願はくは | ナノ

「なぁ、しえみ。すっげぇくせぇこと言ってもいいか?」

「くさいこと…?」

「ああ…俺さ、もし死ぬんだったらお前の腕ん中がいいな」

「え、ええっ!?」

「…冗談だよ。おら、任務頑張ってこいよ!」

「うひゃあ!髪型崩れちゃうよ、燐!……もう…じゃあ、行ってくるね」

「おう!行ってこい!」



にかっと笑って手を振った。私も笑って手を振ってさよならをした。あの笑顔が鮮明に私の頭に焼き付いた理由を、知らないままに。















聖騎士・奥村燐の暴走。それは突然だった。




「兄さん!目を醒ませ!頼むから…!」

「ぐ…あぁア゙ア゙ああっ!」



雪男の叫びに燐は一瞬呻いた。しかし瞬く間に青い炎が燐を包む。その炎は今までにないほど、大きく激しく燃え上がっており、誰も近寄ることができない。雪男は舌打ちをすると、満身創痍のメフィストへと顔を向けた。



「なんとかできないんですか!?フェレス卿!!」

「なんとかと言われましてもねぇ……まずはここに閉じ込めた私を誉めていただきたい」


いつも余裕の表情で飄々とした態度であるはずのメフィスト。しかし今は額に汗を浮かべ、その派手な服はボロボロだった。暴走した燐を、無理矢理正十字学園の地下大監房に閉じ込めた結果だ。メフィストはずるずるとその場に座り込むと、深くため息を吐いた。



「それよりも」

「燐!」



メフィストがなにかを言いかけたときだった。上級祓魔師しか開くことのできない扉が大きな音を立てて開かれた。現れた人物を目にした雪男は、驚きに目を見開く。



「しえみさん!?どうしてここに…」

「雪ちゃん…今さっき任務から帰ってきたら、上で勝呂くんたちに会って…燐が大変なことになったって聞いて…燐どうしたの?なにがあったの?」

「……見ての通り、です。兄さんは…暴走しています」



少なからず事情は聞いているだろうし、今の燐が見えていないわけでもないだろう。しかし、しえみは必死にすがりつくように雪男に詰め寄った。雪男は泣きそうな顔をするしえみから視線を逸らすと、淡々とありのままの状況を告げる。その声は僅かに震えていた。



「ぐぁあ゙…ぁぁあ゙!」

「燐……」



まるで断末魔のような苦しげな叫び。燐は完全に炎にのまれていた。聖騎士である燐を倒すのは容易ではない。しかも今は魔神の力が暴走している状態。だからメフィストの力を持ってしても、閉じ込めることしかできなかった。なにもできない歯痒さに雪男は顔を伏せ、奥歯を噛みしめる。しえみは拳をかたく握り締め、燐を見つめていた。燐の叫び以外は何の音もない静寂が空間を支配する。



「…杜山しえみさん…貴女にしかアレは止められません」

「…っ!でも…!」



静寂を破ったのは、ヨロヨロと立ち上がったメフィスト。しえみはメフィストの言葉に肩を揺らすと、メフィストの方へと顔を向けた。



「しえみさんにしか止められない?一体どういうことですか?」

「今それを説明している暇はありません。あのままではきっと奥村燐は、自らの炎に焼かれて死ぬでしょう」



話についていけない雪男が戸惑い、問いを投げ掛けた。しかしメフィストはそれをばっさり切り捨て、ただしえみだけを見据える。しえみはメフィストのいつにない真剣な瞳を見て、息を飲んだ。



「…でも、止めるって言っても……同じことじゃないですか…だって、アレは…」

「………貴女は、奥村燐のことが嫌いですかな?」



絞り出したような声で躊躇いを見せ、顔を伏せてしまったしえみ。そんなしえみをメフィストは無表情で見つめたあと、ほんの少しおどけた口調で言った。すると、しえみはゆっくりと顔を上げ、叫び声をあげる燐を見つめる。



「そんなまさか……嫌いなわけない……だって燐は、私の大切な人」

「しえみさん……」



優しく慈しみに溢れた声。雪男はしえみの横顔を見てなにか言おうとしたが、なにも言うことができなかった。彼女がなにかをしようとしている。それが何のかは分からないが、彼女にとって辛い選択であることだけは分かった。



「…雪ちゃん」

「は、はい」



呆然としえみの横顔を見つめていた雪男。すると、ふいに名を呼ばれ、しえみが雪男をじっと見上げていたことに気付いた。少し笑んでいたしえみの顔が泣きそうに歪む。



「………ごめんね」

「え?…て、しえみさん!?」



小さな声で言われた言葉。あまりに小さくて確かめるために雪男は聞き返そうとしたが、しえみは走り出していた。青い炎に包まれている燐のもとへ。雪男は止めようとしたが、それは叶わなかった。



「ちょ…!離してください!フェレス卿!」

「行かせませんよ。黙って見ていなさい」

「そんな!しえみさんを危険に晒す気ですか!?」

「…まあ、そこは賭けですね。どっちにしろ、彼女にしかできないのです。大人しくしてください」



しえみを止めようと走り出しそうになった雪男を、メフィストが押さえつける。抵抗するが、ビクともしない。そうこうしている間に、しえみは燐の目の前に辿り着いた。



「……燐」

「う、あ……?し、え……み…ぅあ゙…ぐっ…」



しえみがそっと呼び掛けた瞬間、燐の歪んだ瞳が揺らぎしえみを捉えた。しかしそれも一瞬の内に消え、唸り声を上げて頭を掻きむしる。



「うん…私だよ、燐。もう大丈夫だからね」

「く……く、る…なっ…!」

「大丈夫だから」



近付くしえみを拒絶するように燐は身体を揺らした。しかし、しえみは躊躇うことなく燐に近付く。にこりと微笑みながら、そっと燐に腕を伸ばした。自我が僅かに戻った燐が離れようと必死にもがいたが、上手く動けずしえみにぎゅっと抱えるように抱き締められた。



