「何のご用ですか?」
前触れもなくドアを開けて入ったのに、心得ていたと言わんばかりに冷ややかな声が直ぐ様飛んでくる。
知っている事とはいえ、その察しの良さに苦笑は隠せない。
「ジェイド。まだ起きてたのか」
確信犯だが、一応そう答えてみる。
後ろ手にドアを閉めると、只でさえ暗い室内は闇が深くなる。
ベッドに座っていたジェイドは眼鏡を掛け直し、膝に乗せていた分厚い本を横に置いた。
「勿論ですよ。まだ仕事が片付いていませんから」
「その割りには、ずいぶん余裕そうだな」
「朝から働き詰めなんですから、息抜きも必要でしょう?」
淡々と言ったジェイドは立ち上がらないまま、見上げるようにして僅かに目を細める。
「それで。こんな遅くに何の用ですか?陛下」
喰えない笑顔を向ける幼なじみに、首をすくめて溜め息をついてみせた。
「監視の目を掻い潜って会いにきたんだ、もう少し嬉しそうな顔をしろよ」
「・・・」
思案するのも束の間。
「やー、陛下☆お会いできてとっても嬉しいです♪」
やけに可愛く微笑しながら言ってのけたジェイド。
でもそれが、彼の本心であるはずも無く。
造り物のように感じさせないあたりは流石というか、やはり、というか。
「まずまずだな」
率直に感想を述べれば、その顔が苦笑に変わる。
「これは。お褒めに預かり光栄です」
「お前にしては上出来だ」
「褒めても何にも出ませんよ?」
「うん。期待してない」
「それは残念です」
本題に戻すとばかりに、レンズ越しの赤い瞳が真顔に戻る。
「それで。厳しい監視の目を誤魔化してまでくる理由は、何ですか?」
「何ですか?って・・・決まってるだろう」
その艶やかな髪を撫でて、反対の手で背中を抱いて引き寄せる。
見上げてくる赤い瞳に笑いかけた。
「こんな夜分に出向いてする事は、ヒトツしかあるまい」
「・・・・まぁ、予測はしていましたけどね」
短く苦笑したジェイドは眼鏡を外して、枕元に置いた。
「陛下も、物好きですね」
その頬に口付ければ、肩に腕が絡まる。
ベッドに膝を乗せ、仰向いた白い首筋に唇を落とすと、微かに息を飲む気配が伝わってくる。
「・・・・。もう公事は、よろしいのですか?」
「ああ。もちろん」
「本当ですかぁ?」
からかうように笑う唇の形を指でなぞる。
「まぁ、全部は終わってないがな」
「少しもよろしくありませんよ、陛下」
「柄にもなく張り切って終わせば、かえって疑われるだろ」
「ご心配なく。挙動不振なのは昔からですから。今更誰も疑いませんよ」
失礼な台詞をサラリと吐くと、少し困ったように笑う。
「でも出来れば、勘弁願いたいですね。ノルドハイム将軍に怒られるのは私なんですから」
「何を言ってる」
髪を梳いた手を背中に滑らせて腰を抱き、ベッドに押し倒す。
驚いたように、赤い瞳が見開かれた。
そんな反応を見ているだけで、軽い優越感を憶える自分を再確認して、笑える。
「・・・こんな楽しいこと、止められるわけがないだろ」
「・・・そう来ましたか」
ため息をついたが、その口元は微笑んだままだ。
・・・俺がどう答えるか、判っていたくせに。
知らないふりをする幼なじみの指が髪を撫で、頬を掠める。
「また、無茶を仰る」
「そうか?」
「そうです。いくら私を犯したトコロで、待望のお世継は誕生しませんよ?」
「それは判らんな」
「は?」
「このまま犯し続けたら、子供の一人や二人は作れるかもしれないな」
真面目腐って答えると、赤い瞳の幼なじみは呆れたように苦笑した。
