tuiki
中高一貫女子校で育った私は、その辺の女の子の100倍気が強い。この「気が強い」というワードも、女にしか使われないことを考えると乱用し難いが、男側からすれば私はそういう表現で語られるだろう。気が強い女だと。

しかし、中身に反して私は一見穏やかである。これもなんとも語りがたいが、いわゆる外見に気の強さは出ていない。どちらかというと親しみやすめで柔和な雰囲気がある方だ。だからほとんどの薄い関わりの人間には気付かれない。なんなら私を少し馬鹿にして、上から丸め込めそうとすら思っているだろうし、男慣れしていないところもくみしやすいと思われていただろう。私はそういう視線には敏感だった。

前述の通り、私の気の強さというのは女子校で育まれた。皆の中には女子校は陰湿な花園というイメージもあるかもしれないが、実際は最も自由な楽園だった。この世の中で、1番ただ1人の人間として尊重される世界だったかもしれない。私は外に出てからそう思っている。
男の視線がない思春期は、単純に女としての成長よりもずっと人間性を育んだ。なぜだか女が集団として集まり異性の目がないとそういう傾向がある。これは男子校ではなかなかないことのようだ。

そんななかで育つと、「男によりかかって生きる」という人生の選択肢はありえない。私たちは「賢くたくましい女性」であることを求められたし、そんなことは当然だと思っている。そういう考えが節々に滲み出るのだ。これは大学に入ってから、共学出身の女友達を刺激した。もちろん、いい意味ではない。

「男を立てる能力が無さすぎる」
ある友達には言われた。

どういうことかと私が聞くと、「もっとわざと彼氏を人前で褒めたり、頼ったりして1歩引いて立てるのがいい彼女だ」と言われた。なるほどと言う。
「できない」と返すと、「そうだろうね」と呆れた顔で返される。彼女はそれはモテたし、飲み会での立ち振る舞いも上手だし、恋愛経験も豊富だった。私を見てると多少のもどかしさがあるのだろう。

でも嫌なのだ。やろうと思えばできる。私は家庭で何度も見てきた。父はろくでもないプライドの塊だったから。
でも私は男の自尊心の表面を撫でるようなことはしたくない。自分からへりくだる様なこともしたくない。それはなんというか、意地に近い。気持ちが悪いのだ。私がそれをして得るのは、男からの純粋で無自覚な見下しだけ。

人間として尊敬されたい。
同じように、尊敬できる人間と共に生活をしたい。
大好きな男には、私は愛情も言葉も惜しまない。欲しければプロポーズもする。ただ彼をどれだけ持ち上げても私は1歩も引かないし下がらない。

私は私に立てられないとプライドも守れないような男には興味が無いのだ。
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