お前がナンバーワンだ、カカロット。

それを認めた瞬間、自分を縛り付けてきたしがらみが一気に溶けて消えるのを感じた。同時に、ずっと対等な存在として対峙してきたはずの奴の存在が、あっという間に手の届かないところへ遠く霞んでいくような気がした。
しかし、憎たらしい下級戦士サイヤ人に敗北を宣言したことは、思いの外口惜しいことではなかった。
否、あれが奴でなければ自分のプライドは粉々に砕かれていただろう。
カカロット、地球で育った黄金色のサイヤ人。
誰より強くて優しいあの男でなければ。


Again.


最近はずいぶんと長い間雨の日が続いていたような気がする。夏が近づいて少しずつ気温も上がってきた風に、これでもかというほど湿気が含まれて、どこにいても風呂の中のようだった。
皮膚にまでカビが生えてきそうなほどの不快な蒸し暑さは、しかし今日の快晴で嘘のようにすっきりとしていた。
湿った空気は太陽に当てられてどこかへ消えてしまったようだ。
代わりに暑さは尋常じゃなく、日光になんて当たっていようものなら、じりじりと日に焼けるのが分かるほどだ。
魔人ブウを倒してようやく訪れた平和は、サイヤ人の身には些か退屈であった。サイヤ人の王子であるベジータは、黒のランニングシャツと膝までの半ズボンという涼しげな格好で、ほどよく冷房のきいた自室のソファに座っていた。
戦闘に特化したサイヤ人の目は読書には向かないため、本を読むときだけかける青縁の眼鏡をこの間ブルマと一緒に買いに行ってきたばかりだ。
そんなオジサン臭い眼鏡だめよ、これにしなさい!と半ば強引に色のついた縁の眼鏡を薦められ、ベジータは思いきり眉間に皺を寄せつつも断りきれず、群青色のこの眼鏡を選ぶことにしたのだ。
勿論、いつもこんな風に本ばかり読んでいるわけではない。
ぐんぐん成長するトランクスのために、そして自分のために、修行を怠ったことはない。
どこかのバカ息子のように平和ボケして衰えるなど、自分のプライドが許さないからだ。
例え、己自身はカカロットとはもう戦わないとしても。
ベジータは鍛えあげられた脚を組み替え、本のページを一枚めくる。
字が読めるかだって怪しい、頭まで筋肉のようなカカロットとは違い、王子である自分は知識欲だってあるのだ。フリーザ軍に居たときも自分で勉強を重ねて生き残ってきた。
頭を使うより体を使う方が得意ではあったが、力だけではどうしようもない部分があるのも知っていた。
また一ページ、ベジータが紙をめくる音だけがこの部屋に響く。
眼鏡越しに並ぶ文字を追っていたそのとき、ベジータは何か予感のようなもの――幾度も生死の狭間を切り抜けてきた者のみが持ち得る勘が働いて、眉を寄せ顔を上げた。
直後、背後によく知ったばかでかい気が現れたのを感じ、思いきり不機嫌になりながら振り返る。

「よう、ベジータ!」

元気な笑顔でそこに立っていたのは、図体のでかい、山吹色の胴着を来た黒髪の男だった。
唯一、己が認めた男――そして今や自分の他にただ一人残った同族の、ついこの前地球を破滅から救った男だ。

「………何の用だ、カカロット」

ベジータはただでさえつり上がった眉をさらに思いきり寄せて、背後から笑いかけてくる男を睨み付ける。腹の立つほどいつも楽しそうなこの最強のサイヤ人は、いったいどんな風の吹き回しでここに来たのだろうか。
そういえば彼の笑顔を目にしたのは久しぶりだった。少し前までは、修行をするのだと言って会っては拳を交え、ぼろぼろになるまで戦ったものだ。
そして、昂った気持ちもそのままに、二人で一緒にいることが多かった。
何故かやたらくっつきたがるカカロットを殴りながら、その空間はそれほど嫌いではなかったのを思い出す。カカロットは気に食わない奴だが、そういう時間自体はどちらかというと落ち着く部類のものだったのだと思う。
(……何を考えているんだ、俺は)
ベジータは内心の動揺は表に出さないように唇を引き結んだ。否、何故自分が動揺しなければならないのだ。

