クロねこさんから頂いた設定から、パロディです。






漆月の唄



一度だけ、目の前に現れたにもかかわらず滅さなかったバケモノがいる。

紅い雷とともに目の前に現れた、血の色の毛皮を纏い尻尾を揺らめかせ、黒く鋭い爪を持ち口元には牙を覗かせる――其れは鬼だった。
煌々と闇夜にきらめく金色の瞳は其れが人外の者であることを主張するようで、唸る声は大地を震わせるかの如く禍々しかった。頬には、引きつれた傷のような文様が刻みこまれていた。
<立ち去れ>
耳に聞こえる声ではなく、其れはただそのように――直に頭の奥に語りかけてきた。
この声は、多分自分にしか聴こえていない。
平安の世に生まれ落ちたそのときから、己は見えぬはずのバケモノを見、聞こえぬはずのバケモノの声を聞いて、そうして生きてきた。
誰にも分かり得ぬバケモノの意思を、心を、解りたくもないのに解ってしまうせいで、まるで己がバケモノかのように、周囲の人間は己を「鬼子」と呼んだのだ。隔離され、世間から遠ざけられ、実の両親は己を怪しげな陰陽師の元へ押しつけた。ようやく口が利けるようになった、あれは数え年で五歳の頃だったと思う。忘れもしない、気持ち悪い物を見るかのように、己を殴りつけた母親の顔は今でも忘れはしない。

<此処へは近づくな 立ち去れ>
もう一度鬼が繰り返し訴えてきて、ふと我に返る。鬼は何度もそう語りかけてくると、小さく顔をしかめた。
少し身体を丸めるように苦しげに呻いたのを見て、よく目をこらして見ると、左胸のあたりに古びた矢が刺さっているのが見えた。そこからは、たらたらと赤黒い血が垂れて、もともと赤い体毛がぐっしょりと濡れている。
――心臓は。無事なのか。
一瞬そんなことを考えてしまってから、ベジータはぶるぶると首を左右に振った。
何を馬鹿なことを、もとよりバケモノに心臓なるものなど存在しないのだ。
矢は、霊力のある何者かが放ったものようだった。破魔矢だ。矢には何か強力な呪がかけられているらしく、鬼の血に反応してうすらぼんやりと発光していた。まるでそれが鬼の生命を吸い取って、光に変えているかのようだ。
近づくな、だと。
それはつまり、この先に何かがあるということだ。
バケモノの領域に入るなということだろうか、それにしてはずいぶんと切羽詰まったような顔をしていると思う。
そういえば、と唐突に頭に浮かんだ記憶をたどる。
この先は、確か『禁断の森』じゃなかったか。
ベジータの狩衣の裾が、なまぬるい風に揺れた。
地図としてはそんなに広い森ではないが、そこに入った者は二度と出てくることはないという。
仕事で通りがかって、近道をしようとしただけなのだが、まさかそこに入り込もうとしているとは気がつかなかった。
バケモノが原因なのか、はたまた森そのものに魔力が宿っているのかは分からない。ベジータがその霊力をもって対応できる段階のものであるかさえ未知数だ。
目の前に深淵の暗闇とともにざわざわと葉を鳴らす木々が、急に薄気味悪いものに見えた。

そのとき、破魔矢が刺さったままの鬼ががくりとその膝を地面について、そのまま倒れ込む。
いつ放たれた矢なのか、その体からはほとんど気が感じられなかった。
ベジータは、思わずその近くへ駆け寄る。――否、駆け寄る必要などなかったのだが、本来なら人間に危害を及ぼす可能性のある存在はその場で滅しておくのが筋だったのだろうが、ベジータは鬼の血で狩衣が汚れるのも構わずその体を抱き起こした。

「おい…」

金色の瞳は閉じた瞼に隠され、その体は脱力している。
ベジータが胸に刺さった矢に触れようとすると、鋭い音とともに手が弾かれた。随分と強い呪がかけられているらしい。
――この俺様の手を煩わせるだなんて。
妙な苛立ちとともに、ベジータが強い霊力をこめて言霊を一言、矢に向かって吐き捨てると、その矢の光がゆっくりと消え、まるで時間の経過が一気に訪れたかのようにぼろぼろと崩れて行った。
すると、目を閉じていた鬼は、紅に縁取られた瞼をゆっくりと開く。
金色の瞳がこちらを捉えたと思った瞬間、彼はまるで何かを思い出したかのように目を驚愕に見開いた。

「…!」
「?」

怪訝そうにその顔を見つめていると、意識を取り戻した野生の猫のように、鬼はベジータの腕から飛び退り、あっという間に走り去って闇に消える。
呆気にとられてしばらくそのまま座り込んでいたベジータだったが、ゆっくりと立ち上がって狩衣についた土を面倒くさげに払うと、元来た道を戻り始めた。

