「よお、折原」

俺のお気に入りの革張りのソファーに我がもの顔でどかりと座り、片手をあげてニヒルに笑ったその男は九十九屋と名乗った。



九十九屋真一について知っている事はと言えば、その名前――本名かどうかはわからないが――と、ネット上での住所と、不定期に出版される池袋散歩解説書という意味のわからない本の著者、という、たった三つの事だけだった。「九十九屋真一」という名前にもたいした意味は無いと言う。情報屋の俺が死に物狂いで集めた情報が、たった三つだけだった。

一応俺にだって情報屋としてのプライドはある。敗北感が無いわけじゃない。そのプライドが、俺に九十九屋についてある仮説を立てさせた。

九十九屋真一は、デュラハンや罪歌のような、あちら側のものであると。


エシュロンというものがある。いや、正確にはあると言われていると言うべきだろうか。あくまでも機密事項のために、その存在や活動は公式には明らかにはなっていないのだ。簡単に言うとあらゆる通信を傍受するシステムなのだが、俺は九十九屋はそんな感じのシステムが自我をもったものだという仮説を立てていた。
九十九屋真一は体を持たない、何かの通信傍受システムだと。

が、しかし。
今俺の眼前で、俺の表情を見て楽しんでいるのだろうか、クククと心底面白そうに笑う男は俺がおまえは誰だと聞こうと口を開けると同時に、「九十九屋だ」と、確かに名乗った。自己防衛の為に立てた仮説すら簡単に打ち砕かれた俺はただ呆然と九十九屋を見つめた。

確かに、多くのセキュリティを抜けて俺の部屋にたどり着くのは極めて難しいものだが、九十九屋ならば簡単に出来るであろう事だ。だが、ソファーでくつろぐその男はあまりにも普通すぎた。

特徴といった特徴が無い。学年に1人はいそう、電車にこんな奴がいた、擦れ違っても気付かない、そんな奴だ。

非日常をこよなく愛するダラーズのボスにどこか似ている気もするが、例えば彼を無色だと表すと、俺の眼前のこいつは白だ。無色は何色にも透けるものだが、白は何色にも染まる。溶け込むという意味では似ているかもしれないが、確実に似て非なるものだった。

九十九屋、…九十九という字はその色を具現化したものなのか。

俺は忙しく頭を回転させながら、それをおくびにもださないよう努めてコートを脱いだ。

「…何の用だ」
「おいおい、あんな簡単な自己紹介で信じるのか?」
「要件を言え」
「つれないな」

はーあ、とわざとらしいため息をついて足を組み換えた九十九屋を睨み付け、俺は自らのために淹れておいた紅茶をカップに注いだ。

「俺には淹れてくれないのか」と不満げに呟いた九十九屋は無視して、冷たいカップに口をつける。

「…俺は」

おもむろに口を開いた九十九屋を横目で見、夕暮れの新宿を背にして書類が疎らに散らばったデスクに腰掛ける。

「俺はお前に会ってみたかった」

予想だにしなかったその言葉に、閉じていた瞼をゆっくりと上げる。夕暮れの光を受けて、九十九屋はオレンジ色に染まった。

「お前の事はよくよく知っていた。だが、あくまでもデータの上でだ。そしてお前の事を知っていくと、どんどん情報量は増えていっている筈なのにまだまだ足りないと思うようになった。まだ足りない。俺だけが知る、お前が足りない」

それは独白だった。
綴られていく言葉に何かリアクションを起こそうとしても、俺の音が形をなす前に、まるで遮るようにして九十九屋は言葉をつづける。

「データの上でのお前なんて、所詮誰かの目に触れたお前だろ?そうじゃない、俺だけしか知らないお前が知りたいんだ」

お前だって、そうだろ。

核心をついたようなその言葉につられるように頷こうとする末梢神経を俺の自尊心は許さなかったが、「俺は誰のものにもならない」と、その言葉を吐くだけで精一杯だった。





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