それは、満月の夜だった


風も吹かない真夜中。空には一切の雲はなく、満月の月光が、差し込む朝日の如く地上へ降り注ぐ。
月が一際近い、双極の丘。
静寂に包まれたそこなら、手を伸べれば届く距離まで近づいて見える。
あの月光を、すぐ近くで感じることができる。

この手が届くなど、けして有りはしない。

地上から見上げるだけで、どれほど強く願おうとも、触れるなど叶わない。
永久に。
ただの憧憬以外の、何者でもない。
空を舞えぬ故の憧憬。
あるいは、畏怖故の・・・。
その凛とした姿と月光に少なからず、恐怖を感じるから・・・。


蠱惑的な目をした彼には、このような妖しい月下がよく似合う。




雪が降る直前の、あの張り詰めた静寂が支配する。
双極の背後からのぞく満月が遮る物もないままその光を注ぎ、周囲は真昼のように明るい。
その月を見上げるように、一つの人影が佇んでいる。あまりにも見慣れた背中。馴染んだ気配。

気付いていたのか、声を掛けるより先に彼のほうが口を開いた。


「・・・コンバンワ。隊長。」

微かに首を下げると、こちらを振り向かないままで小さく笑う。

「ホンマに、藍染隊長にはよぅ会いますな。今日で何度目やろか。」

「・・・市丸。珍しいな。」

「何がです?」

「君がこんな時間に出歩くなんて、あまり無かったろう?」

「・・・そうやろか」

振り向いた瞳が笑う。

「隊長は、僕のコト知らなすぎるんと違います?」

「どうかな」

含み笑った唇。月光の下に立つ姿は、妙に艶っぽく歪む。
普段と変わらない、あの微笑を浮かべたまま。

「僕かて、一人で散歩にくらい出掛けますよ。特に、こんな・・・」

再び、頭上の月を見上げた。

「こんな夜には」

「・・・」

「隊長は、何しに来はったんです?」

「・・・君と同じだよ。市丸」

隣に並ぶと、君は少し意外そうに振り向く。

「隊長でも、散歩なんてしはるんやね。」

「僕にだって、気分転換したい時くらいあるさ」

「そうやろか。あんまイメージやないな」

そう言いながら、視線を頭上の月に戻す。

「隊長も、お月さんに魅せられてもうたんやな」

「・・・」

魅せられる・・・。
もしもこの世に、私を虜とするモノがあるとしたら、それは魔物以外の何者でもない。
追い堕としたい、と本気で想うくらいの魔物。
在るとしたら、それはきっと・・・。

「・・・月に魅入られるのは、魔物の類だ」

「魔物・・・」

「誰の中にも存在する。人にも虚にも、死神にも」

「・・・ほんなら」

正面に立った君は、口元に微笑を刻んだままで上目使いに見上げてくる。
絡み付くように、妖しい視線。月光に照らされたその肌が、女のそれのように白く繊細に見えた。

「藍染隊長にも、おるんですか?その、魅せられた魔物ってヤツが。」

「・・・そうだな」

手をのべて、頬にかかった髪をすく。

「僕は、常に魅せられたままだ。月の魔力に頼らずとも、すでに僕は・・・」

「・・・」

「気付いているだろう?」

「・・・何を言ってはるのか、判りませんな」

この手から逃げるようにして、顔を背けた。
その仕草さえも、確信を得ているからこその行為。
いつだって、明解な答えを示してはくれない。

「ギン」

逃れようとした肩を引き寄せ、その首筋に口付ける。
かすかに、装束に包まれた細い両肩が震える。

「隊長・・・」

押し返そうと身じろぐ背を抱き、強引に引き寄せる。

「ギン・・・お前の声で聞きたい」

「・・・」

眼鏡を外したその手で、唇の形をなぞる。
うっすらと、君は目を細めた。
互いの吐息が触るほど近くに抱き寄せる。

「私を求めろ」

君は小さく笑う。
背を抱き返しながら、もう僅かで唇が触れ合う際どい直前で、焦らすように顔を背けた。

「狡いわ、隊長」

「?」

「そうやって何時も、僕を試してはるんや」

「・・・。」

「・・そないに不安ですか」

「不安?」

その言葉に、思わず嗤う。

「何を言っている」

・・・不安など、在るものか。答えなど解っている。
けして揺るがない確固たる『不変』を知っている。
永遠など無くとも、
不滅たる永久が世界には無くとも、
この手の中には在る。
ここには不変が在る。
誰にも崩させない。
何人にも、変えられはしない。私の世界は・・・。

「不安など何も無い。今更、何を恐れる」

頬に口付けると、細い腕が絡まるように背中を回る。

「これは『確信』だ」

「確信・・・」

「この手には『絶対』が在る。けして崩れない・・・『永遠』が在る」

「・・・不変など、世のどこにも無い」

「私には在る」

「傲慢な思い上がりや」

薄く瞳をあけた君は、肩に頬を埋める。
声を潜め、耳元に唇をちがづけた。

「許されてへんのや。地面を行くしかない僕らには、天を見上げるしかない僕らには、そんな権利は初めからあらへん」

「許す・・か」

髪を撫でると、諦めとも嘲笑ともつかない小さな溜息をついた。

「所詮、許してもらわな何もできん。夢を見るだけ無駄や」

「・・・なら、何に許してもらう必要がある?天か?そこに住まうとされる神か?彼らに何故許しを請う?天に届かぬ存在こそが罪で、彼らに裁かれねばならない罪人だからか?それこそ、傲慢な幻想に溺れる傀儡だ」

「・・・傀儡」

「私には、けして崩れない『確信』がある。それは何者にも干渉されない、完全なる『絶対』だ。そして私は、天に罰されるべき罪人ではない。元より、人や死神の存在にはそんな価値すら無いのだから」