「俺に助けてもらっておいて、礼もしねぇとは」

最低最悪の気分だ。
そう呟きながら、ベジータの口元は何故か少し微笑んでいた。




*****


一人の男がいた。
男は、村で幸せに暮らしていたのだが、ある日とても好きな人ができた。
その人は少し素直じゃないけれど、小さくて可愛らしい人で、男と一緒になって、ますます幸福に過ごした。
ある日、男は都へ公事の税を納めに村を離れ、遠くの都に向かって出発した。
税を納めて帰ってくると、実に1か月近くの時が経っており、男は愛しい妻に会うことだけを楽しみに歩く、歩く、歩く。
陽も落ちかけた頃男がようやく村にたどりついたとき、そこには人っ子一人存在しなかった。
否、そこはまるで戦があったかのように燃えていたのだ。
暮れかけた群青の空に、炎がてらてらと橙色を映しだしている。
肉の焼けるような、いやな臭いが鼻についた。
折り重なる死体を見たそのとき、男は絶叫していた。
そこには、変わり果てた妻の血みどろの死骸が転がっていた。

ああ、いったい己がいない間になにが。
なにがあったというのだ。

涙はとめどなくぼたぼたと地面に落ちる。
そのとき、男はすぐ傍に大きな影があることに気づく、それは本来見えるはずのない者であった。
赤い身体、血走った眼、鋭い爪は血に濡れている。
――鬼。
愛する者を失った彼が最大の憎しみを込めて睨みつけると、鬼はにたりと嘲笑った。
まるで、男が哀しむ姿を見て悦んでいるかのようだった。

男は鬼に向かって飛びかかった、そしてその直後には、男は簡単に事切れていた。
鬼が爪でひと掻きすれば、男の首は簡単にもげ落ちてしまったのだ。
しかし、鬼はそのまま立ち去る前に、何かを思いついたように、愉しそうに口元を歪めた。
男の首を身体にぐちゃりとくっつけ、爪の先で何か細かい絵模様のようなものをその頬に刻みつける。
瞬間、男の体は青白く燃えだした。
イッヒヒヒ、と鬼は笑い声をたてて、そのまま飛んでどこかへ消える。

男は、火の中でゆっくりと目を開けた。

赤く血のような体毛が生え、黒ずんだ鋭い爪、自らの意思で動かせる尾、そして、飛んだはずの首が何事も無かったかのように付いている。

嗚呼。

男は嘆こうとした。
しかし、その口から出たのは獣の咆哮のような薄暗い呻きだった。
男は最も憎むべき鬼を恨んだ、恨めば恨むほど身体は力に溢れ、頬には血の涙が伝った。

男は、鬼になっていた。



*****



毎夜毎夜、よくも飽きないものだ。


「ゥウ……」

背中を丸め低く唸る姿はまるで獣そのものだった。
赤で縁取られた金色の瞳、血の色の体毛、揺れる尻尾に芥子色の下衣を身につけた鬼は、あれから気まぐれにベジータの邸宅に現れるようになった。
どこからどうやって嗅ぎ付けたのか知らないが、鬼には鬼の感覚があるのだろう。
また来やがった、と思いながらも、ベジータは笛を吹くのをやめなかった。
夜に笛を吹くと蛇が出るなどと脅されたものだが、確かにバケモノを呼んでいるのだから迷信も侮れない。
今日はましてや新月なのだから、得体の知れぬバケモノがうろつきそうな夜である。

「……」

世の人は、目に見えぬ恐ろしいもの――其れを妖怪と呼ぶ。
そしてこの身は、人里に降りてきて悪さをする妖怪を消滅させることを生業とする――かの有名な安倍晴明がそう呼ばれるように『陰陽師』として、人の生活を脅かすものたちを滅してきた。
己を異端視し、遠ざけ、まるで人間ではないものかのように扱ってきた奴らを守るような仕事をするなど、本音を言えば腸が煮えくり返るような行為であるのだが、ベジータは己が生きるために残された道がそれしかないことくらい分かっていた。
高い霊力と、見えないものを見、聞こえないものを聞く能力は、陰陽師としては天才と呼ばれる部類であった。
いつか、見返してやる。
ただそればかりを胸に、依頼のままにバケモノを滅し、それで金を儲けてきた。
気配だけをどうにか感じられるように修行を続ける己と同じくらいの年の子供を尻目に、ベジータは大人に交じって破魔の呪や符の遣い方などの実践ばかりをやってきた。おかげで、二十歳にも満たぬ今でも、己を超える陰陽師はいないというほどにまで成長を遂げていた。

曲を吹き終わると、ベジータは迷惑そうに目を細めた。

「なんなんだお前は」

いつものようにひょっこりやってきた、鬼の名前は「カカロット」というらしい。
何で名前などを覚えたのか、己としてもくだらなすぎて反吐が出そうだ。
直接頭に語りかけてくる言葉以外では、口から音として言葉を発することはできないようだった。
いつも意味を為さぬ唸り声、猫のように喉を鳴らすくらいで、そういう意味ではほとんど動物と変わらない。

