「シズちゃん、タバコやめて」

週に一度。
曜日はまちまちだが(なんとなく金曜日が多い気がする)、臨也はほぼ必ずと言っていい程の正確さで俺のボロいアパートに来る。何が気に入ったのかは知らないが、俺の部屋という限られた空間においては珍しいことにそこまで俺を怒らせないので、なんだかんだで臨也を置いてやっている。初めのうちは帰れ帰れと色んなものを投げつけたものだが、てこでも帰ろうとしない臨也に根負けしてしまったのだ。
しかし最近、俺が追い出さないこの環境に慣れたのかそれとも俺をおちょくっているのか、臨也がだんだん生意気になってきた。まあ臨也らしいと言ってしまえばそうなのだが。
今日も臨也の生意気は健在で、灰皿に積まれた吸殻を人差し指でつんつん弄りながら、煙草を辞めろ、と、なんとも難しい要求をした。

「…ハァ?なんで俺が」
「副流煙がいや。シズちゃんのせいでガンになるとか、バカみたいじゃん」
「…フクリュウエン…?」
「えっ、知らないの…それでも喫煙者なの」

はああ。大げさなため息を吐いた臨也は、器用にも手を伸ばして俺の胸ポケットから入っていたタバコの箱を取り出した。

「『喫煙は、あなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます。』心筋梗塞の危険性も高めちゃうんだって。知ってた?」
「知ってる、何回その箱見てると思ってんだ」
「そんななのに何で吸うの?」
「つうか、これはアレだ、タバコの中でも不純物っつうか、添加物?みてえのが入ってねぇやつで、ええと…」
「無添加のこと?」
「ああ、それ。だからな」
「でも吸わない方がいいんじゃないの?」
「そんで、これ、メンソールライトっつって、レギュラーに比べたらタールとかニコチンとかが」
「でも、吸わない方がいいんじゃないの?」
「……まあな」

矢継ぎ早に質問…というか刺のある、もはや拷問みたいなのを浴びせる臨也にいい加減腹が立った俺は、臨也の手からタバコの箱を取り上げようと立ち上がったが、臨也はまるで箱を庇うようにしてこちらに背を向けた。

「…ああ?」
「…」
「おい、返せよ」
「これは俺が貰って帰ります」
「あんだと、こら」
「副流煙も知らないシズちゃんには返しません」

コートをひっつかんで玄関へ歩く臨也を目で追いかける。その過程で目に入った時計を見やると、もう日付が変わろうとしている時刻だった。臨也がこんなに遅くまで居るのは珍しい。珍しいどころか、俺の記憶が正しければ、きっとはじめてだ。いつもは10時くらいには姿を消すのだが、今日は大体いつも見ている野球中継も無く、なんとなくチャンネルを回していたら洋画をやっていて、なんとなくそれを最後まで見ていたせいだろう。
とんとん。不意に、玄関で靴を履く音がして我に返る。

「おい、待てよ」
「嫌でーす絶対返しませーん」
「つうか、遅えから送ってく。駅まででいいか?」
「…はあ?」

心底驚いた顔をして、臨也が俺を見上げる。いや、俺も多分似たような顔をしていただろう。送っていく?臨也を?自分でも意味がわからない。

「…いや、あの…アレだ、タバコ、買いに、行く…ついでに」
「…ああ、ついで、ね。ああ、うん、電車にしようかな」
「おう、…じゃ、行く、か?」
「うん」

なんとなくぎこちない雰囲気なのは気のせいに違いない。そう自分に言い聞かせながら立て付けの悪いドアを開けると、夜の冷たい空気が肺に入り込んだ。

「さ、む…っ」
「手前は薄着しすぎ。コートの下インナー一枚だろ?」
「…シズちゃんだって人のこと言えないじゃん。バーテン服だけとか、猛者すぎ」
「モサ?」

聞き慣れない単語に、疑問符をつけて聞き返すと臨也がしばらく固まった後、ぶっ、と吹き出した。

「あはははは、「モサ?」だって、あはは、」
「っせーなあ、んだよ、モサって」
「あは、…んーとね、勇者って言ったほうがよかったかな」
「あー、だいたいわかった。わかったぞ、要するに、バカだって言いたいんだろ」
「その通り、ご名答」

深夜…というほどでもないが、夜中、この辺りは人通りが多い道から少し外れているためだろう、不審者もそれなりに多い。
カスみたいな性格は置いておいて、臨也の顔がいいのは知っている。鼻の頭を赤らめながらニッコリと笑う臨也を見て、今まで、10時くらいだろうと何だろうと、こいつを夜中に1人でほっぽってた事を少しだけ悔やんだ。

「…いつも電車なのか?」
「え、なんで?」
「いや、この辺り、なんつーか不審者多いみてえだから」

ほら、と、ちょうど立て掛けてあった「この辺り不審者多し!」と描かれた看板を指差す。ゴシック体で書かれた下には黒いオバケみたいな奴が手を広げている様子が描かれていた。
臨也は一瞬キョトンとした顔をしたが、しばらくして顔の前でぶんぶんと手を振った。

「ああ…電、車だよ、電車、電車。池袋から新宿までなんてそんなに遠くないし、わざわざタクシー乗る距離でもないよ。電車の方がかなり安いしさ」
「そっか、じゃあ、アレだな、その、ついでがある時は送ってやるよ」
「えっ?…あ、うん…」

なんだ、この雰囲気。
全身が痒くなりそうになった俺は、とりあえず上を向いた。満月がぼんやりと見えるくらいで、光害っつったか、星は見えなかったが、とりあえず上を向いて歩いた。ちらりと隣を見ると、臨也も同じように上を向いている。
お互い斜め上を見ながら、何もしゃべらないまま歩き続る。そうしてそのまま、しばらくすると駅に着いた。
臨也が、二、三歩早足で歩き、並んで歩いていた俺を抜かしたあたりで唐突に立ち止まる。俺もそれに倣って歩みを止めると、臨也がくるりと振り返った。

「ありがとね、送ってくれて」
「いや、ついで…だし」
「うん、ありがと」
「おう」

いつになく素直な臨也にどことなく調子が狂う。気恥ずかしくなって頭を掻いていると、臨也がおもむろにタバコの箱を差し出した。

「お礼」
「…これ、俺んだろ」
「まあね。あ、電車来たかも」
「ん、おお」

ばいばい、とかそれじゃ、なんかの別れの挨拶なんぞはした事が無かった。今日は色々とはじめて尽くしの日だったが、コレに関しては例外らしく、さよなら、もじゃあな、も無いままに臨也の黒いコートは人込みに紛れて消えた。
タバコでも吸いながら帰ろうと、今しがた臨也から貰った…つうか、返されたタバコの箱をとんとんと押したが、それはただへこんだだけで、タバコを押し出すことはなかった。
―臨也のヤロウ。
まだ何本も入っていたのは確かたたから、抜き取ったに違いなかった。空っぽの箱をポケットに押し込んで、俺はゆっくりと帰路に着いた。











(賜ばせ給ふは煙草)
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