「…うっ…!り、燐…私の、声…聞こえ、る?」

「だめ…だ…離れ…ろ、し、え…み…」



燐から溢れる炎がしえみを焼く。通常だったら燐が傷つけたくないものは焼かない炎。今は自我が戻りつつあると言っても暴走状態。コントロールができなくなっていた。容赦無く炎がしえみを襲う。しかし、しえみはそれでも燐から離れなかった。むしろ、さらに強く抱き締める。その瞬間、燐は目を見開き硬直したようにびくりと痙攣した。



「や、め……ぅ、ぐああああああっ!!」

「きゃあ!」



ぶわりと炎が燃え上がり、二人を包む。思わず目を瞑ってしまったしえみ。しかし、今度はその炎はしえみを焼かなかった。そして、恐る恐る目を開けば、燐は淡く燻る炎を纏い笑っていた。ぎゅっとしがみついたままでいたしえみを、燐はゆっくりと抱き締める。



「燐…?」

「しえみ……ありがとうな。お前のおかげで、戻ってこれた」

「じゃあ」

「でも」



自我が戻った燐。しえみは瞳を輝かせ、安堵したような表情をする。しかし、燐はしえみとは反対に顔を苦しそうにしかめ、しえみを一層強く抱き締めた。



「それも時間の問題だ」

「そんな…」

「ごめんな。今は必死で押さえてっけど、限界が近い。もう一度力が溢れたら俺はもう……戻れない」



今にも消えそうで、苦し気な声で燐は言った。燐はしえみを抱き締めていた腕を離し、そっとその頬に触れる。



「俺が“俺”を保てなくなれば、お前や雪男…勝呂たち…大切な奴らを傷付けちまう。そうはなりたくねぇんだ……だから、しえみ」



俯いていたしえみの顔を、燐は優しく上げた。その瞳からは大粒の涙がとめどなく溢れていた。自分のために流してくれているそれは、とても綺麗でずっと見ていたいと燐は思った。しかし、それは叶わない。燐は指の腹で涙を拭ってやり、笑った。



「お前が終わらせてくれ」



ぼやける視界に映る燐の笑顔。それはしえみが一番大好きな笑顔。一番辛いのは燐なのに。なのに、燐はいつだってこうして不安にさせないようにしてくれる。決意したのに、心が揺れる。



「燐……燐…やっぱり、いやだよ…」

「しえみ……ゔ…!ぐあ…」

「燐!」

「…たのむ…しえみ。俺が自分を保っていられる間に、言ってくれ」



燐は苦しさに床に膝をつきつつも、真っ直ぐに優しい瞳でしえみを見つめた。しえみはその瞳を見て自らも床に膝をつき、燐の首に腕を回して強く強く抱き締めた。燐はしえみの頭に手を添え、ずっとメフィストに押さえつけられていた雪男に目を向ける。



「兄さん…?」

「雪男…こんなダメ兄貴だけどさ……俺、お前が弟で良かったぜ!……ごめんな」



にかっと笑う。その笑顔に、雪男は言い知れぬ不安を感じた。今すぐに兄のもとへ行きたい。なのに、メフィストによってそれを実行できない。



「フェレス卿!兄さんの所へ行かせてください!」

「黙って見ていろと言ったはずですよ?それに貴方が行ったところで、できることはありません」



抗議を試みるものの、やはりピシャリとはね除けられる。悔しいが、メフィストの言う通りに自分ができることはないと雪男も分かっていた。だって、自分では兄の自我を取り戻す事ができなかったのだから。それができたのは、兄に大切そうに抱き締められている彼女だけ。雪男の瞳が泣きそうに歪む。その瞳を捉えた燐が、優しく儚げな笑みを浮かべた。



「兄さ……」

「……ごめん、雪男…しえみ……みんな………ぅぐあああああ!」

「燐!!」



しえみを抱き締めたまま、燐が悲鳴のような叫びを上げた。そして、青い炎が再び燐から溢れる。その炎は今はまだ、何も焼かない。けれど、己の心がゆっくり焼けていくのを感じた燐は、ぐっと一度奥歯を噛みしめ、しえみの頬を両手で包んだ。



「しえみ、頼む」

「り、ん…私、」

「しえみが嫌でも、俺はしえみが良い。つーか、しえみ以外は嫌だ。だって俺はさ、」

「り…」



一度言葉を切った燐は、そっとしえみに顔を寄せた。二人の間に距離も音もなくなる。永遠のような刹那。燐は唇を離すと、しえみの額に自分の額をつけた。



「好きだから、しえみ…愛してる」

「燐……うん」



しえみはぎゅっと唇を噛んでから、笑顔を浮かべた。燐が好きだと言ってくれた笑顔を。



「私も、愛してるよ」



そう言った瞬間、燐の炎が弾けて消えた。成り行きを見ていただけの雪男には何が起きたか、理解できない。燐がゆっくりとしえみの腕の中に倒れていく。



「兄さん!」



いつの間にかメフィストの拘束は解けていて、雪男は走り出した。燐を抱き締めて静かに泣くしえみのもとへ。しかし、燐はぴくりとも動かなくなっていた。まるで深い眠りに落ちているかのように。







はくはのもとにて
(もしもお前の腕の中で)









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