだ、あ」
「……うわ、エッロ…」
「ひぅ!っ、咥えたま…まっ、しゃべ、あっも、…ッ…ン!あっ、あ、やだ、やだぁ…ッ!みら…れてぅ、からぁ…!カメラぁ、かめぁ、」
「……カメラだァ?」
「かん、し…ぅん、かめぁ!…はぅっ、あ、カメラ、やぁ…」
「ああ、……ぶっ壊せばいいんだろ」
「ひん……ッはァ!?ちょ…っ!」

シズちゃんはがらくたと化したパネルをひっぺがして、天井の角の監視カメラに向かって放り投げた。恐るべきスピードで飛んでいったそれは見事に目標に当たり、監視カメラはガチャンと派手な音を立ててエレベーターの床に落ちた。

「…………」
「これで大人しくできるなァ?」
「……ほんと最ッ低だよね」
「手前だってもう、我慢できねえくせによ」
「あっ…ん、…ほんと…最悪……」
「もう黙れ」
「ん、ぅ……」

ぬるり。先ほど俺の首筋やら耳やらを濡らしたそれの先が俺の唇をなぞるように舐める。たまらず声をもらすと、わずかに開いた唇の隙間をこじ開けて口腔に入ってくる。

「……ん……?」

…隙間を……こじ開けて?

「あああー!!!」
「んだようっせえな!つうかキスしたまま大声出すんじゃねえよ死にてえのか!」
「シズちゃんきいてきいて脱出方法わかった!」

興奮冷めやらぬ俺は血管を浮き上がらせたシズちゃんを引っ張って、もはや元の形のわからないパネルだったモノの隣―エレベーターの扉の真ん前まで連れていった。

「はい、開けて」
「ああ?」
「こじ開けて。シズちゃんなら余裕でしょ?」

早く早く。急かしてみるものの、シズちゃんはぼうっと扉を見つめ、ぼりぼりと頬を掻くだけだった。

「つうかよぉ…何で俺がそんな事しなきゃなんねえんだ?」
「……は?」
「今やるのも出てからやるのもたいして変わんねえしよ。…手前はここでやるの嫌みたいだからなァ、出る前にやるか」
「………は?」
「やるぞ」
「…………は?」

その後、空が白んでくる頃までシズちゃんが扉に手をかけることはなかった。

ほんと、最悪。



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