「おめぇ眼鏡なんかかけんだなぁ」

鼠色のソファの背に太い両腕を乗せて、悟空がにこにこと笑いかけてくる。こちらは変わらず睨みつけているにも関わらず、そんなのは全く目に入っていないかのようだ。

「チッ……何の用だ。だいたい俺は貴様の瞬間移動が嫌いで、」
「最近会ってくれねぇから」

不貞腐れた子供のように、悟空はむっとして唇を突き出した。澄んだ黒曜石のような双鉾は、子供のように純粋だ。ベジータはその瞳から逃げるように、ふいっと顔を背けた。

「フン。何故俺が貴様に会わなければならん」
「……」
「だいたい、ウーブだったか?あのクソガキを育てているんだろう貴様は」
「ちげぇんだ」
「何が違うんだ」
「オラは…、おめえと一緒に居てえ…」

悟空は静かに俯き、絞り出すようにその言葉が紡がれる。
ベジータは何故だか分からないが自分の胸がドキリと鳴るのを聞いた。

「…貴様、何血迷ったことを言っ……」

気づくと、悟空はいつの間に目の前にいた。
手に持っていた本もそのままにぐいと引き寄せられ、被さるようにすっぽりと抱き締められる。

「…!い、いきなり何をするクソッタレ!!」

厚い胸板を押し付けられつつ叫んだ拍子に、吸い込んだ空気はカカロットの匂いだった。
かあっ、と顔が熱くなって、ベジータは火がついたように暴れ始める。
全力で力一杯抵抗するその小柄な身体を、悟空は暖かく太い腕でぎゅっと抱き締め続ける。

「オラ、おめぇがいいんだ…ベジータ」
「俺はよくねぇっ!すでに貴様の勝利を認めた俺に、貴様と戦ってやる義理はねえ!離せ馬鹿力っ…!!」
「同じサイヤ人だからかもしんねえ…でも、きっとそんだけじゃねぇ、……オラもよっくわかんねぇんだ。」

最初は敵同士から始まり、多くの戦いを経て唯一無二の同族の仲間へ――そして。

「いい言葉知ってたらオラに教えてくれ。」

そう言って、春の若葉のような瞳が真っ直ぐこちらを見つめた。
その強く真剣な視線に囚われたように、ベジータは一瞬動きを止める。
目をそらせなかったのは不可抗力だ。見惚れたなんてそんな馬鹿なことがあるはずはない。
無理矢理視線だけを外し、そんなの知るか離しやがれと叫びかけた唇が、柔らかいものに塞がれた。

「…むぐ!」

彼の固くて大きな手が、顎を掴んで強引に上を向かせられる。
カカロットの匂い。味。
強く当てられてくらくらした。

「なあ、…おめぇは……オラじゃダメなのか?」
「さっ…最初から言ってるだろう、まだ分からんのかこのバカロット!」

ベジータは、遂に悟空の腕を振りほどくと、ばきっ!とその頬を殴り付けた。

「いってえなぁ、何も殴るこたぁねぇだろ?」
「認めたくもないが、貴様にとって俺はもう相手にもならねぇんだろうが!」

眼鏡越しの黒い瞳が、心底悔しそうに山吹色の胴着を睨め上げる。
しかし、当の悟空は飄々と腰に手をあてた。

「まぁだそんなこと言ってんのか?オラ、おめぇが良いって言ってんだろ?おめぇとやってっと、ワクワクすんだよな。」
「遂に頭が沸いたか貴様」
「おめぇはオラとやって楽しくねぇんか?」
「………。」
「……おめぇが楽しくねぇっていうなら、オラは……」

叱られて耳を垂れた犬のようにがっくりと肩を落とす悟空は、とてもじゃないが宇宙一強い男には見えない。
こんなアホの猿に、どうして自分は勝てないのだろう。
しゅんとしたその姿を見ていると、なんだか自分が悪いことでもしているかのような、――
いやいや、己は王子だから、下級戦士に憐憫の情くらい持ってやらないこともない、ただそれだけだ。

「……もう勝手にしろ。」

眉間にぎっちりと皺を寄せて、ベジータは溜息をついた。
途端に、悟空は口角を引き上げて笑う。

「そうこなくっちゃなぁ!」

勝手にしろと言っただけなのに、何故そうポジティブに受け取れるのか。
まったく、こいつには調子を狂わせられてばかりだ。
仕方ない、組み手をやるなら少々暑いが外へ出てやるか、と眼鏡を外し、閉じた本と一緒にソファの端に置いて立ち上がる。しかし、ベジータがドアの方に向かおうとしても、悟空は動こうとしない。

