真田 | ナノ
小さな頃、それこそ汚い字でひらがなしか書けなかった頃から、ことあるごとに贈っていた半紙。それをまさか彼が取っておいてくれるなんて、思ってもいなかった。
『もう仕舞うところがないんだよ』
だから、今回は別のにすること!幸村さま命令!
そう言って嬉しそうに笑ったから、ついうっかり頷いてしまったのだが。
まさかそれが、こんなに難しいことだと思わなかった。
*
「蓮二」
「ああ、弦一郎。精市へのプレゼントが何か聞きたいのだろう?」
「…その通りだ」
なぜ俺と精市の会話の内容を知っているかなど問うまでもないが、それでも見透かされるのはあまりいい気分ではない。自分がそれを後ろめたく思っていれば尚更だ。
「蓮二はもう買ったのか?」
「ああ、赤也と一緒にな」
その言葉に、赤也には失礼だがすでに奴すら用意しているということに焦りを覚える。三月四日は明日に迫っている。どうしたらいいのか。
無意識に眉間に寄った皺を見つけたらしい蓮二は、呆れたように溜め息をついた。
「何をそんなに難しく考えているんだ?確かにお前と精市の趣味はあまり合うとは言えないが、テニス用品でも買えば間違いはないと思うが」
「…そうでは、ないのだ」
躊躇いながらもそういえば、物珍しげな顔をした蓮二はどういうことだ?と首をかしげた。そういわれても俺自身もあまり整理ができていない、もやもやとした感覚の話なのだが、それでもかまわないと急かす蓮二を信じて口を開いた。
「安い気がするのだ」
「安い?」
「値段云々の問題ではない。そうではなく、書を書いて送る事に比べると、想う気持ち、のようなものが軽くなってしまう気がするのだ。」
書というのは、その対象に思いをはせながら筆をとるものだ。蓮二に贈るのならば蓮二のことを、赤也になら赤也のことを、幸村に贈るのなら幸村の事を想いながら書く。だから、自己満足かもしれないが、それに比べるとどうしても、ただ店で何かを買い求めて贈る、という行為に抵抗がある。簡単すぎて想いを込める隙がない。
「なるほどな。」
相槌のようにつぶやいた蓮二は、そこでやっと今まで開いていなかったノートを開いた。パラパラと気がなさそうにノートをめくって、あるページでぴたりととめる。
「弦一郎、知っているか。」
*
退校時刻ぎりぎりに歩く通学路は、やはりもう真っ暗だった。部活があったころは特別に時間を延長して活動をしていたからもっと遅かったはずなのに、こんな景色の中を二人で帰る事がすでに懐かしい。
「―――って、ねぇ真田、聞いてる?」
「き、きいている!」
『いい男の条件というのは、相手の話からほしいものを探り出す事らしい』
馬鹿馬鹿しい。そう言い捨てた割りに、妙に幸村の話にばかり集中してしまって、いつものように話す事ができない。疑わしげにこちらを見ているだろう幸村に気づかない振りをしていれば、どこか物憂げなため息が聞こえた。それに気づいて見下ろせば、幸村はもうこちらを見ていなかった。
「きのう、さ。」
「む?」
「屋上庭園で、仁王に会ったんだ。」
「仁王が屋上にいることなど、いつものことではないか。」
「んーん、『お別れ』だって。」
なんでもないように言われた言葉は、けれど感情を隠しきれていない。あまり自覚していなかった『別れ』の二文字が、突然突きつけられた。
「お世話になったサボり場所を、一日ひとつずつ。お別れして回ってんだってさ」
笑っちゃうよね。
そう薄く笑むその表情はあまりにも寂しげで、こちらまでその感情に流されてしまいそうになる。
俺の表情で自分がどんな顔をしているかわかったのだろう。もう繕うことはせずに、ゆっくりと口の端を下ろした。
「俺ね、この誕生日好きじゃなかったんだ」
「…なぜ」
「だって、いくらおめでとうとか言ってくれたところで、すぐにお別れなのに、って。けどね、忘れてた」
俯くと髪で顔が隠れる。そんなところは変わらない。当たり前だ。
嫌だったはずなのに、蚊のなくような声が聞こえた。
「みんなといたらそんなことわかんなかった。楽しくて仕方なくて、考える暇もなくて。なのに、」
みんなはどんどん、別れの準備をはじめるんだ。
「…高校では、また一緒だろう」
「けれども今までと全く同じようにはいかなくなる。外部生だって入ってくるし、今だって、部活がなくなっていまえば偶然でもない限り丸一日みんなと会わないなんてザラなんだ」
こんなとき、どうすればいいのか。根拠のない不安を抱くなどらしくないとでも言うか。言っていいのか。よくわからない。
馬鹿馬鹿しい。そう吐き捨てた俺に、蓮二は楽しそうに『俺はわからなくもないがな』と言った。
『何?』
『そうだろう。大切な人に喜んで欲しいと思う感情は、万人共通さ』