マゾ也










痛いのが好きだ。
痛みは俺に快楽を与えてくれる。
ーああ、今、俺は生きている!
そんな、確かな感覚をくれるのだ。溢れる血が生命の躍動を感じさせて、俺は、とんでもなく

「キモチイイ」

恍惚の表情で呟くと、つい今、俺に愛しい痛みを与えた張本人の憎たらしいシズちゃんは顔をしかめて「気持ち悪い」と吐き捨てた。

彼の与える痛みはシンプルだ。シンプルかつパワフルな故に当たりどころが悪ければ死んでしまうだろうが、その危うさがたまらなく愛しい。死と紙一重のそれに身体中がゾクゾクする。
以前は苦手としていた彼の暴力だが、一度、生と死の境を彷徨うというとてつもない快感を味わってしまった俺はそれにやみつきになった。


「俺はシズちゃんは嫌いだけど、シズちゃんの暴力は好きだなあ、今んとこイッチバン気持ちいいからね」
「…気持ちわりい、手前マゾなのかよ」
「うーん、どうなのかなあ。痛みが好きなだけさ。死に近い暴力ほど生きていると感じられるものはないよ」
「…意味わかんねえ、死ねよ」
「死ぬのは嫌だな!死にかけるのなら大歓迎だけどね」

あはははははと高笑いしながらがばっと手を広げ、大歓迎!を表すようなポーズをとる。シズちゃんはそんな俺を見て、ぎしりと音が鳴るほど歯を軋ませ「気持ちわりい」と繰り返した。

…今日も、か。
シズちゃんがイライラしていることは一目瞭然なのだが、彼はいつまでも武器を持とうとしない。
最近はいつもこうだった。

「…だから、最近のシズちゃんにはちょっと幻滅してる」
「ああ、何がだよ」
「最近のシズちゃんの暴力、何か甘いんだよね」


純粋な殺意なんて一般人は滅多に出会えるものじゃない。
まあ、俺はというと情報屋という職業のせいか、それとも俺自身の性格のせいか―前者であると思いたいものだが―恨みを買うことは多い。殺意のようなものも向けられるには向けられるが、大半が殺してやるなどという気持ちばかりが先走った、到底俺という人間一人を殺す力もないようなものだ。シズちゃんみたいに「確実に」俺を殺せる力を持つ殺意というものには未だ彼以外に出会った事はない。
より死に近い痛みを嗜好する俺としてはシズちゃんの殺意は彼にとっての煙草みたいなもので、なんとかして彼に純粋な殺意を取り戻して欲しかった、のだが。

「…俺はもう、力は使わねえ」

絞りだすように呟かれた言葉に俺は酷く落胆した。いや、落胆なんてものじゃないかもしれない。があん、と頭をマンホールの蓋で殴られた時のような衝撃だった。
今回の衝撃は全く気持ち良くない。

「もう使わねえ、ようにする。手加減とかできるだけ、する。そう思ってちょっと試してたんだよ、手前でな。…手前でできたら、イコール万人に通用すんだろ。で、手前は今、甘くなった、っつった」

何それ。
節ばった手を何かを確かめるように開いたり閉じたりして、よし、と言い、笑って、
笑うって、俺が今目の前にいるのに、何、それ。

「もう大丈夫なんだな。俺は普通の人間として、生きていけるんだよな。もう誰かと繋がってもいいんだよな」

子供が新しいおもちゃでも買ってもらったかのように、眩しく純粋に笑ったシズちゃんはもう興味は無いと言わんばかりに俺に背を向けて、二、三歩いた辺りでおもむろに片手を上げた。

「ありがとよ」

シズちゃんから初めて聞いた言葉が俺の耳を滑り、俺の胸にじくじくとした痛みを落とす。
それが俺が彼から受け取った最後の痛みだった。この痛みは全く、気持ち良くない。




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