「行くぞ、何突っ立ってやがる、さっさとし……ろっ?!」

自分から修行に付き合えと言い出したくせに、と苛々と振り返りかけた瞬間、唐突に背後から衝撃があった。太い腕が体を拘束し、やけに暖かい体温が背中を通して伝わってくる。
首元には、腹立たしいほどに奴の吐息がかかって、一気に体中の血液が沸騰するような気がした。
憎たらしいあのカカロットに、正面からでは飽き足らず背後からも抱き締められるなんて。
『抱き締める』。
(……!!!)
脳内で浮かんだその単語に、余計動揺してしまった。

「――っっっ、何で貴様はそう俺にべたべたするんだ暑苦しいッ!」
「だってオラ嬉しいからさ!」

自分はこんなにいっぱいいっぱいなのに、けろっとした声が耳元で聞こえる。
それさえも心臓に悪かった。

「きっ、貴様の都合なんか知るか!」

広い肩幅、長い腕、体格差を見せつけられるようで、屈辱を味わいながらもそれを思いきり振り払うことができない。そうだ、何でこんな下級戦士に易々と触れさせているのか。
悶々と考えるベジータの肩ごしに、特徴的な形の黒髪の男は顔をずいっと前に出してきた。顔色を覗き込まれ,ベジータは不快そうに眉をひそめる。

「…なんだ」
「……口の割にはおとなしいよなあ、おめぇ…」
「―――――っっっ!!」
かーっと頭に血が上って、思いきり腹に肘鉄を食らわせてやろうとしたその一瞬、

「っとと!」

悟空は腕の動きより素早く両腕を離して跳びすさった。
先ほどは簡単に殴らせてくれたというのに、こんなときも同じ手は食わないというわけか。
ひょー、油断も隙もねぇなぁ、と悟空は笑っている。

「危ねぇなあ!オラ、殴られるようなことした覚えはねぇぞ」
「バカは死んでも治らんというのは本当だな!」

ベジータは腕を組んで睨み付けるが、しかし悟空の方は全く気にした様子を見せない。

「おめぇ、何か顔赤いぞ?病気か?」
「………!!」

サイヤ人はほとんど病気にならねぇのになぁ、などと不思議そうに顔を覗き込まれ、いたたまれないことこの上ない。
耳まで赤くなってっぞ、とぺたぺたと火照った頬に大きな掌を当ててくる。
なんだ。
なんなんだこいつは。

「さっ、触るな!」

ベジータは咄嗟に手を振り払い、素早く背を向ける。どっどっどっ、と心臓が飛び出しそうなほど脈打っている。

「…なんか、可愛いな、おめぇ。子供みてぇだ」
「……あぁ?!」

白い歯を見せながら快活に笑うこの宇宙一強い同族のサイヤ人は、ざわりと鳥肌のたつような台詞を明るいその声で宣った。

「オラ、おめぇが好きかもしんねぇ!」

一瞬で身体中の気を吸いとられてしまったように、ベジータは動けなかった。

「よしっ、じゃあ組み手やっか!表行くぞベジータ!」

す、好きかもだと?

一拍遅れて頭に雪崩れ込んできたその台詞に、もはや思考回路は爆発して木っ端微塵になってしまった。

「意味が分からんぞカカロット!!」
「うん、オラも分かんねぇんだ!早く表出ようぜ、おめぇとは久しぶりだから楽しみだなぁー!」

バカなのか。
バカなんだな。
そうに決まってる!
こんなに身体中が熱いのは、これから久しぶりにこいつと組み手をするからだ。
断じて、下級戦士が吐いたバカな台詞なんぞに動揺したわけではない。

早く早く、と急かす悟空にベジータは舌打ちして、うるせぇ、とそちらに足を踏み出した。





end.





初カカベジ。原作ブゥ編後。カカ様とベジは、このくらいの絡みは日常茶飯事になってたりして。という妄想。
できそこないすぎて恥ずかしい。
ベジのツンデレと、カカ様の天然鬼畜の絡ませ方は難しい。
ツンデレ具合も、公式ベジは私の想像を超えたツンデレなので、私の妄想力では限界が…orz

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