「俺は、貴様の天敵だぞ?本気になればいつだって殺せるんだ」

わざわざ陰陽師の元に来る鬼など、聞いたこともない、しかも己はこの平安の都の中でも最も腕の立つ陰陽師なのだ。
その腕を認めていただき、天皇から恐れ多くも特別な別邸を賜って今ここにいる。
(別邸、というのは体の良い言い訳で、結局『鬼子』である俺を近づけたくなかったっていうことくらい、知ってるが)
ほとんど人のいないこの広い邸宅では、ベジータはいつも一人だった。
一人を好んでいたという理由もあるが、誰も居つかないというのも本当だった。
バケモノの返り血を浴び、見えぬ者と会話する姿を見た者は、気味悪がってベジータの家になど居たくはないのである。

まるで懐いた猫のように、やってきてはベジータの隣にすり寄る鬼を、ベジータは言葉でこそ攻撃するものの、本当の意味で振り払うことが何故かできないでいた。
今日も、ベジータの狩衣に体毛が触れるほどすぐ近くに来ていたカカロットは、ベジータの「いつでも殺せる」という言葉に対し不敵ににやりと笑う。
ぱたぱたと動いていた尻尾が、するりとベジータの手首に絡んだ。

「何だ」

うっとうしい、とそちらを見ると、思ったより近くに顔があった。
金色の瞳が、薄暗い部屋の灯りに煌々と輝いている。
その顔を見ながら、ベジータは何故か懐かしいような気持ちになった。
どうしてだかは分からない。
この動物のような鬼、何の理由があって懐かしくなど感じるのだろう。ああ、そうか、勘違いだろうか。
それなのに、懐かしいだけじゃなく、これもどうしてだか、愛しいような――愛しい人の顔に似ていたような。

今まで、己に愛しい人など、居た覚えはないのだが。

「ウウ…」

鳴いて、カカロットはペロリと頬を舐めてくる。
いつもの悪戯かとベジータが嫌な顔をしても、カカロットは何度も何度も舐めてきた。
ゆっくりと耳に息を吹きかけて、やわやわと耳を食まれる。
ビクリ、と体が跳ねた。ベジータは思わずその体を押し返す。

「なっ、なにしやがる…!?」
「…」

カカロットはにっと笑って、今度はベジータの柔らかい唇を舐めた。
瞬間、何をされたのか理解できず固まってしまったベジータを、カカロットはそのまま思いきり押し倒す。
自分より体躯の大きな鬼に押し倒されて初めて、ベジータは己の置かれた状況を理解したのか焦りを見せた。

「きさ、ま…っ、何…!」
「…、ベ」

そのとき、鬼はなにか口を一生懸命動かした。
念話でベジータと会話ができる彼にとって、口から出る音はほとんど意味を為さないのであったが、いつもの唸り声とは確かに違う響きを持ったものを、彼が発音したのだ。
ベジータは、子供が初めて言葉らしきものを話した親の気持ちを、疑似体験していた。
ドキリとして、眉をひそめる。

「…なんだ?」
「べ、じ、…い、……た」

たどたどしく言って、カカロットは得意げに笑う。
ベジータは、漆黒の目を見開いた。

名前。

名前、を、言えるようになったのか。

「お前…」
「べじいた」

そう言いながら、カカロットはベジータの黒い髪を撫でて愛しげに口付けをする。
その動作は、まるで人間のように。
まるで人間の男が、愛しい人にそうするように。

<やっと、見つけた。ベジータ>

直接語りかけてくる彼の言葉を解し、ベジータはわけのわからない動悸に顔を真赤にした。

<ずっと探してた、おめぇは、オレの――>

鬼は、金色の瞳を潤ませ、ぽたりぽたりと涙を流す。
それがベジータの頬に落ち、ベジータは思わずゆっくりとその手を彼の頬に当てていた。
涙に濡れた頬は傷が引きつれたような文様が刻みこまれている。
文献で読んだことがある、それはもと人間だった者が鬼になるときにかけられる呪。
その者が滅され、魂が消えてしまうまで解けることのない、永遠の呪縛。

「カカロット」

ベジータは自分の見たことのない風景が、記憶が、ぼんやりと頭の奥に浮かんでいるのは、目の前の化け物がその記憶を送り込んできているものだろうと思っていた。
ああでもどうして、それなのにどうしてこんなに、涙が溢れるんだろう。
視界が滲んで、ベジータは何度も瞬きをした。

<逢いたかった、ベジータ、逢いたかった>

涙に濡れた唇を合わせられ、ベジータはゆっくりとその広い背に腕を回す。
ああ、そうか、おまえは。









END.




原作設定考案者のクロねこさんより、挿絵をいただいてしまいました!!→



ごめ…なさ…


クロねこさんにいただいた、鬼カカと陰陽師ベジの設定(かなりかなり細かく、いろいろと設定を決めてくださりました)を元に、ちょっと自分なりの解釈を入れつつ書いたリク作品です。

ごめんなさ・・・ !

全然話違うじゃねえか^^#って思われたと思いますクロねこさん…!!すいませんすいません
でも、カカの過去、ベジの過去、転生という設定についてはなんとか練り込んでみました。
タイトルも、いただいたタイトルをそのまま使わせていただきました。

和ものは楽しくて大好きです。
書いてて楽しいです。
それにしても、本当に素敵な設定だった…
うまく生かしきれなくて申し訳ありませんでした

ではでは、お読みくださりありがとうございました!!



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