人々が寝静まった時刻。
猫の爪ほどの三日月が頼りなく闇色の空にぶら下がっている。
鳥の鳴く声も風の音さえも消えた夜。
周囲を森林に囲まれ、深い闇に包まれた小道の途中。二つの影が佇んでいた。
「ねぇ」
不気味な沈黙を完全に無視した少年の声が、深すぎる闇夜に響く。
「そろそろ飽きてきたんだけど。何時までこうしてるのさ?」
「もう少しの辛抱です」
不満も顕に口を尖らせた少年の声に、もうヒトツの影は苦笑混じりに答えた。
少年よりも少し年上の、落ち着いた声色の男性だ。
「一応、これも仕事ですから。我慢です」
「ボケ〜っと立ってるだけじゃん。暇!暇すぎ!」
その場に座り込んだ少年。完全に子供のそれだ。
年上の男は、呆れたとばかりに肩をすくめた。
「まったく・・・・・。近頃の若人は堪え性が無いですね」
「退屈すぎて死にそー」
「どうぞ、勝手に死んでください。私は少しも困りませんから」
「うわ、サイテー」
座り込んだまま、少年は頭上を見上げた。今にも空に消え入りそうな月。
三日月が先っぽから闇色の牙で食い千切られる様を想像しながら、少年は膝の上で頬杖をついた。
「・・・・・ねぇ高坂ぁ」
「今度は何です?腹でもすきましたか?」
「違ぇも〜ん。あんま馬鹿にすんなよな」
近くに転がっていた石を摘み上げ、座ったままで高く宙に投げた。
「この先なんしょ?アイツらの城」
広げたままの掌に落ちてきた石を、再び宙に放り投げた。高坂の返事を待たず、少年は続けた。
「別にさ、こんな面倒な手回しなくてもイケるんじゃね?俺ら三人で攻めれば余裕じゃね?」
「・・・・・どうかな」
男性は頭上の月を見上げ、それから少年に目を落とした。
「直接攻め込むのも楽しそうですが。そんなことすれば、お屋形様は間違いなくお怒りになるでしょうね」
「そんなに強いの?」
「まぁ、武力のみで討ち滅ぼせる相手ではないと思いますよ」
「ふーん・・・・・」
いまいち納得出来ないと言いたげな声だった。
少年はそれ以上騒がず、掌で小石を弄ぶ。
「・・・・・」
そうゆう少年の気持ちも判らなくはない。
単身乗り込むのは無謀だとしても、大掛りな工作を用意するだけの相手なのか。それは高坂も、常々思っている疑問だった。
だが、主人であるお屋形様はそうは思っていない。
だから、それについての思考は切り離す。
「・・・・・そろそろですね」
頭上の月を見上げて、方角と時刻を確認する。
少年も立ち上がった。
「待ちかねたよ〜だ」
「うまくやってくれましたかね。秋山は。」
「詮索は後だって!こんな陰気なトコに長居は無用だもんね」
高坂を追い抜いて、少年はさっさと歩き始めた。
その背を目で追い掛け、高坂は小さく苦笑した。
「秋山からの合図がまだですがねぇ」
しかし心配は無いだろう。秋山が失敗するとも考えにくい。成功したに違いない。
少年の後を追いながら、高坂はひとり含み笑った。
この計画の成就を、もしかしたら、自分が一番待ち兼ねているのかもしれない。自らの内側に燻る熱を誤魔化しながら、宥めながら日々を過ごすのも、もうすぐ終わる。
もはや狂気と化したこの熱を解放する時は、すぐそこまで来ているのだ。
想像すると、楽しくて仕方がない。
早く始まればいい。
一刻も早く。
今すぐにでも。
「・・・・・」
足を止め、もう一度頭上を見上げた。闇に取り囲まれ、今にも喰われてしまいそうな三日月。
「あの月が彼らなら・・・・我らは闇、か」
喰われてしまえばいい。
奴の何もかも。
欠片も残さずに。
誰も逃がしはしない。
誰、一人・・・・・。
高坂は天を見上げたまま目を伏せた。
計画は完璧だ。
それが始まれば、奴らは勝手に滅亡へ向かって動き始めるだろう。
坂を転がる小石のように。
その歩みは、止められない。
静まりかえった闇に風が、思い出したように通り抜けては、消えていった。