切原 | ナノ
「ああ、赤也くんよいところに」

いやにいい笑顔の柳生に声をかけられたのは幸村の誕生日の調度一週間前の日のことで、放課後一緒にプレゼントを買いに行ってくれる相手を探していた赤也は、俺も柳生先輩に会いたいと思ってたんスよ――と返す。

「ああ、そうなんですか。
それでは私の話を聞いてもらってからあなたのお話もお聞きしましょう」

柳生がそこまで言ったところで、窓の外から間の抜けた“メ゙エー”という鳴き声が聞こえてきた。
最近中庭に打たれた杭に繋がれている農学部の羊の鳴き声だ。
授業中でも容赦なく鳴くので始めのうちは騒めく生徒も多かったが、羊の存在に慣れてしまった今となっては誰も気にしてはいない。

「今羊が鳴いたでしょう?」
「そうっスね、まあいつものことじゃないっスか」
「赤也くんはあの羊が何を伝えたくて鳴いたのか分かりますか」
「……分かんねえっス」

つーかなんて馬鹿な質問してんだ、アンタ。
なんて言ってやりたくもあったが、一応先輩なので黙っていた。

「そうでしょうね」
「……柳生先輩には分かるんすか」
「分かりません、それが普通でしょう」
「まあ……」

そうなのだろうが、それならば何故そんな馬鹿げた質問をしたのだろうか。

「私もあなたも凡人ですから」
「失礼っスね……まあ羊の心が分かるからあなたは特別だーとか言われても微妙っスけど」
「仁王くんは羊と話します」
「はあ、そうっスかって……ええ!?」
「にわかには信じがたいことですが本当なんです」
「そ……れは、」

柳生先輩、仁王先輩にペテンにかけられただけじゃないんすか?
あの人ならそんな訳の分からない嘘もつきそうだし――と、比較的まともな返答をするが、柳生には首を振られてしまった。
更には、

「私は仁王くんが羊と会話するところを実際に見たんです」

とまで言われてしまう。
内心この人俺以上の馬鹿なんじゃねえか、なんて思ったが一応どんな状況下で仁王と羊との会話を聞いたのか尋ねた。

「先ほど授業中に先生に資料をとってくるように頼まれまして、」

優等生と名高い柳生らしい発端だ。

「中庭の前を通りかかったんです。
そうしたら見慣れた銀髪が目に入ったではありませんか、私はすぐに仁王くんが授業をサボタージュしていることを察し、」

サボタージュて……。

「彼に声をかけようとしたところで気付いたのです。
仁王くんが誰かと会話していることに、しかし辺りを見渡しても仁王くんの他には誰もいません。
不思議に思った私は歩を進めて仁王くんがもっとよく見える位置に移動しました、もちろん彼には見つからないようにね」

見つかったところで何の問題があるのかも分からないが。

「するとどうでしょう、仁王くんの目の前には最近生まれたばかりの子羊がいるではありませんか。
私は確信しましたね、彼は彼女と話をしていたのだと」
「それって……」

犬飼ってる人が暇なときに意味もなく犬に話し掛けるのと同じことなんじゃないすか。
そう言ってやりたかったのに、自分の話が終わるやいなやあわただしく腕時計を確認した柳生は、もうこんな時間ですか――なんて言いながらその場を去っていった。
休み時間はまだ五分も残っているというのに、せっかちな人だ。
時間にルーズな赤也はそんなことを思った。


*****


「つーことがあったんすよ、やっぱり柳生先輩も仁王先輩も変っスよね」

先ほどのやりとりで柳生を幸村へのプレゼント選びの同行者という選択肢から外した赤也は二人揃って3Bで昼食をとる丸井とジャッカルの元へ訪れている。
丸井のクラスメイトであるはずの仁王の姿は見えない、もしかしたら羊と談笑でもしているのかもしれなかった。
柳生の発言の説明をした赤也は意外にも普通の感性を持った二人から柳生は変わっているという同意の言葉を得たいと思っていたのだが、

「羊と話すくらい普通だろ」

と、ジャッカル。

「なあ赤也、北海道で食ったジンギスカンどうだったんだ?」

と、丸井。
期待に反して二人とも普通の感性など持ち合わせてはいなかった。いや、ジャッカルに関してはブラジルではそれが普通なのかもしれないし、丸井に関してもその食い意地が丸井家では普通なのかもしれないが……。
とにかく赤也は落ち込んだ。
うちのダブルスはダメな奴しかいない、ダメルスだと。
肩を落とす赤也に丸井はこんなことを言う。

「お前さ、こんなしょうもねえことですぐに俺等のとこくるけど分かってんのか?」
「何がっスか」
「あとひと月も経たない内に三年は卒業するんだぜ」
「……あっ」

初めて気付いたといった様子の赤也に、ダメルスの二人は呆れ顔をする。
それから不意にふっと笑って、

「まあ頑張れよ、切原部長」

なんて言うのだ。


*****


「卒業……」

考えたこともなかった。
幸村達三年が引退し、自分が新しい部長になってからしばらくが経つが、校内では引退した三年生達に頻繁に会ったし、案外ずぼらな人間の多い三年生は部室に自分たちの荷物を多く残していたから。
丸井とジャッカルの言葉を受けた赤也の足は自然に無人のテニス部の部室に向いていた。
部室前の植木鉢の下に隠した鍵を使って中に入り込む。
赤也が職員室まで鍵を返しに行っていないことを知った仁王は、無用心じゃのう――なんて言っていたが、面倒くさがりの赤也のことを咎めはしなかった。
時々部室の机にパッチンガムやビリビリペンが置かれているのは仁王の仕業なのだろう。
外でサボることが出来ないような天候の日には部室に入り込んでいるに違いない。

「っと……」

先週までは未開封の菓子が大量に入っていた丸井のロッカーを開いてみる。

「あれ?」

空っぽになった中身に口をぽかんと開いた。
別の相手のロッカーと間違えてしまったのだろうかと思い、もう一度確認するがそれは紛れもなく丸井のロッカーだった。
赤也はそのロッカーを静かに閉め、ジャッカル、柳、柳生……他の三年生のロッカーも開いていく。
どのロッカーも丸井のものと同じように空っぽだった。

「卒業ってこういうことかよ……」

呆然として呟く。
何も残さずにいなくなるのが卒業なのだ。
赤也は初めてそれを意識した。
今までは校舎が離れるだけで今までと殆ど変わらないと思っていたがそうではないのだ。
ひと月経てば赤也が三年生になり、今の三年生は“いなくなる”。
幸村や真田や、柳に、助言を乞うことも、昼休みに丸井やジャッカルに混じってばか騒ぎをすることも、柳生の真面目さに目眩を覚えることも、仁王のくだらない言葉に呆れることもこれからはなくなるのだ。
その事実を知ることはとても寂しいことで、けれども赤也に部長としてテニス部を率いていかねばならないという自覚を持たせるには充分なきっかけになりえた。

「……幸村部長、アンタも不安だったんすか」

この場にはいない人に問いかける。
勿論答えはない。
赤也は苦笑しながら一つ残しておいた仁王のロッカーを開いてみた。
何も残っていないだろう、そう思いながら開いたのに仁王のロッカーには幼稚園児の頃に使ったような象の形をしたピンク色の小さな如雨露が残されている。
赤也は小さく吹き出して、

「プリッ」

と、訳も分からない彼の口癖を真似た。



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