tuiki
私は昔から「服を選ぶ」ということが苦手だった。とくに学生時代は服屋さんに入ること自体がストレスになるほどだった。店内で母がテキトーに選んだ服を試着し、その服が入れば購入。私自身は服を自分で選ぶことも、セレクトに口を出すこともなく終わる。それが私の服購入だった。

しかし私は服に興味がないわけではない。なんでもいいという素振りをしながらなんでもよくはない。小さい頃はメゾピアノやポンポネットが着たかったし、高校時代はnon・noを読んだりしていた。

ただ自信がなかった。世の中の多くの人にとってなんでもない、服を自分で選ぶということが私には少し難しかった。


話は変わるが、私は幼少期から制限されていたことが多い。
ゲーム、漫画、ドラマ、ジュース、そしてピンクのフリフリの服。その代わりに問題集の山が私には課せられていた。いわゆる教育ママであった母は、頭の良い高学歴な娘を育てたかったのだろう。私はファミリアというお高めブランドの子供服を着て、流行りのDSもテレビ番組も知らず勉強していた。

私が話したいのは、そういう私のちょっと不憫な幼少期についてではなく、ひとつ、覚えていて欲しいのだ。

…幼少期に過剰な制限をすると、成人するにつれて爆発すると。

つまり私は、徹夜でゲームをし、漫画アプリをスマホに10個入れ、中国ドラマを延々と視聴、ジュースを毎日摂取、ピンクのフリフリワンピースで旅行に行き、勉強などせず怠惰を貪り、大学留年の後フリーター期間まで獲得するような子になった。
ということである。

母は私の子育てに骨を折った末に弟からは放任に転換し、父は「子供が自分の思い通りに育つなんて幻想は、お前に砕かれた」と後に語っていた。

ここまで長々と語ってきたが、私が言いたいのは、親へ反抗しようとかそういう話ではない。親なんて味方でいてくれた方がよっぽどいい。

ただ、私が大切だと思っているのは、自分で選ぶこと。
服も趣味も大学も生きる場所も、すべてをだ。仮に親や周囲に流されたとしても、流されるということを決断したという自覚を持たなければならない。真に自分で選んだことだけが、自信に繋がる。私はそう思っている。

服に話を戻すと、昔は紺の服しか着れなかった私が、今やピンクや黄色を選び母におねだりして買ってもらうようになった。ここまで道のりは長かったが、思い返すと小さな選択と失敗と経験の積み上げだったような気がする。パフスリーブでガンダムになったり、網タイツでロースハムになったり、激長スカートがエスカレーターに巻き込まれかけたり、そういう選択経験が大事なのだ。

それに、意外と対話の不足だったりもするのだ。

なんせ、あんだけお淑やかな服を私に着せてきた母もまた、ピンクのフリフリ好きだと判明したからである。
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