※暴力あり










がつん、という衝撃が走って、ようやく「ああ、俺は殴られたんだ」と理解した。加害者、平和島静雄――俺は嫌がらせの一環としてシズちゃんというあだ名で呼ぶようにしている――の腕の動きが全く目で追う事が出来ず、俺ともあろう者が殴られて痛みが走るその段階まで避ける事も、身構える事さえ出来なかったのだ。

口の中に血の味が広がる。俺はこの、鉄の味が好きではない。好きな奴なんているのか、と聞かれると困るが、とにかく俺は好きじゃない。その好きじゃない鉄の味が口内を満たし、俺はたまらず唾を吐く。


「汚えな」


加害者は鼻で笑いながら血の混ざった唾液を睨み付ける。当たり前の反応だろう。ここは屋内で、しかも彼の部屋だ。
しかし、室内に唾棄するのが非常識だと言うのならば、行為を終えて彼が寝ている少しの、ほんの少しの間に外出していた俺が帰ってきた途端に頭に頬を殴り付けるのは何だと言うのだろう。

俺は頬にじんじんと走る痛みを感じながら自分の吐き捨てた唾液と混ざった血をぼうっと見つめていたのだが、大きな掌に頭を捕まれて強制的に上を向かされるとそれはかなわなくなった。


「臨也くんよぉ、自分が殴られた訳、分かってるよなあ?」


髪の毛が抜けてしまうのではないだろうか、と危惧してしまう程の力で前髪をわしづかみされ、無理矢理合わせられた視線は彼の瞳を捉える。形の良い眉をひそめており、彼がひどく不機嫌である事は痛い程理解したが、何故、今自分がこんな目に遭っているのか、理不尽な暴力を振るわれる理由は見当もつかなかった。

こんな状況では信憑性に欠けるが、一応俺と彼の関係は恋人というものだ。彼は俺の事を好きだと言ったし、俺も彼が好きだ。甘い言葉こそ滅多に口にすることは無いが、身体は何度も重ねてきた。
心も重ねてきたつもりだったが、今俺はそう断言することができそうにない。


「…全く、思い当たらないんだけど」


切れた唇でそう言うと口内に再び鉄の味が広がった。唾を吐こうかとも思ったが、頭を固定させられた今の状態では、吐き出された唾は彼の額辺りに命中するのではなかろうか。俺は仕方なく、殴られていない方の頬に唾を溜めた。
シズちゃんは俺の答えにあからさまに嫌な顔をして、チッと舌打ちをして俺を壁に放り投げた。黄ばんだ白の壁にしたたかに全身を打ち付けられた俺は、そのまま力なく倒れた。


「考えるくらい、しろ」


視界いっぱいに濃紺の繊維。ぐりぐりと足で押さえ付けられた所は先程殴られた、まさにその箇所だった。傷口を抉られるような激しい痛みに思わず呻き声を漏らす。以前どこかで、サディストに暴力を受けても呻き声を出してはいけない、相手を悦ばせるだけだ、等と聞いた気もするが、いざ自分が当事者になってみるとそれは所詮机上の空論で、無理な話だ。


「いてぇの?」


クックッと喉を鳴らして笑う彼は至極愉しそうだった。仮にも恋人を殴っておいて、その反応は無いだろう。そんな奴と恋人になったのは俺だけど。自嘲しながら「痛い」と、素直にそう告げた。


すると彼は満足そうに笑み、俺に顔を近づけ、吐息がかかる程の距離で「よく言えました」と言った。


「素直な臨也クンに、教えてやろうか?俺が何で怒ってんのか」

「…ぜひとも、お聞かせ願いたいものですね」


わざと丁寧に対応してやると、それが癇に触ったのか、また殴られた。かろうじて残った意識が最後に拾った音は、「お前が好きなんだ」という泣きそうなシズちゃんの声だった。


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