「私は女性では無いはずなんですが・・・」
「似たようなもんだろ」
「陛下限定の、ですね」
「・・・本当かぁ?」
「本当ですよぉ」
思いっきり疑ってやると、いかにも残念そうにため息をついた。
「私はこう見えて、ガードが堅いんです。安売りするような真似はしませんよ」
「俺には安くしておけよ。ジェイド」
「うーん。それも考えものですねぇ・・・・」
再び首筋に口付ければ、引き剥がそうと肩を掴んで押し返そうとする。
逆にその手を取って、ベッドに押しつける。
「・・・・っ」
逆の手で軍服のボタンを外して、その下の肌に手を滑り込ませた。
「・・・・陛下」
唇が重なる直前で、ジェイドは顔を背けた。
「まだ・・・・片付けたい仕事が、残っているんですが」
熱を誤魔化すように、平静を装う緋い瞳。
首筋から鎖骨まで、時折強く押しつけながら唇を滑らせる。
肩を掴んでいた指が爪をたてて食い込んだ。
「陛下・・・聞いてます?」
「ん。・・・これが終わってからにしろよ」
「そう、言うと思っていました・・・」
小さく笑った唇。
溜め息をつくように、深い吐息を吐く。
「・・・困った御方だ」
「お互い様だろ」
言い様、唇を塞いだ。
待っていたとばかりに滑り込む舌を絡ませて、更に深く侵入させる。
「・・・っ・・・ん」
拒否していたはずの両腕から、力が抜ける。
ジェイドにしては、珍しい。少しだけ唇を解放する。
「・・・ジェイド」
「・・・・・・なにか?」
「今日は、素直だな」
耳元で、微かに笑う気配。
「おかしいですねぇ。私はいつも素直で正直ですよ」
「よく言う・・・」
中途半端に脱げた服を丁寧に剥ぎ取り、床に落とす。
その白い肌は淡く色付き、首筋には花弁のように桜色の印が咲く。
淡いオレンジ色の灯りの下に、ひどく艶めいて見えた。
「・・・・陛下」
・・・霞がかかる緋い瞳。
既に疲れた様子で微笑みながら、けれど決して拒まない眼差し。
身を任せているようでいない、こちらの反応を試す態度は相変わらず。
・・・誘っているようにしか、見えない。
「ジェイド・・・煽るなよ」
「こちらの、・・・台詞です」
再び唇を塞げば、細い腕が背中を抱く。
肩まで下がった服の襟を引き、ゆっくりと脱がせる指が焦れったい。
「・・・ん・・・っ」
強く唇を押しつけながら、鎖骨をたどる。
胸の突起に吸い付いて甘噛すると、甘い痺れが奔ったのか、微かに喘いだ。
「陛下・・・残業手当に、加算していいですか・・・?」
「・・・さぁ。どうするかな」
躰の曲線をなぞりながら、下腹部に手を滑らせた。そのまま大腿をなぞり、膝を開かせる。
「・・・・陛下」
「残業扱いになるかどうかは、お前の頑張り次第だなジェイド」
次第に高まっていく熱を否定するように、赤い瞳の幼なじみは苦笑しながら小さく首をふる。
「私を・・・過労死させる気ですか?」
「自分から誘っておいて何を言ってんだ」
「いやですねぇ・・・・。私がいつ陛下と寝たいと言ったんです?」
「じゃ、俺のほうから誘おうか」
腕を支えに躰を起こした。真下から見つめてくる緋い瞳が潤んでみえるのは、多分気のせいじゃない。
「・・・・」
薄く上気した頬。
濡れた薄い唇。
陶器のように白い首筋に残る、桜色の印。
自然と口元が綻んだ。
「・・・綺麗だ。ジェイド」
この赤い瞳も髪も、肌も意識も全部。
この男の総ては今、俺に支配されている。
自分の何処に、こんな感情が潜んでいたのだろう。
幼なじみ。
君主と部下。
親友。
どんな形状の関係にも、満足できない。
