小説 | ナノ
季節外れではないけれど、時期としてはまだ早い桜の花びらが外で舞っている。どうやって持ってきたかあるいは咲かせたかは知らないが、今日出席できないフェレス卿がささやかなプレゼントだと言っていた。柔らかな陽光の中で舞う花びらを歩きながら眺め、目的の部屋へと着いた。



「入っても大丈夫ですか?」

「はい、どうぞ〜」



確認のためにノックをすれば返事がすぐに返ってきた。ドアを開けた瞬間に風が巻き起こる。思わず目を閉じてしまったのち、目を開いた。そして、飛び込んできた光景に息を飲む。陽のあたる窓際にいる彼女のあまりの美しさに。呆然としていたら、僕の様子を訝しむように彼女が声をかけてきた。



「雪ちゃん?」

「…あ、ああ…すみません」



はっと我に返って後ろ手にドアを閉める。そしてそのまま彼女の元へと向かう。純白のドレスとベール。傍らには色とりどりの花のブーケ。そのブーケと揃いのように花が飾られた髪の毛は軽く纏められている。耳の前で少しだけ垂らされた髪が静かに風で揺れていた。



「もう時間?」

「いえ、まだ余裕はありますよ」

「なんか本当にごめんね?雪ちゃんは私のお父さんじゃないのに」

「謝らないでください。むしろ光栄ですよ。しえみさんと兄さんよりも先にバージンロードを歩けるんですから」



今日の僕の任務。それは兄さんのもとまでしえみさんとバージンロードを歩くこと。しえみさんに父親はいないし、僕らの後見人であるフェレス卿と歩かせるなど死んでもごめんだと兄さんが拒否。そこで新郎の弟である僕に白羽の矢が立った。皮肉なことに。



「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいな」



ふわりとしえみさんは笑う。数年前とは違う、少女らしさがまだ残りつつあるが、大人の女性の笑み。彼女は今日、兄さんと結婚する。彼女の瞳に僕が映ることは終ぞ無かった。いや、僕が勝手に逃げただけだ。彼女が僕と兄さんに向ける感情がどうしても違うと分かってしまっていたから。それを彼女の口から突き付けられるのが怖かった。



「そのドレス、よくお似合いです。兄さんはまだ見てないんですよね?」

「ありがとう。うん、燐はまだだよ」

「じゃあ、きっとびっくりしますね。兄さん」

「え?なんで?」

「今日のしえみさんは一段と綺麗ですから。いろいろとちらないか心配です」



色っぽい女性が好きだと言う割には、女性に対してどぎまぎすることが多い兄。それはしえみさんに対しても同様。贔屓目無しに見ても幸せを一身に集めて輝かんばかりに美しい彼女を見て動揺しないはずがない。



「は、恥ずかしいな…雪ちゃんに綺麗とか言われたの初めてだよ」

「あれ?そうでしたか?」

「そうだよ。でも、私特別綺麗でもないから当たり前だけどね」

「そんなことありません。しえみさんは昔から綺麗…いえ、昔から可愛らしいと思っていましたよ」



昔は言えなかったことがするすると口から出ていく。不思議な感覚だ。もう彼女が手に入ることがないと分かっているからだろうか。今ならどんなことでも言える気がした。歯の浮くようなセリフであることは自覚している。真っ赤になって俯いてしまったしえみさんを見て少しやりすぎたかと思ったが、後悔はしていない。



「雪ちゃん。私ね、前にも言ったけど雪ちゃんが憧れの人なの。初めて会ったときからずっと」

「僕が、ですか…?」



俯いていた彼女がふいに口を開いた。言われた言葉に、数瞬思考が停止する。未だ俯いたままだから、彼女の表情は窺えない。確かに以前そんなことを言われた気がする。でも、やっと絞り出せた言葉はそれだけだった。



「うん。私と同じ年なのに最年少の祓魔師で、すごいなって。家にこもってばかりの私にはできないことだから」

「でも、しえみさんは体が強い方ではなかったですし」

「だから、だよ。後で雪ちゃんも昔は体弱かったって聞いてびっくりしたもん。私、雪ちゃんに出逢えなかったら、きっと一生外に出なかったと思う。だから、ありがとう」



やっと顔を上げたしえみさんは泣きそうだった。化粧が落ちてしまうから一生懸命耐えているいる。そんな表情。そんなしえみさんを見ながら僕はただ、言葉を失っていた。なにを言えばいいのか分からなくて。気付いたら訊くつもりなんてなかったことが口をつく。



「僕は、しえみさんの特別になれていたんですか…?」

「もちろん!雪ちゃんは昔も今もこれからもずっと特別に大切にしたい人。ずっと憧れの人だよ」



きゅっと右手がしえみさんの両手に包まれた。あたたかいその感触に今度は僕が泣きそうになる。ずっとずっとしえみさんの特別は兄さんだけだと思っていた。僕としえみさんの間には兄さんがいつもいる。それか、僕がいないか。兄さんにはしえみさんだけで、しえみさんには兄さんだけだと。二人の目から僕という存在が消えてしまったと思った。でも、違った。



「ありがとうございます、しえみさん」



しえみさんの唯一にはなれなかったけれど、もう十分だった。特別だと言ってくれたことがなによりも嬉しい。もうずっと前に諦めていたけれど諦めきれなかったこの気持ち。今、やっと吹っ切れた気がする。



「そろそろ時間ですね。行きましょうか」

「あ、本当だ」



時計を見て握られたままだった手を引いてしえみさんを立たせる。ドレスの裾を持ってもらうために近くの控室にいるスタッフを呼びに行こうとドアに足を向けたが、ふと思い立ってしえみさんを振り返った。



「しえみさん」

「なに?雪ちゃん」

「好きですよ」



初めて自分の気持ちを伝えた。きっと、今を逃せばもうないから。彼女は驚いて目を見開いたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。



「私も、雪ちゃんが大好きだよ」

「幸せになってください」

「うん!私が燐を幸せにするよ!」

「頼もしいです」



拳を握って息巻く様子がなんともしえみさんらしい。思わず笑ってしまいながら彼女と兄さんの幸せを心から願った。















光を纏う純白の花嫁
(心からの祝福を)














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