「・・・いややわぁ」

クスクスと笑った君は、誘うようにもう一度背中を抱いた。
間近の瞳が、ス・・・と妖しい光を宿す。

「・・・神にでも、なりはったつもりですか?」

「・・・神」

思わず、唇が綻んだ。

「・・・神など、世のどこにいると言うんだ?ギン」

頬から首筋にかけて、ゆったりと口付ける。

「天の座は空白だ。神などいない。いるとすれば、個人の中に創られた幻にすぎない」

「・・・幻やと判っても、縋りたくなるんが神や」

「ほぅ。お前でも縋りたくなるのか?幻想の神に」

「僕が言うんは、隊長の言う神サマやない」

クスクスと含み笑い、なんとも否な台詞を吐く唇。
誘うくせに、巧妙に逃げては散々に焦らす。
・・・試しているのは、どちらだろう。
『確信』を試すような、微かに敵意の混じる視線。

「・・・隊長。勘違い、せんといてください」

自ら、首元に抱きついて身を委ねる素振りを見せる。先程から浮かべている妖しい微笑の裏。自制を揺さ振る瞳。

「僕は、絶対の至高神を信じてるんやない。みんな同じや。自分に都合いい神サマだけを、都合よく信仰するだけ。なんか逃げ道を創っておかんと、不安で仕方がない。僕も、そうやから」

「・・・」

「せやけどな・・・隊長」

「・・・?」

「もしも、貴方が・・・・・・」

・・・語尾は、囁くよりも小さい声で耳に吹き込まれた。

「・・ギン」

囁かれた言葉に、堪え切れずに低く笑うと、腕の中で君も笑う。

「なんでです?結構マジなお話やったのに」

「いや、すまない。まさか君の口から、そんな言葉が出てくるとは思わなかった」

・・・まさか、君から言いだすなんて完全に予想外だ。
しかし、悪くはない。
こうゆう展開も。


指で頬を撫でて促す。
薄い唇が笑う。

「ヒドイなぁ」

さして気にした様子もないまま、今度は素直に従って顔を上げる。

「・・・隊長」

言い掛けた唇を、口づけで塞ぐ。それを待っていたかのように侵入してくる舌先を絡め、望みどおりに口内を犯してやる。

「・・っ」

細い肩が微かに震えた。
上向いた首筋をなぞる。握り締めた手の、爪が背中に食い込んだ。




ヒトを狂わす魔物。
地上に注ぐ月光を受けて、誰がそこに天の存在を感じるだろう。


そこに在るのは、ただ・・・






「・・・たい、ちょう」

熱い吐息を無理矢理に押し込みながら、君の唇がたどたどしく動いた。

「・・・?」

それまでの、制止を訴えるものとは違う。

布団の上に開けた装束。
半開きの戸から差し込んだ月光に曝された裸体は、女の肢体よりも遥かに艶めかしい。
繰り返し与えた刺激のせいで、蝋のように白い肌は仄かに紅い。

「・・ギン?」

呼んでおきながら、君は何も言わない。
薄い唇が妖しく笑う。
両腕が首の後ろに絡まる。唇が重なる。
この夜では初めて、君のほうから求めてきた。

「っ・・・ん」

声も呼気も、邪魔な理性も剥ぎ取るように。

背中に添えられた指が肌に食い込む。
吐息が触るだけで過敏に喘ぐくせに、薄く開いた瞳と唇は冷ややかに笑う。
強く唇を押しつけて、首筋にも鎖骨にも、所有の印を刻み込んだ。君は、この辺りに口づけるのをひどく嫌がる。けれど今日は、たいした抵抗もない。
その口元が、妖しく微笑しているだけで。

「・・・ギン」

「・・・」

「今、何を考えている?」

問い掛けると、霞がかかって潤んだ瞳を閉じた。
しかしすぐに開くと、視線を戸の外へ流した。

「・・・手を、伸ばしても届かんものがあるなら、それが天なら・・・」

こちらを向いた君は、再び腕を絡めてきた。

「隊長は、あのお月さんみたいやな・・・」

「・・!」

「届きそうで、少しも届かん。其処におるのにな。すぐ其処で、僕を見てはるのにな」

「・・・」

肩を抱いて寝かせると、小さく身じろぎした。
微笑したままの唇。頬を撫でる指の体温は、氷のように冷たい。
真下からの目は、妙に真摯な深遠を宿していながら、少しの躊躇もない。
気高く、傲慢な瞳。
言葉での繋ぎはいらない。答えは、すでに決まっているのだから。


「ギン。君が望むなら、私は君の傍に降りてくる」

「・・・」

「君は、簡単には手放さない。誰にも触らせない」

頬に口づける。
肩を抱きかえす手をとり、布団に押しつける。

「君は私のものだ」

判らないのなら、何度でも思い知らせてやる。
気がふれてオカシクなるまで、何度でもその体を犯して判らせてやる。
君も望んでいるのだろう?

「・・っ!」

下腹部に指を滑らせると、体がビクリと震えた。肩の指が、いっそう強く爪をたてて食い込む。

「ぁ・・・っ」

喉の奥で押し殺す甘い声を誘い出すように、ゆっくりと煽りたてる。

幾度となく唇を重ねて、幾度となく抱き合いながら。
それでも・・・・



君の『空白』が無くならないのは、何故だろう



「・・・一緒に堕ちようか」

ここが天ならば、後は下へ堕ちるだけ。
ここが地ならば、さらに深い地獄まで。

月も太陽も、神でさえも裁けはしない。

この愛は・・・
誰にも触れさせない

このまま
止まればいい
月の魔力で『永劫』に

君の手を引いたまま

私は、あの光を嗤おう

永遠に
君の名を呼ぼう


君を愛している、と・・・
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