視界から。
思考から。
完全に。
完璧に。
支配して、侵したい。
もっと・・・・深部まで。
眼も眩む程の、独占欲。
本当は
支配されているのは、俺の方かもしれない。
それもいい。
形はどうであれ、この男を独占し尽くせるのなら。
当のジェイドはといえば、手の甲で目元を隠して、低く笑っていた。
「お褒め頂き・・・誠に光栄です」
「世辞じゃないぞ」
「ですが、同性に使う言葉でもありませんよ」
「そうか?」
「そうです」
「まぁ、何でもいい」
態勢を変えて多い被ると、ベッドが鈍く軋んだ。
「せっかく口説いたんだ。最後までやらせろよ」
「・・・仕方、ありませんね」
いかにも不本意そうに溜め息をついたが、本当は万更でもない。
その証拠に、終始笑ってばかりいる。
素直じゃないのは、お互い様だ。
焦らし合い、探り合いも悪くない。
ただ、支配したい。
支配されたい。
完全に。
すべてを・・・・完璧に。
欲しかったのは・・・・
その緋い瞳だったのかもしれない。
欲しかったのは・・・・・
「神様って信じてるか?」
ベッド上で気怠い躰を起こした時、まだ横で寝そべったままの皇帝陛下はそう切り出した。
・・・先程の行為のせいで、全身がひどく重い。
床に散らばっていた軍服を取り上げながら、ジェイドはさり気なく身を放した。陛下に背を向けて、服に袖を通す。
「・・・何ですか?唐突に」
振り向くと、陛下は艶やかな金髪を掻きあげながら枕に頬杖をついていた。
目が合うなり、形のいい薄い唇が笑う。
「ガキの頃、今と同じ質問をしたろ。覚えてるか?」
「・・・えぇ」
記憶を辿ると、確かに思い出せる。
あれは・・・軍に入隊する直前だった気がする。
場所は、確かケテルブルクの公園だった。
あの頃の事は、抹消したい過去の・・・いわば中枢。
言い訳も誤魔化しもしないが、出来るなら遠ざけて、思い出したくない。
「あの時のお前は・・・」
一瞬グラついた心境を知ってか知らずか、陛下は言葉を続けた。
「信じない、って速答しただろ」
「・・・そうでしたか?」
「とぼけるなよ」
低く笑いながら、髪を掻き上げる。
その耳元で碧い髪飾りが揺れる様から、わざと視線を外した。再び背を向けた。
襟を正した手に、後ろから重なる手のひら。
「こっちを見ろ」
「・・・・」
その言葉に含まれた意図を瞬時に感じ取れる自分が、少し嫌になった。
あえて、知らないフリをする。
気付かないフリをする。
「・・・それで、結局何を仰りたいのです?」
背後で、小さく笑う気配。
手を離す仕草にさえ、こちらの反応を試す気配を匂わせる。
「・・・今も同じか?」
「・・・・」
「今でも、あの時と同じなのか?ジェイド」
振り向くと、陛下から微笑みは消えていた。
・・・・なんて、嫌な言葉を吐くのだろう。
この人の悪い癖だ。
聞き辛い事や言いづらい事を、包み隠さずストレートに突いてくる。
もちろん人を選んで発言しているのだろうが。
人を散々に鳴かせて起きながら、これ以上どんな言葉が欲しいのか。
「・・・・判りません」
殆ど逃げるようにして目を逸らし、服に袖を通す。
まだ揺らいでいる内面を悟られないように、不自然にならないように、慎重に言葉を選んで繕った。
陛下の返事はない。
背中に感じる視線は相変わらず、逸れる気配はなかった。
気付かれない程度に、微かに溜め息をついた。
「・・・・神など、信じていませんよ」
「・・・・」
「私は、誰よりも信仰や崇拝の概念から遠い。人の死が理解できない事と、同じように」