「シズちゃん、今日が何の日か知ってるかい、七月七日、そう、七夕だよ!無学で無知なシズちゃんのために特別に教えてあげよう」 七月七日。どことなくラッキーな気もする今日は、言われて思い出したが、そうか、七夕だった。成人してから…というか一人暮らしをするようになってからというもの、そういう行事ごとにひどく疎くなってしまった。祝日ならともかく、何でもないような平日を七夕と気付くこともなく、気が付けば今日も残り数時間というところで、臨也にばったり会った。 臨也は一瞬びっくりしたような表情をみせたが、すぐにへらへらと作り笑いを浮かべ、いきなり七夕について話しだした。 「七夕というのはね、元来中国の、」 「うるせえ黙れ臨也池袋に来るんじゃねえええ!!」 「…あのさー、それがせっかく説明してあげてる人に対する態度としてそれはどうなの?物知らずなだけじゃなく礼儀もなっていないなんてもう救いようがないね」 あはは、と空笑いのような笑い声を響かせながら肩の辺りで手を広げ、まるで外国人がやるように首をかしげる臨也にいい加減腹のたった俺は手近にあった標識をひっこぬいた。 夜中に臨也が池袋に来るのは珍しい事ではあるが、まあ、無い事ではない。仕事を終えた自分とは会わないだけで、夜中にも毎日のように来ているのかもしれないが。 ―とにかく、せっかく会ったんなら、今、ここでブチ殺しておかねえと。 俺は沸々と沸き上がる殺意を宥めることもせずに、ひっこぬいた標識の照準を臨也の薄っぺらい笑顔に合わせた。わずかに眉をひそめた、その顔に向かって、思い切り投げる。 「…うぜえんだよ、死ね!」 しかし、ニヤニヤと憎たらしい笑みを張り付けた臨也の面にそれが命中することはなく、臨也は薄手のコートをひらりと翻らせただけだった。 「…七夕というのは、織女は牽牛…織姫と彦星という夫婦が一年に一度だけ会うのを許された日なんだよねえ」 まるで何事もなかったかのように、つらつらと諳んじる臨也に第二波を食らわせるべく、新たな標識をがしりと掴み力をこめる。 「……だからなんだってんだ、ああ?」 「だ、か、ら。一年に一度、今日くらい見逃してよ、ね?」 「…ふっざけんな死ね、ヒコボシ様気取りか、ああ?」 「冗談!俺をあんな、恋人の父親も説得できない甲斐性無しと一緒にしないでくれないかなあ。俺なら好きな人ににそんな悲しい思いは絶対にさせないよ。毎日だって会いにいくよ」 臨也はどこか恍惚とした表情で、歌うように叫んだ。 ボコッと鈍い音を立てて駐車禁止の標識はコンクリートという枷から解き放たれ、俺は臨也に向けて出来たての凶器になったそれを投げつけようとしたが、続く奴の言葉が俺を止めた。 「俺の恋人は」 ―こんなクソみてえな奴にも人並みに彼女なんてものがいやがるのか、じゃあこいつが死んだらそいつは悲しむのか。 そんな事を考え一瞬固まった俺をせせら笑うように臨也の舌は調子よく回る。 「俺のコイビト、恥ずかしがり屋さんでね?俺が会いに行くたびに照れてるのか恥ずかしがってるのか、帰れ帰れって標識とか自販機とか果てはガードレールなんか投げちゃうんだよね」 臨也はわずかに瞳を伏せ、自嘲するように笑いながら、泣きそうな声でつぶやいた。 「……ね、今日くらい……優しくしてよ」 ……ちょっと待て、それってどういう。 「いざ、」 俺が思わず標識を取り落としそうになったその瞬間、間抜けな―そう、すこぶる間抜けな電子音が響いた。臨也はコートのポケットから音源である携帯電話を取り出し通話のボタンを押す。 臨也の声はさっきまでの泣きそうな声とは打って変わって、どこまでも明るい声だった。 「あ、もしもし?はい、問題無いですよ、今そちらに向かっている途中です。ああいえいえ、今日はうまく騙せそうなので、お医者さまは必要無いですよ。織姫さまと彦星さまに感謝ですね。…いや、こっちの話です……はい、はい」 では後程。語尾に音符の記号でも付きそうな明るい声で電話を切り、臨也はくるりとこちらを向いていたずらっぽい笑顔を見せた。 「じゃあねシズちゃん!大嫌いだよ!二度と会いたくないや!」 臨也の真っ黒な髪がビルの明かりで星の一つさえ見えない夜空に沈んでいき、目標を見失った標識はカランとむなしい音を立ててコンクリートに落ちた。 ――――――――― 七夕記念 |