それは
ある秋のこと





机の両側に、処狭しと積み上がる書類の山に囲まれていた景虎は、手元の書類を閉じて天井を仰いだ。

「終了〜!」

筆を握りしめたままで、両腕を畳に投げ出した。
その弾みで、山のバランスが崩れて数冊が雪崩れ落ちる。

「あ〜、疲れた・・・」

「景虎様。あまり暴れないで下さい」

その横で別の書類をめくっていた軍師は、何とも冷やかな目で己が主を振り返った。その軍師殿を手伝っていた自分も、つられて振り返る。一番近くにいるのが自分なので、とりあえず手を出した。

「書類をなくしたら、余計な仕事が増えますよ」

わざわざ手を止めて雪崩れた書類の束を拾う軍師を見て、景虎も筆を置く。

「悪い」

「いいえ」

短く答えた直江だが、簡潔なのはいつものことで別に不機嫌ではない。
そもそも、二人の会話は胆略化されていて他者には理解し難い。打てば響く。まさにそんな感じ。

「色部、そこの書類」

「はい」

足元まで滑ってきた書類も回収して積み上げ、手足を伸ばしてもぶつからない所まで遠ざける。

「・・・ひとまず、お疲れ様でした」

「あぁ。ホントだよ」

その場で背伸びした景虎を見て、直江は微かに笑った。意外にも、呆れ半分優しさ半分の穏やかな笑い方だった。

「何か、飲み物をお持ちします」

「あ、自分が行きますよ」

腰を浮かせたが、既に立ち上がっていた直江は軽く首を振って制した。
直江が廊下に消えると、景虎は結っていた髪をほどいて立ち上がった。

「色部も、毎回手伝わせて悪いな」

「いえ」

縁側の襖を開け、景虎は腰を下ろした。
直江さんの意外な反応のことを聞いてみたくて、その横に膝を進める。

「ちょっとだけ、ビックリしました」

「何が?」

「直江さんですよ。いま見てました?あんな優しげな笑い方したの、初めて見ましたよ」

嫌味っぽいような呆れたような笑い方しか、ハッキリ言って見たことがない。

「直江さんでも、あんな顔するんスね」

「・・・まぁ、人は見掛けによらねぇっていうしな」

苦笑した景虎は、両手を畳みに付いて少し上の方に視線を向けた。

「でもアイツは・・・変わらないな。あのまんまだ」

「そうなんスか?」

「そーだよ。寧ろ俺のほうだろ。自分で言うのもなんだけどさ」

宙を見つめたままで、景虎は小さく笑った。
何の感情もない、ただの笑顔だった。


「ここの家督を継いだ頃には、そりゃあ色々あったからな。大人にもなるか」

「・・・」

景虎が上杉を継いだ頃のことは、実はよく知らない。
元服もしてなかった自分には、当時の記憶は殆ど残っていない。

でも、現在の基盤を作ったのは景虎様と直江さんだということは、いちいち聞くまでもなく。
つまりは、特定の人にしか見せない一面を目撃したってことになるのか?

「景虎様といる時にしか、見せない顔なんスね」

「・・・どうかな」

真顔に戻った景虎は、長髪を手で束ねた。女の様に慣れた手付きで元のように結い直す。

その手を畳みに投げ出し、真紅の瞳は再び宙の一点を見つめた。
手が届かないくらい遠くに行ってしまった誰かを、思い出す時の目に似てる。

「アイツが止めたんだ」

重みの無い、でも軽くも無い口調。憂いや悲哀の混じらない、普通すぎる声色。
何を思いながら言っているのか、分からない。

返事が出来なくて黙っていたが、景虎も期待していなかったらしく、続けた。

「アイツが繋いたんだよ。もう、流れないように」

・・・・この人の、こんな顔も初めて見た。
自分のことなのに、他人事の様に淡々と機械的に話す景虎は、とてつもなく凍てついて見えた。

「アイツにも何か理由があるとしたら、そのくらいだろうな」

言いながら、書類の山に視線を向けた。そこに居た軍師殿の仏頂面でも思い出したのか、ふっ・・・と笑った。

「まぁ、素直じゃないのはお互い様だし?今更どうとも思わねぇケド」

「・・・?」

「おかげ様で、とっくに乾いたよ。繰り返せないくらいにな」

何を言ってるのか、まるで分からない。
それは多分、当人同士にしか通じない暗号のようなもので。他人の理解なんて必要ない。きっと、説明する気も無いに違いない。

時々は引き出しから取り出して、存在を確認する。
それぐらいで。

「ま、こんなカンジかな。分かった?」

端から、分かってもらう気が無かったくせに。突っ込んで聞きたいとも思わないけれども。

「いや、全然」

「あっそ。ま、いいけど」

素直に首を振ると、主は愉快そうに笑った。
なんだか、子供みたいな笑顔だった。


結局のところ。
景虎様と軍師殿には、よく分からない繋がりみたいなものがあって。
それがあるから、今の上杉がある。と。
かなりハショっていると自分も思うけど、分からないものは仕方ない。


「あー、腹減った・・・」

僅かな隙間から覗く空を見上げながら、若い主は溜め息をつく。





秋の深まり始めた頃の、突き抜けるように晴れ渡った青空だった。




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